昭和19年7月8日 マリアナ諸島諸島方面にて戦死・・
報公院釈清瑛 35歳 俗名〇〇〇
仏壇の過去帳にはそう記されてる。終戦の1年前である。妻は
全く記憶もなく2歳のころに帰郷されたおりに膝に抱っこで
の写真が1枚あるだけなので知らないのは当然だろう。・・
戦争の犠牲者であり、その家族も同じに犠牲者の苦しみと
思いを忘れずに73年過ごしたことを毎年この日は語っている。
不戦を誓ったはずの日本なのに、最近の世情は怪しくなってる。
子供の我々も高齢者となった今やれることは、義父の戦死が無にならない
ように平和な日々を孫の世代に繋げるように・・ちゃんとした政治家を選ぶ
事が責任を果たすことだと思うが、その眼をもった老人になれてるか?
言われれば・・自信はない。
< 遺品はゼロ、戦死広報だけで弔われてる菩提寺 >
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