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わが命なるキリスト2.先日より、十字架から復活までの道のりについて、なかなか理解出来ないとゆうお恥ずかしい話をして参りましたが、ここで、ようやく長いトンネルの先に光が見えて参りました。きっかけは、マティス展です。大回顧展が行われています。その最終コーナーにマティス最高傑作、ロザリオ教会の紹介がありました。礼拝堂には役割がある。神を信じるか信じないかは別にして、訪れた人の精神が高まり、考えがはっきりし、気持ちが軽くなる。それが、私の礼拝堂が目指すものだ。とゆう。イエスキリストの十字架から復活までの劇的な流れは、まさに、礼拝堂の壁に描かれており、ロザリオ教会を出て、このヴァンスとゆう街を立ち去る時には、すっかり新しい人になっている。否、どこの教会でもそのような役割を果たしている。とすれば、毎週礼拝に行けば、気持ちがすっかり軽くなって、月曜日から頑張れる。そんな有難い事が想像、体験できる展覧会でありました。期待通りの素晴らしい内容でした。そういえば、教会の堅い椅子に施されているキリスト物語の彫り細工、どこかの教会で見たことがある。真っ暗な教会であった。フラッシュ撮影でやっと気ずけた。こんな場所で、コラール聴いたら震える感動を体験できるのでしょう。
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