毎度ご乗車ありがとうございます。
急行乗り継ぎの2回目です。前回ご覧いただいた急行「津軽」から青函連絡船で函館へ、函館からは夜行普通に乗り継いで札幌に至りました。次の急行は稚内行の「天北」(札幌11時10分→稚内18時19分)です。
(14系7両編成 -1985/08/01 札幌-)
「天北」は札幌~稚内間を結ぶ急行で、音威子府から南稚内までは天北線(音威子府~浜頓別~南稚内)を経由していました。1982(昭57)年からは所要時間を犠牲にして車両を気動車から14系客車に置き換えましたが、もう1本の昼行急行「宗谷」と共に、夜行急行「利尻」との共通運用を組んでいましたので、7両編成(通常は6両)のうち2両はB寝台車を座席利用としていました。
(名寄で機関車をDE10に交換)
私が利用したのは寝台車の座席利用の方でしたが、さすがに7時間以上の利用はしんどかった記憶が残っています。今であれば車窓を見る目も違っているでしょうが、当時は退屈だったという記憶も残っています。
またのご乗車をお待ちしています。
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(14系7両編成 -1985/08/01 札幌-)
「天北」は札幌~稚内間を結ぶ急行で、音威子府から南稚内までは天北線(音威子府~浜頓別~南稚内)を経由していました。1982(昭57)年からは所要時間を犠牲にして車両を気動車から14系客車に置き換えましたが、もう1本の昼行急行「宗谷」と共に、夜行急行「利尻」との共通運用を組んでいましたので、7両編成(通常は6両)のうち2両はB寝台車を座席利用としていました。
(名寄で機関車をDE10に交換)
私が利用したのは寝台車の座席利用の方でしたが、さすがに7時間以上の利用はしんどかった記憶が残っています。今であれば車窓を見る目も違っているでしょうが、当時は退屈だったという記憶も残っています。
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