ー 古きよき時代 ー
「Newton」2023.1
「昔はよかった」は年寄りのいうせりふだと相場がきまっている。中学生あたりが茶をすすりながら、しみじみ「昔はよかった」と言ったら、親は気味が悪い。
ともあれ、昔はよかったと思う。
訳は山ほどあるが、何といってもスマホがないのがよかった。今は公園に来ても、喫茶店に入っても、平日も、休日も皆スマホを手にしている。中には自転車に乗りながら、車を運転しながらスマホを見ている。
自分のものをどう使おうと勝手である。それでもなぜスマホが気にいらないかというと、ゲームばかりやっている人間が多いと思うからである。
昔、テレビが普及し出したころ、「一億総白痴化」だと警鐘を鳴らした評論家がいた。情報が映像で与えられると、紙に書かれたものを読むのと違って、脳は様々に想像したり思考をめぐらしたりする必要がなくなる。筋肉と同じで使わないものは退化する。
テレビについては自分も例外ではない。ただテレビだけでも脳が退化しているところへスマホが加勢に入れば、退化速度は指数関数的に増えて、世の内科医や外科医がみんな精神科医に宗旨替えしても間に合わなくなる。
そんなわけで、夫婦ふたり暮らしの方が好きである。世代が同じだと好みも似るし、一日中スマホをいじっている子供や孫を目にしないですむ。
もっとも、ふたり暮らしを望んでいても、そうそううまく実現するものではない。人生、選択の連続、偶然の積み重ね。大家族、また然り。