有料老人ホーム「いでの郷」・訪問介護事業所・リハビリセンターであい・ 黒木居宅介護支援事業所の足跡

超高齢化社会。やりたい事が叶えられる様に。日々の足跡です。自己満足の趣味も含んだブログです。

何で・・・早過ぎ

2015年05月08日 | いでの郷での出来事

北浦から急遽宮崎へ6時半に瀬に乗り準備、そして、8時10分に嫁より電話・・・・

父親の呼吸が荒くなってる、血圧が80台になってる、SPO2が60台になってる・・・と

船頭に電話、申し訳ないが急いでくれと・・・しかし船が来たのは9時10分・・・・仕方無いです。慌てて支払いをして、車を走らせ宮崎へ

途中事故が4件ほどあってました、それを見て焦らないようにと自分に言い聞かせますが、心は実家に向かってます。

到着10時半位

お父さん、待たせたね。ごめんね。頑張れよ。

下顎呼吸になってました。船塚クリニックの先生がおられ、穏やかに話しかけてくれてます。

畳に移しましょうか。

点滴を抜きましょうか。

バルーンを嫌っておられたから、抜きましょうか。

そして、そろそろやばいかなぁ・・・・呼吸が遅くなってきたなぁ・・・・。

ゴボっと吐物が出ました。私は拭こうとししたのか、何がしたかったのか判りませんが、「おい」と声が出ましたが、立ち上がれませんでした。

 その後、先生が確認してくださり11時45分でした。71歳でした。

糖尿病、頻脈、肺癌、縦隔腫瘍、小腸穿孔(手術)、真菌感染(これが食べれない理由の致命傷)、腹膜炎。胸水、腹水とでお腹回りがちょっとぷっくらと。掛かりつけが池田台クリニック→江南病院(生まれて始めての入院70歳)→医大→宮崎東病院→なかしま医院→自宅。江南病院で癌が見つかり、手術出来ない部位との事で、迷ったあげくに化学療法(味覚が無くなり美味しく食べれなくなりました)入退院の繰り返しです。その後自宅に帰ってから、小腸穿孔で入院手術→自宅の流れです。闘病で1年5ヶ月でした。その間に、鬱症状やせん妄とありましたが、母や親類に支えられ自宅で最後を迎える事が出来ました。

何が好き・・・たばこ。お茶。刺身。好き嫌いは殆んどありませんでしたが、鶏肉はNGでした。何でも美味いと食べる父でした。焼酎も若い頃は結構飲んでましたね。孫が来ると笑みがこぼれてました。決して優しくはありませんでしたが、面倒見のいい親父でした。人の悪口が大嫌いな親父でした。人に良くすれば何時かは、自分に返って来るが信条。。な父でした。

先生は、早い時間9時からお昼近くまで、父にずーと話掛けてくださってたそうです。心配して駆けつける、親類に丁寧に状況を説明して下さってたそうです。有難う御座いました。弟より、自分達が駆けつけ、声を掛けると真一郎は?と聞かれたと・・・。(日向付近の車中でした。)

葬儀社へ連絡し、葬式の段取り及び色々なモノを決定していきます。短時間に知らない事を決めなければいけません。ちなみに神式です。

 自宅に一泊する事になりました。身内だけでのお別れ(仮通夜)行いました。私、次男、三男、嫁に孫と親類で・・・・。涙しか出ません。

母親に、お疲れさんと言葉を掛けるのが精一杯で・・・5月の初めからせん妄状態があり、夜は一睡もせず介護していた母親に・・・我ながらそれしか言葉がありませんでした。

6日10時から12時にプリエールえより職員さん見えて、化粧など施してくださいました。

16時には、斎場に着く段取りでした。

祭壇です。近所の方に実家から出る際も見送り頂いて、到着後の状態です。生花43本になるとの事で、式場に入らないからと、急遽ホールが二つつなぐ事になりました。

個人を忍ぶ品々です。農業と畜産、最後は牛に力を入れてました。

お通夜も近所の方、知人、友達と多くの方がお別れに来てくださいました。

いでの郷のスタッフも全員。有難うございまいました。利用者さんのご家族も来てくださいました。又、会社関係の方、業者さんと多数お越しくださいました。有難うございました。

船塚クリニックの先生とスタッフの方も来てくださり、母と父にねぎらいと別れを、本当に心より感謝申し上げます。有難う御座いました。

先生と会うのが父の最後の楽しみ。病んでから先は、車の音で先生じゃと微笑む。信頼って凄いですね。

この場を借りて、お礼申し上げます。

特に、両親関連の知人、友人の数には・・・・・正直、感謝の気持ちしかありませんでした。

そして、夜寝ずに・・・なんですが、次男に任せ、眠ってしまいました。。

7日、告別式。最後のお別れを行い、12時15分火葬。

14時半骨拾いでした。

それから、自宅へ骨になって帰りました。

長い闘病と自宅での介護と母も頑張りました。寂しくはなりますが、何時かは生きれてば来る事と、気を引き締めます。

本当に、お世話になりました。この両親に関する記事が何かのお役に立てば幸いです。

父の言葉で耳に残ることですが、「おきんなぁ」。感謝の言葉でお別れしました。


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7 コメント

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おはようございます (銀杏)
2015-05-08 08:56:02
もしかして、黒田さまの、お誕生日までに、おとうさま 苦しい 闘病生活。一生懸命生きる力のために、たまごサンド めしあがられたり、大切な牛の夢を みたり、苦しい中、わが人生、脳→映画のように、おとうさまだけに、みえていたのかもしれませんねっ。ここ 数ヶ月、おかあさま、不眠不休で、介護、みまもり、不安で、ご心配だったて、思います。すごいです。生命の 尊さ、痛い思い、辛い思いは、なくなりますねっ。どうか、おとうさま、やすらかに、おやすみ くださいませ。 今は、おかあさま、気持ちが、はりつめておられますが、少しずつ、さみしく、かなしく、お父さん、何気なく、呼んでしまったり、自然と 涙がでたり、力がぬけてしまい、家の広さを 感じられると、思います。黒田さま、おかあさま、お身体、大切に してくださいませ。わかれが、あまりにも 早すぎます。 大切な生命
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Unknown (モニカ)
2015-05-08 09:29:48
お父様のこと、心よりお悔やみ申し上げます。
でもいでマネさんが最後を看取ることが出来て、本当に良かった。。。
お父様も待っていて下さったのでしょう。。
またいいドクターに診ていただけて本当に良かった。
信頼出来るドクターに出逢えると心が、(身体も)楽になります。

そしてお母様、本当によく尽くされたとケアマネさんの日記から思います。
気の張っている内はいいのですが、疲れが出て落ち込んだりします。
どうぞ皆さまで、支えて差し上げて下さい。

71才とは兄よりもお若い。。。。残念ですね。
でもおっしゃるとおり、生きている事は確実にこの瞬間に向っていること。必ず通らなければならない道。。。

日記を拝見していて、叔父を看取った時を想い出しました。

ご冥福をお祈り致します。



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お礼 (いでのマネ)
2015-05-08 10:45:36
銀杏様、モニカ様へ

色々とありましたが、見送る事が出来てよかったかと思います。
有難う御座いました。

看取ること、介護するものの心情、不安、悲しみ、そして大事な家族の絆、信頼と身をもって親に教えてもらいました。思い出せば・・・にせず、これからの仕事に役立てるようにしていきます。実践型の私ですが、今回ばかりは、考えさせられる事が多かったです。又、人間死んだとき(葬儀のとき)どれだけの人が来てくれるか、が真価と聞いたことがあります。本当に大勢の方で、改めて親の偉大さ、人付き合いを考えさせられ、敵しか作らない私は・・・と本当に考えさせられました。

本当に、有難う御座いました。厚く御礼申し上げます。

追記
ブログは、続けますから時々チェックしてくださいね。
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おくやみ (西平トーフ)
2015-05-08 19:04:08
私も、父を看取りました。仕事がら病院でしたが。
69歳でした。
お互い、片親の身となりましたね。かける言葉もありませんが、確実に言える事は、貴方と、ご家族を親身に想ってくれる人はたくさんいます。
私も、その一人として自負しております。
これからも、お互い頼りにしつつされつつ、ボツボツといきましょう。
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感謝 (いでのマネ)
2015-05-09 08:33:46
有難うございます。

何だか、ホッとする文字を見ました→西平トーフの文字です。

お通夜から告別式と本当に沢山の方々の励ましを受けました。母親は、すっきりした感じですが、私含む子はいまいち受け入れてない感じがします。

頼りにしてます!今後とも宜しくお願いします。
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Unknown (柴田早苗)
2015-06-03 20:44:46
今、知りました…

ご冥福をお祈り致します。
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お礼 (いでのマネ)
2015-06-04 07:02:17
有難う御座います。
気にかけて頂いて、ありがたい事です。

お体に気をつけて、ご活躍をお祈り申し上げます。
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