ー 今どきの働き方 ー
サントリー新浪社長の「45歳定年」発言
を報じる新聞記事
(サンケイ新聞 令和3年9月20日)
ウォーキングの途中、いつものように公園に寄った。平日、時刻は11時頃。
定位置にしている石の脇で年配のご夫婦が弁当を広げている。明らかに年金世代である。そこへ嫁だろうか、若い女が1歳か2歳の子供をつれて来て、シートの上が4人になった。「向こうの川のとこまで行ってきた」などと言っている。
ご夫婦にとっては多分人生終着駅。
見慣れた光景である。日本が高度成長期に入り、給料が毎年1万円ずつ上がった時代から多分こうだった。男の多くは学校を卒業すると、40年ばかり会社員をやり、引退し、孫と遊び、年金をもらいながらお迎えを待った。
女の多くはサラリーマンと結婚、専業主婦として夫や子供の世話に明け暮れ、やがて子供が独立するとおふたり様になり、親の介護に数年を費やしたあと、大抵は夫に先に逝かれ、おひとり様になった。
直線的、リニアー(linear)なライフスタイルである。
そして今 “ 人生100年 ” の声を聞かぬ日はない。男でも女でもキャリアーで生きて70歳で会社を卒業するとしたら、その先には会社に縛られない、自由な30年が広がっている。
専業主婦はどうか。子供が独り立ちし、家事から解放された後は介護の時間を差し引いても多分30年のほぼ完全に自由な時間がある。
この無限とも思える時間を、相も変らぬリニアーなライフスタイルで消化するのか。
この無限とも思える時間を、相も変らぬリニアーなライフスタイルで消化するのか。
時間の使い方はもちろん各人各様であるが、この時間を無為に過ごしたとする。そうするとやがて棺桶に片足を突っ込んだ時、待てよアタシの人生何だった?、と考え込むんじゃないかと思う。そういう姿が時々脳裡に浮かぶ。あまり気分はよくない。
それじゃあ、直線的でなく、サイクリック(cyclic)なライフスタイルはどうだろう。たとえば、10年間会社で働く。→ 大学に戻ってMBA(経営学修士号)を取る。→ 元の会社にもどるか自分の会社を立ち上げる。→ 再び大学へ行って勉強する。仕事と勉強のくりかえしである。
ビジネスがらみでなく、旅行三昧、釣り三昧でもいい。これだったら80歳でも90歳でもできそうだ。とにかくライフプランの中にきちんと組みこむのである。
実はこのリニアーからサイクリックへという考え方は以前アメリカで出版された本の中で述べられていて、ベストセラーになった(やさしいビジネス英語 1993.1 杉田 敏)。
( 次回は ー 嫁いらず観音 ー )