月・月・火・水・木・鉄・鉄

古い写真の整理がてらのブログです。のんびり更新していきます。懐かしさを感じてもらえれば嬉しいです。

【1985年8月】 急行「ニセコ」函館行(急行乗り継ぎ1985-7-)

2015年08月06日 | 急行列車
 毎度ご乗車ありがとうございます。

 「急行乗り継ぎ1985」も最終日となりました。急行「まりも」で札幌に到着後、朝食タイムを経て急行「ニセコ」函館行に乗車です。現在では札幌~函館の優等列車は千歳・苫小牧経由しかありませんが、30年前は小樽・倶知安(いわゆる山線)経由の優等列車も3往復設定されており、急行「ニセコ」はうち1往復を担っていました。


(14系6両編成 -1985/08/04 長万部-)

 今でこそカタカナの列車名は珍しくありませんが、当時カタカナ書きだった列車は「ニセコ」くらいだったと記憶しています。

 乗車した1年半後の1986(昭和61)年秋のダイヤ改正で、「ニセコ」は廃止となりました。同時に山線経由の特急「北海」も廃止され、山線の優等列車の歴史が終わりました。



 またのご乗車をお待ちしています。


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【1985年8月】 急行「まりも」札幌行(急行乗り継ぎ1985 -6-)

2015年08月05日 | 急行列車
 毎度ご乗車ありがとうございます。

 30年前の8月に実践した「急行乗り継ぎ」、一番最初の「津軽」を除けば道内急行乗り継ぎです。本日ご覧いただくのは、釧路~札幌間を結んでいた急行「まりも」です。この日の夜から自宅に帰るまで3連続夜行の行程でした。

 この晩は自由席。通常1両しかないので座る事を諦めかけていましたが、夏の観光シーズンなので3両つないでおり、寝台5両・指定席1両・自由席3両の9両編成でした。荷物車を加えると11両編成です。


(14系他11両編成 -釧路 1985/08/04-)

 座れたのは良かったですが、隣に座った女性が気持ちよさそうに寝ており、トイレに行けなくて難儀したと、当時の記録に残っていました。



 またのご乗車をお待ちしています。


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【1985年8月】 急行「ノサップ3号」根室行(急行乗り継ぎ1985 -5-)

2015年08月04日 | 急行列車
 毎度ご乗車ありがとうございます。

 30年前の急行乗り継ぎは道東へ進みます。前回ご覧いただいた急行「狩勝3号」で帯広下車。翌朝快速「ぬさまい」で釧路へ至り、釧路から急行「ノサップ3号」で根室へ向かいました。


(キハ56他2両編成 -1985/08/04 釧路-)

 今はどうか分かりませんが、この頃の北海道の各駅は発車時間前にならないと改札が開かず、札幌からの特急「おおぞら1号」の到着と同時の改札でしたので、駆け足でホームに向かい席を確保しました。



 13時14分に釧路を発車し15時30分根室着。バスでノサップ岬まで往復し、普通列車で釧路に戻りました。稚内も根室もトンボ帰りでした。 

 またのご乗車をお待ちしています。


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【1985年8月】 急行「狩勝3号」釧路行(急行乗り継ぎ1985 ー4-)

2015年08月03日 | 急行列車
 毎度ご乗車ありがとうございます。

 「急行乗り継ぎ1985」の続きです。稚内から急行「宗谷」で南下し、釧路本線との接続駅である滝川で下車。釧路本線経由で札幌と釧路を結ぶ急行「狩勝3号」に乗り換えです。

 滝川駅での乗り換え時間は僅か4分。急行「宗谷」が遅延したら・・なんていうことを当時は考えていませんでした。幸い定時に滝川に到着し、ホームを移ると同時に札幌始発の急行「狩勝3号」が入線してきました。


(キハ56系他3両編成 -1985/08/03 滝川-)

 急行狩勝といえばかつては札幌~釧路間のメイン急行でしたが、千歳と新得を短絡する石勝線が開通し札幌~釧路間のメインルートとなった後は主役を急行「まりも」に譲り、ローカル急行と化してしまいました。

 記録によると車内は混雑していましたが、起伏のある車窓には興味深々でした。それでも夜行2泊+ユースホステル1泊でやや疲れつつあったようです。



 列車は帯広まで急行運転し、帯広~釧路間は普通列車となりますが、私は帯広で下車しユースホステル2泊目を帯広で過ごしました。

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【1985年8月】 急行「宗谷」札幌行(急行乗り継ぎ1985 -3-)

2015年08月02日 | 急行列車
 毎度ご乗車ありがとうございます。

「急行乗り継ぎ1985」、急行「天北」で稚内に着いたのが18時19分、ユースホステルに宿泊し翌朝8時5分には急行「宗谷」札幌行で稚内を後にしました。今にして思えば何しに行ったのやら・・。



 それはさておき急行「宗谷」札幌行は、この日の早朝に到着した夜行急行「利尻」の折り返し運用です。夏の観光シーズンということもあり通常6両編成に1両増結されていました。前回ご覧いただいた「天北」では寝台車の座席利用で疲れましたので、「宗谷」では14系座席車を利用しましたが、車窓が退屈だったのは変わらなかったようです。


(14系7両編成 -稚内 1985/08/03-)

 急行「宗谷」はかつて函館~稚内間を結んでいたロングラン急行でした。千歳空港駅が開業した1980(昭和55)年に札幌~稚内間に運転区間が短縮されました。短縮とは言っても400キロ近く(6時間半)の走行距離を有していました。


(名寄でひと息 -名寄 1985/08/03-)

 この頃の宗谷本線には「宗谷」「天北」「利尻」の他に線内急行の「礼文」があり急行王国の路線でした。

 またのご乗車をお待ちしています。


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