兵藤庄左衛門、批評

芸術、芸能批評

民俗芸能ー3

2012-05-04 16:23:18 | 舞台芸能批評
・ビデオ「妻良の盆踊り 静岡県指定無形民俗文化財」南伊豆町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.43、'99、20分
 妻良めらの夏は海水浴で賑わう。民宿の名前にかつての海の道の名残をとどめる。宿に千石船の模型が飾られている。当地の民俗芸能はそういった風待ちの人々によって伝えられたという。妻良・子浦は漁港としてかつて賑わい、今は夏の海水浴と帰省客で賑わう。特に盆踊りが賑わう。盆踊りはかつては若い衆、今は保存会によって守られてきた。8月10日に会合をして実施決定。江戸歌舞伎の下座音楽者「藤池助右衛門」が伝えたというのが有力説である。8月12日盆飾りを作り墓掃除をする。新盆ではさらに飾る。墓参りする。盆踊り練習もする。女が踊り男が音頭を取る。ゆったり踊るので合わせるのが難しい。楽器は笛、太鼓、小太鼓、三味線。スローテンポで優雅な踊り。8月15日早朝浜に踊り櫓を建てる。かつては寺の境内で行っていたが観光を兼ねて浜で行うようになった。夕方保存会と若い衆が集まって乾杯して始まる。20~30分行った後今風の踊りも入れ3回繰り返し、最後はオクリで先祖の霊を送り返す。16日に精霊送りをする。供物を海に流し霊を彼方に返す。灯篭を読経後船に積み海に流す。

・ビデオ「マメタクと水神祭り ~玉川の祇園行事~ 静岡市の伝統文化シリーズNo.5」静岡市教育委員会社会教育課、'01、27分
 旧玉川村の腰越は安倍川支流西河内川上流に位置する山村集落で24戸、奥腰越と下腰越に分かれる。お茶栽培と林業が主要産業である。古くからの集落である。6月11日子供たちが集まってヨセ(葦)を使って馬の作り物を作る。6月14・15日のマメタクの行事は子供たちが家々を廻る訪問儀礼と馬の作り物を川に打ち落とす神事が組合わさったものである。途絶えていたが2年前に再現されたものである。この日桃の枝を切り取る。馬の作り物を地蔵堂に保管する。14日夕方、子供たちが地蔵堂前に集合する。昔は10歳から15歳の男の子が行っていたが今は小中学生全員で行う。リーダーは弊束を桃の枝につけ魔除けとする。祭りに必要な物(豆・米・砂糖・金)を家々を廻って集めてくる。かつては15日夜明け前の暗闇で行われた。集めた物は町内会長に渡す。15日町内会長宅では豆と米でマメイリコ作り(夏病みしないといわれる)をし、各戸や供え物にし、あとはポン菓子屋に依頼し菓子にし配る。配り終えると川原に向かう。祇園石(マメタクの石)が祭所だが埋もれたので付近の適当な岩にウマ・桃枝・マメイリコ・御神酒を供える。子供たちが石を投げる。厄を載せたウマが流れる。この日を祇園さんと称し川や山に行くことを禁じ農休みとした。川原での水神祭祀が珍しい。流行病が流行りやすい旧暦6月15日は祇園行事の日で、郷島の津島神社祭礼をはじめ、全国各所で天王さん、花火、提灯祭りなどがある。
 西河内川上流に位置する旧玉川村の戸数50戸の長熊には「水神祭り」があり、かつては6月15日祭礼日だったが、今は15日に近い日曜に行う。祭り前日「萱刈り」をし、水神に捧げる作り物(鹿)を作る。当日サグチといわれる川原に集まる。作り物をサグチ岩場(水神祭場)に供える。対岸に供え物し拝む。あとで石を投げ川に流す。当地は上流から流した木材を筏に組む所で、川刈り人足がいて彼らが安全祈願で行ったことが起源という人もいる。

・ビデオ「ヤマメ祭 田代諏訪神社例大祭 静岡市指定無形民俗文化財 静岡市の伝統文化シリーズNo.4」静岡市教育委員会、'00、42分
 田代は井川の井川湖北の集落で戸数43戸で昔は井川村であった。そこにヤマメ寿司を供える祭りがある。井川には縄文期の遺物が発見される割田原遺跡がある。出作り小屋(菅山)というものがあり、昔は1年の半分はそこで過ごした。1287年創建の田代諏訪神社で8月の例祭がある。
 5月3日ヤボヤキという焼畑をする。粟を作り8月頃収穫する。8月26日祭り、昭和30年代の明神谷の神事にあったものだ。4年に1度大祭である。8月10日神饌(神に供する食物)として粟を収穫する。収穫した粟は宮司宅に干す。8月20日明神谷(田代の上流)に神饌用のヤマメ(井川ではアマゴのことをヤマメという)を釣るために入る。普段は禁猟区である。明神谷の源流はミスミが岳にあるといわれる。カークラ(神座、神のいる所)を作り、長さ2mの木を3本組む。ヤマメの肝臓、白子、あまごを塩辛にして神饌にする。神社では幣束をかえる。八ヶ岳御幣(信州諏訪大社の影響)である。明神谷ではカークラにヤマメを吊るし魚釣り祀り。田代諏訪神社でも宮司が明神谷に向かい礼拝する。祝詞を述べる。神事を終えるとやまめは降ろされイタドリの葉とともにニンソク(?)にされる。直会(神事のあとの供宴)となる。ヤマメの包みを持ち集落へ戻る。決して地面に降ろしてはいけない。宮司宅でヤマメを塩漬けにする。祭り前日の25日まで漬けられる。文政年間の「駿河記」に記載がある。ヤマメと粟は焼畑の象徴、イタドリ等田代の人の身近なものを使い自然との共存を示す。
前日25日村総出で祭りの準備。ヤマメ寿司を作る。粟をついて精白する。腐りやすいのでヤマメのエラを取る。作る人は葉を口にくわえ息をかけない。ヤマメの胴体等に塩入粟をまぶす。笹を集める。夕御け饌が本膳である。神社で宮司と祭り当番は精進決済のため「お籠り」する。社務所で甘露煮作り等する。8月26日田代諏訪神社例祭では4年に1度神輿渡御を行う。大曲の場所(昔神輿が動かなくなったという伝承)で特別な祝詞を詠む。一般の参加者も鎌や鉾を持つ。集落まで降りてくる。お旅所に神輿を祀る。神事を執り行う。神輿を神社に戻す。神楽を奉納する。ヤマメ寿司を神前に供える。神々や眷属(付き従う神々)にそれぞれヤマメを供える。そなえるのは秘儀である。宵祭り(盆踊り、花火)となる。8月27日大祭で、神官により前日供えられたヤマメ寿司は下げられる。直会で背を大井川に向けて振舞われる。ナレズシとしては発酵期間が短くナレズシ原初の姿と思われる。とても塩辛くそのまま食せず持ち帰って焼き茶漬けにして食べる。餅とヤマメ寿司を町内各戸に配る。

・DVD「日本の祭」NHKエンタープライズ、77分、‘07、     
(北海道)札幌YOSAKOIソーラン祭
  札幌の新しい街の祭として定着し、新しい趣向も凝らされ活気付いている。踊りの振り付けは時代に合わせどんどん進化するようだ。
(東北)青森ねぶた祭
  これも今の形式となってからの祭としては新しい方だが、このDVDの中では古めかしく伝統を感じる。
(関東)浅草三社祭(東京)
  日本の祭、首都東京の祭、江戸っ子の心意気として知られる。
    大原はだか祭(千葉)
  全国各地にある裸祭の代表として取り上げられたのだろう。祭の心意気が伝わる。
(中部)御柱祭(長野)
  出ました。日本で岸和田だんじりと並び最も勇壮かつ怖い祭。悪い言い方をすれば死んでもやる祭の代表。坂落としや川渡りは迫力満点。これまで重傷者や死者まで出すこともあった。
    宇出津あばれ祭(石川)
  みこしを叩きつける様はシンプルな勇壮さと男っ気たっぷりで見ごたえ十分。
    高山祭(岐阜)
  屋台上に設置されたからくり人形操作は無形文化財で日本の宝。
(近畿)岸和田だんじり祭
  シンプルな勇壮さと野性味をたっぷり味わえる祭。近年有名になる一方。
    新宮お燈まつり(和歌山)
  夜、山の神社からたいまつを持って麓に下る祭。下山道に連なるたいまつの明かりはさも下り龍の如しである。
(四国)高知よさこい祭(高知)
  これも戦後元気付けるため行われだしたもので、振り付けは毎年進化し、常に新しくなっていく祭の代表である。
    阿波踊り(徳島)
  戦前踊り始められ、戦後急速に普及した祭。今や日本を代表する祭り踊り。
(九州)山鹿燈篭まつり(熊本)
  踊る女性の頭に載っている燈篭の明かりが幻想的。
    博多祇園山笠(福岡)
  なかなか勇壮、
    長崎くんち(長崎)
  蛇踊りはじめ演目がスピーディかつダイナミック。
(沖縄)沖縄・エイサー
  高揚する太鼓のリズム。最後の見物人を巻き込んだ無礼講は楽しさ最高で迫力満点。



・ビデオ「 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分
 
・ビデオ「 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分
 
・ビデオ「 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分
 
・ビデオ「 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分

民俗芸能 2

2012-05-04 16:20:53 | 舞台芸能批評
・ビデオ「寺野三日堂祭礼 ひよんどり 静岡県指定無形民俗文化財」引佐町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.2、'94、30分
 寺野は浜名湖北の都田川上流引佐町渋川の北の山地集落で44戸である。村の起こりは伊豆の人が三河を経て寺野の地に入り開発したという。その先祖伊藤右衛門の墓がある。観音堂(三日堂)のある草笛山宝蔵寺には井伊直親が伝える青葉の笛がある。
毎年正月三日にひよんどり(火踊り)は行われる。
12月下旬練習開始、御手洗井戸の清掃、松明作り、絵馬札刷り。12/28各戸で餅つき、大きい鏡餅(ト餅)を観音堂に供える。ト餅の上にお白餅を載せて本尊に供えられる。踊り用の面は17面伝わり「ねこざね」が珍しい。がらん祭りで御神楽を奉納する。
観音堂でのひよんどりは松明を持って謡うのでひよんどりと云われる。禰宜・楽頭・摺鉦・笛等の楽人が座す。
・ 順の舞(禰宜の舞) :古い巫女の舞の形残す。五行を拝する。
・ 万歳楽:
・ 三つ舞:三拍子、三人、扇や鉦を持つ。
・ 片剣の舞:
・ 片剣のもどき:先ほどのものを滑稽化する。
・ 両剣の舞:
・ 両剣のもどき:
・ 火王の舞ともどき:禰宜が舞う。
・ 矛の舞:しゅし芸。
・ 粟穂の舞:
・ 杵の舞:田遊びに多い。
・ 女郎の舞:道化。
・ 翁の舞:
・ 獅子の舞:
・ 鬼の舞:奥三河の花祭りに似ている。
・ ねこざねの舞(しずめの舞):終了
終了後芋がら入り汁かけ飯を再現し供食した。雨乞い呪術と関係する。午後2時に始まり午後6時に終了した。かつては旧正月三日夕刻に始まり徹夜で行った。
安永8年、次第書「田遊び」では、「1.水口、2.田打、3.畦塗、4.苗草取り、5.苗草入れ、6.種蒔、7.鳥追、8.麦米搗、9.田植、10.稲刈、11.稲ぶら」であった。

・ビデオ「小国神社の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」森町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.3、'94、30分
 
・ビデオ「法多山の田遊祭 静岡県指定無形民俗文化財」袋井市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.4、'94、30分
 
・ビデオ「日向の七草祭 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.5、'94、30分
 
・ビデオ「藤守の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」大井川町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.6、'94、30分
 
・ビデオ「山名神社天王祭舞楽 静岡県指定無形民俗文化財」森町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.8、'94、30分
 
・ビデオ「横尾歌舞伎 静岡県指定無形民俗文化財」引佐町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.9、'94、30分
 
・ビデオ「人形三番嫂 静岡県指定無形民俗文化財」賀茂村教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.10、'94、30分
 
・ビデオ「沼田の湯立神楽 静岡県指定無形民俗文化財」御殿場市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.11、'94、30分
 
・ビデオ「有東木の盆踊 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.14、'94、30分
 
・ビデオ「天宮神社十二段舞楽 静岡県指定無形民俗文化財」森町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.18、'94、30分
 
・ビデオ「焼津神社獅子木遣 静岡県指定無形民俗文化財」焼津市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.19、'94、30分
 
・ビデオ「御船神事 静岡県指定無形民俗文化財」相良町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.20、'94、30分
 
・ビデオ「清沢の神楽 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.22、'94、30分
 
・ビデオ「三島大社お田打ち 静岡県指定無形民俗文化財」三島市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.24、'94、30分
 
・ビデオ「三島囃子 静岡県指定無形民俗文化財」三島市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.29、'98、30分
 三嶋大社社頭の競り合いでのシャギリとは演奏合戦のこと。三嶋は伊豆の国府で東海道五十三次の宿場として栄えた。8月15日から3日間、三島夏祭り、シャギリは地元でチャンチキと云われてきた。先年まで三嶋大社夏祭りと云われてきた。三嶋大社の例大祭は、820年前の8月17日源頼朝が挙兵したことと関連する。庶民の祭りとシャギリでは、中世以後庶民の祭りとなっていった中で、囃子も登場するようになっていき、三島囃子は16世紀前半の史料に登場する。練習風景と市内のまつりでは、三島囃子保存会により5月初旬から練習が始まり、夏祭りまでに市内各所で祭りがある。三島周辺の川原ヶ谷、谷田、夏梅木、梅田、大場の5つの村のキタカタという若い衆が三島囃子を伝えてきた。三島周辺のお囃子では、沼津大瀬まつり、富士宮秋祭り、御殿場ヨシダサン等御殿場や田方に関連は明確ではないが、類を同じくするお囃子が伝わっている。現在の三島夏祭りと当番町では、前日に山車を出し掃除飾りつけをする。8月15日早朝、出陣式をする。向かう先は三嶋大社で社頭でお祓いを受ける。三島囃子の曲目と演奏では、シャギリ「昇殿・荷崩し・四丁目・速・雷電・屋台・鎌倉・切りばやし」、囃子「松はやし・祇園はやし・吉野はやし」が知られる。伝えられるシャギリは8曲である。昇殿はゆったりと荘重な曲である。荷崩しは調子のよい曲である。四丁目シッチョウメはオウドウ、コドウともに聴かせどころがあり終盤に一緒に演奏し盛り上がる難しい曲である。速は急テンポの曲である。各曲とも演奏される状況がおよそ決まっている。雷電は笛がなく激しいテンポである。屋台は別名喧嘩囃子で競り合いの時に奏する勇壮な曲であり、相手のテンポに惑わされたら負けである。鎌倉はテンポ緩やかで哀愁を帯びる。切りばやしは最後に奏する短いけじめの曲である。囃子は6曲あったといわれるが今は3曲である。シャギリと囃子は明確に違い、演奏される場も違った。囃子はシャギリに対しゆっくりした曲調で、三味線・大鼓・小鼓が加わる。松ばやしはゆっくりしていて秋を思わせる。祇園ばやしは優雅な曲である。吉野ばやしは陽気な曲調である。三島囃子の楽器と技術では、大太鼓オードーは撥を軽く転がすように反動を利用して打つ。小太鼓コドーは撥を軽く八の字に持ち反動を利用して打つ。摺鉦は半身に構え手のひらと撥を打つタイミングでチャンとチキを使い分ける。篠笛は七つ穴で四本調子や五本調子といい、右利きは右に構え、シャギリのみ使う。大鼓オーヅーは左脇に構え右手で打ちしらべという握り紐の具合で音色を変える。小鼓は右肩に構え右手の人差し指と中指で打つ。しらべという握り紐の具合で音色を変える。三味線はお囃子のみ使う。演奏方法は先輩から後輩へ直接伝えていくが、受けて側の符丁としての楽譜がある。守り伝えられる三島囃子では、近年子供シャギリが参加するようになるなど、後継者育成が図られ文化財にも指定された。

・ビデオ「猿舞 静岡県指定無形民俗文化財」島田市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.32、'98、30分
 島田市東光寺は中心部から約3km山あいに入った集落で43戸約170人が住んでいる。天台宗池沢山東光寺の裏山には日吉神社が鎮座している。神仏分離令で寺と神社を分けた。
 猿舞は猿踊りといわれ、今から300年前の元禄年間には生まれていた。例祭日は毎年4月14日であるが、以前は比叡大社の申の神事に合わせ4月のにの申の日に行われていた。2月24日舞人の依頼で集落内の8歳から12歳までの少年2人を決める。練習は地区公会堂で3月9日から約1ヶ月行う。楽人は笛6人、太鼓1人である。猿面は視野が狭いが回転する舞なので少年には難しい。4月13日前日神職からお祓いを受ける。舞台設営を行う。神輿や道具の手入れを行う。幟も立て祭りの準備が着々と進む。夕刻祭り宿のお宅に一行が伺い、前夜祭を行い、直会も行う。以前は東光寺谷川で禊を行っていた。神輿の見張りもする。4月14日当日、神社で遷座式を行う。神輿を東光寺に下ろす。その隊列は決まっている。境内の御旅所に神輿を安置する。関係者一同は神事を受ける。猿田彦の持つ榊は魔除けになる。二つの猿面は雄と雌がある。楽人は準備の間、その時用の曲を演奏する。舞は三種である。「双々の舞」は二人で舞い、幣束と神楽鈴を持つ。「扇の舞」は雄猿が舞い両手に扇を持つ。「本舞」は再び二人で舞い右手に神楽鈴、左手に幣束を持つ。激しい動きを見せる。舞が終わると注連縄を切り走って神輿を還御し、還御式をして祭りを終了する。類似行事として千葉山日吉神社の例祭が4月第2日曜日にあり、2匹の猿像を祀るだけでなく、他にも類似している。

・ビデオ「三熊野神社の地固め舞と田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」大須賀町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.35、'98、30分 
三熊野神社は大須賀町横須賀の城下町にあり、かつては港町だった。遠州に熊野三山を祀ることにし本宮が三熊野神社、新宮が浜岡の高松神社、那智が小笠神社とした。熊野三山を勧請し横須賀の雨垂の洲崎付近に着き、このときに粟飯神事を行ったというので今でも粟飯を供える。三社市でも賑わった。三熊野神社を支えたのは農業や漁業によっていた西大渕の人たちである。正月に豊作を祈り地固め舞と田遊びを行ってきたが、大正期に4月に行うようになった。西大渕や今沢の青年たちが正月や3月から練習を行う。祭りが近づくと作り物の準備をする。ツトッコという大漁を祈る飾り物もある。4月第1土曜日が宵祭である。神輿担ぎの人たちと神社でお祓いを受ける。終わると宮篭りする。別火といって家族とは火を別にして過ごす。大祭前日松葉採りして田遊びの準備する。当日朝タチザケといって清めの酒を飲んで神社に向かう。三熊野神社では神事のあと神輿の渡御を行う。先頭は獅子神楽でネンネコ様などもある。途中御旅所によりミコダキの神事もある。ミコダキは人形で杉山家が保管し、1年に1度このときに抱くと子宝に恵まれるといわれる。田遊び用の人形に子授け霊力があるといわれるのは、相良「蛭ヶ谷の田遊び」、藤枝滝沢などに伝わる。ネンネコサマは穀霊で今は別行事のようだが、田遊びの一つだった。
『地固め舞』:神輿担ぎが頌歌人になり、西大渕の青年が舞う。「金太刀」:刀を持ち結界を築き魔除けとする。「木太刀」:模型の太刀を持つモドキ舞である。鳥追いの頌歌。「金薙刀」:結界の舞。「木薙刀」:モドキ舞。鳥追いの頌歌。「手杵」:飾った立て杵を持つ。頌歌はない。「竹弓」:一定の決まりの竹の弓を持ち後ろに頌歌人がたつ。「木弓」:これも一定の決まりの木の弓を持つ。「散米」:頌歌人が米をまく。ツトッコを手にいわしの豊漁も祈る。ツトッコは魔除けになるといわれる。
『田遊び』:境内で今沢の青年による「代掻き」が始まる。「田植え」:松葉をまきながら田歌を歌う。松葉を田に刺すとよいといわれる。「クライレ」:馬が駆けると田遊びも終わる。いつ伝わったか定かでないが、神社に伝わる江戸期の絵図によりほぼこの頃形式が定まったようだ。ただ長い間に変化し簡略化した。「法田山の田遊び」に影響された同じ文化圏の芸能と考えられる。

・ビデオ「三社祭礼囃子 静岡県指定無形民俗文化財」大須賀町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.36、'98、30分
 三熊野神社は大須賀町横須賀の城下町にあり、かつては港町だった。遠州に熊野三山を祀ることにし本宮が三熊野神社、新宮が浜岡の高松神社、那智が小笠神社とした。
 三熊野神社の祭礼で江戸囃子が行われるようになったのは江戸中期1700年代である。ネリは町衆が三熊野神社祭礼においてツケとしてネリを行ったことから起こった。大須賀の人たちはネリきちと自称するほど山車のネリと囃子が好き。稽古は正月から行われる。祭りは4月第一週金曜がソロイ(宵宮前夜)、土曜が宵宮(朝祭り)、日曜が本祭である。
宵宮午前8時、山車供養順籤引きを神社で行う。神社の前で囃子に合わせひょっとこ面の男が踊り、次に女の子はおかめ面の踊り、最後はひょっとこ面の踊りとなる。本殿を廻って境内に山車が勢ぞろいする。山車をネリといいネリの上部を山車という。囃子は小太鼓二つ、大太鼓、笛は珍しい太くて長い物使用、摺り鉦、ネリは囃子にあわせ軽く足踏みし山車を蛇行させる。境内に勢ぞろいすると当番町が三社囃子を奉納する。「馬鹿囃子」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「お馬」「やたした」「若林」など全曲を披露する。奉納祭が終わると役回りで各町内会所を廻る。自分の会所に戻ると提灯に付け替える。夜祭は自分の町内より東または西に向かう。
 本楽は神輿行列があり、山車は止まり通過を待つ。夜まで引き回し、最後に境内に集まる千秋楽。旗を返し手打ちして終わる。江戸囃子はすでに滅んだが、当所のものは最も古い江戸囃子を残しているかもしれない。
 チーネリ(9月)蓮池は子供だけで山車を引き、大祭のジュニア版である。正月、5月などにある。

・ビデオ「富士宮囃子 静岡県指定無形民俗文化財」富士宮市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.37、'98、30分
 富士宮祭りは11月3日から5日までの3日間、浅間大社の祭りで19台もの屋台が出て勇壮に囃し舞う。富士宮市は富士山南麓に位置し富士山本宮浅間大社が鎮座する門前町で、甲州との交易の中継地としても栄えた。中世以来富士講の道者による登山修行の山の麓として栄えた。江戸期末期1860年代には町方衆の祭りとして行われていたことが分かる。富士宮囃子同様江戸から伝わって来た御囃子には「大東町八坂神社の祇園囃子と祭礼行事」、「大須賀町三社祭礼囃子」がある。祭り前に会所開きがある。19町が各組織を作り実行委員会が統合するシステムになっている。祭り前日山車屋台の点検整備をする。当日各町内ごと出発式を行い宮参りで浅間大社に向かう。屋台から太鼓をはずして行進する。
 御囃子は「にくずし」(祭りの気分を盛り上げる軽妙な音楽)で始まり、「屋台」(勇壮な曲調で競り合いの時に奏する。2種の切り替えがあり一の玉、二の玉と呼ぶ。各町内ごと曲調が微妙に違い持ち味となっている)。「昇殿」(競り合いに勝った側が奏する。)が奏される。キンドと鉦は基本のリズムを刻み、ゴオドは笛と調子を合わせ緩急をつける。打ち手は演奏の綾を工夫してつける。切り替え終了などの全体の指揮は笛がつける。宮参りして御幣を持ち帰る。祭り囃子も奉納する。競り合いは本来出会ったときどちらが道を譲るかを囃子で決めていたことに由来する。屋台が町内の境を越える前に会所に挨拶し、迎える町内も役員が境に出向き迎え、競り合い等について打ち合わせする。立会人を立てそこを境界線とし10分ほど囃子あい屋台もぎりぎりまで近づき相手を圧倒しようとする。その後手打ちし手踊りを披露する。
 2日目、浅間大社前や門前商店街で競り合う。提灯が点り夜祭の雰囲気が出て、共同祭事が行われ、手踊りも行われる。3日目競り合いと手踊りが各所で行われる。祭り後御幣を返し、手打ちで終わり。会所でザシキッパライという納会を行う。
 
・ビデオ「平野の盆踊り 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.39、'98、30分 
 毎年8月14日保存会の人たちにより踊られる。平野は静岡市中心部より20km安倍川を遡り山に入ったところで台地状の平坦な所、白髭神社があり背後に真富士山がある。向かいは見月山の尾根で今川氏家臣の末高氏の館跡と墓がある。黒部沢が安倍川に合流する所が昔の村である。お茶と山葵が主要生産物である。
 大正8年の盆踊り詞章本をはじめ数多く残っている。これらの詞章により中世から近世にかけて流行った小唄の影響が分かる。女踊りに使われる締太鼓には元禄風の模様がついていて歴史の古さを感じさせる。右回りの円陣を組み男女別々に踊る。途中編み笠をかぶった踊り手が登場する。最後は2列向かい合いなぎなた踊りで締めくくる。安倍川流域に広がっていたが、現在平野と有東木だけ残る。
 8月5日七夕の準備をする。6日朝庭に供え、7日川に流す。7日早朝「川原施餓鬼」をする。水難者供養のため、ふせん米をまき川原地蔵に詣でる。寺で「山門施餓鬼」もする。戦没者供養もかねる。夕方「七夕送り」で安倍川に飾りを持っていくが今は流さない。畑に短冊を少し刺して虫除けとする。公民館で盆踊り練習が始まる。後継者不足が問題だった。タイコンサン(女踊りの太鼓打ち)は昔婿取りがやった。男踊りのタイコンサンはかつて調子を揃える花形だった。歌と踊り両方知らないと打てない。8月13日盆の準備。14日朝から墓参り準備、供える「あらいあげ」はなす角切りに米混ぜ朴の葉に載せる。夕方浴衣に着替える。庄屋から寺への道行も再現された。「ささらおどり」をし子供神輿で行進した。寺では「十王さんのお祭り」をする。境内で盆踊りが始まる。はじめは「男踊りのささらおどり」で調子に合わせて歌出しさん(歌手)が歌うが、昔は踊りながら歌う。腰や膝を曲げながら踊る。女のタイコンサン先頭に男踊りの輪に入り交代する。「六つうちこきりこ」はこきりこを立て腰を落とし左右にゆるやかに回す。前に出る時こきりこを打ち鳴らす。中踊りで張り笠を被った男が登場する。「くるまおおぎ」は開いた扇の端を持ち扇を返す所作がある。「かつぎささら」はこきりこを立て左右に腰を回しながらゆったりと踊る。途中でささらを束ねて持ち肩に担ぐ所作がある。娯楽が少ない昔は盆踊りが他の村との交流の場だった。平野でも他村から見物人が来た。男踊りの「こきりこおどり」は腰の落とし具合と回し方がささらおどりに似ている。こきりこを担いだり振り下ろしたりする所作が入る。「送り出し」で盆踊りの最後となり、昔は川原まで送り出し、ふさなどを流した。16日オショウロンサンが帰る日、盆飾りも片付け、供え物を川に流す。

・ビデオ「西浦の田楽 国指定重要無形民俗文化財」水窪町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.42、'98、65分
 西浦は水窪町最北端で峠を越えれば長野県である。住民は段々畑を耕し生計を立ててきた。村を貫く道は秋葉街道として交易の文化の道だった。その西浦ニシウレの観音堂に伝わる旧正月18日の観音様の祭りが西浦田楽である。旧正月17日の御開帳から始まり、お神酒を供える。15日にお神酒のオニグス造りを別当の女性が米で仕込む。開帳後、面等の道具を出しサイカヅクリというとりものをする。23戸の家が世襲で能衆として信仰行事である能を伝える。能衆は別火の食事(家族とは別の火で料理すること)をとる。その後別当屋へ向かい途中神寄せをする。宿にする家にも挨拶する。別当屋では縁側から出入りし日常とは違うことを示す。秋葉講では清酒で火難をきよめる。別当祝いの稗酒やオオバンという味噌田楽が振舞われる。別当祝いの稗酒造りは旧正月7日別当の女性によって仕込まれる。御神酒上げは高杯にトクワカで神寄せする。拝んで笹のトクワカ取りをする。肴は大根である。能衆の稗酒造りは旧正月11日でそれから第一回の秋葉講を行う。これが一連行事の最初である。別当の庭上がりで登拝道や本堂に火を灯し祀る。続いて能衆が庭上がりをしお堂に参拝する。「喜平地の団子供え」、観音堂では灯明を灯す。旧正月18日早朝別当屋で「天狗祭り」を行う。内容は別当にしか伝えない。灯篭をつけたりニュー木を集めたりする。「西浦神楽の奉納」。幕屋に火を点し暖める。「楽堂の組立」。「クゾナワ張り」。「正月17日別当の法印墨造り)「松明の積み上げ」(積み上げ方にしきたりがある。)「クライレ」日没後呼び掛けを合図に全行事が終わるまで脱がない草鞋を履いて集まる。別当屋に集まり庭上がりする。
地能33番の始まり、1「庭ならし」全員で太鼓に合わせ謡う、稗団子を喜平地が主要メンバーに配る、2「御子舞」舞う順番は上組能頭・別当・中組能頭、松明の火は神の火から人の火となる、3「地固め」13尺の槍で地面を掘る、4「もどき」、5「つるぎ」真剣を持つ、6「もどき」木太刀、7「高足」五方を回り松明の前で舞う、8「もどき」滑稽に舞う、9「猿舞」雄猿が仕事をし雌猿が食事を持ってきて問答し雄が舞う、10「ほだ引き」松明の中から1本抜き引き合い願い事を掛ける、11「舟渡し」観音の灯明を舟に移し松明に渡す、12「鶴の舞」3人がそれぞれ舞う、13「出体童子」4人で舞う、ここまでが神鎮めである、ここから田遊びになる、14「麦つき」口上を述べて始まる、15「田打ち」も同様である、16「水口」水干や米を奪う、17「種蒔き」別当が五方に大豆を蒔く、18「よな蔵」狂言風に牛飼い・芝刈・踏み込み・種籾・買い付けまでを演じる、19「鳥追い」ささらを持った4人が鳥追い唄に合わせ舞う、20「殿舞」7人の能衆が持った道具を別当が吟味する、21「惣とめ」花ささら・はんごいつきの2段構成、22「山家惣とめ」ねんねんどうし・まんま(ご飯で子授けがあるといわれる)・稗酒(ねんねんどうしの小便)、ここまでが豊作祈願、クライレ(能衆の夜食、芋と大根の煮付けとご飯)、23「種おり」養蚕の祈願で五方に向かい唱え事をする、24「桑取り」桑の木を持つ、25「糸引き」手に持つのは芋で作った繭、26「餅つき」雨降りで幕屋に移動する、水干を餅に見立ててつく、ここから田楽・猿楽になる、27「君の舞」問答する、ささらも加わる、28「田楽舞」主要メンバーの田楽・能衆の田楽・願主の田楽の3部構成、29「仏の舞」6つの観音面が登場し別当が鰐口を打つ、30「治部の手」以後33番まで面は変わるが振り付けは似ている、31「のたさま」、32「翁」笛は能衆以外でも吹ける人が吹く、33「三番叟」。
はね能、面をつける幕屋別当、役柄に定めはない、12番まであり、うち4番までと最後は決まっているがあとの決まりはない。閏年に限って13番の閏舞がある。謡いは別当が担当する。1「高砂」、はね能の最初と最後は16拍子になる。2「しんたい」初心者はしんたいから舞いを覚える、3「梅花」1・2・3は躍動的男性的な舞、4「観音の御法楽」鬼を退治する田村の舞、5「山姥」謡曲山姥の謡いで舞う、6「さおやま」、7「鞍馬」鞍馬天狗の謡いで舞う、8「猩々」親孝行な息子を讃える、9「野々宮」諸国を巡った僧が伊勢神宮を見て感激する、10「閏舞」4人で舞い閏年のみ行う、11「八島」謡曲八島で舞う、12「べんけい」謡いは橋弁慶で牛若丸が登場する。
神送りである「獅子舞」、「しずめ」、「火の王」を鎮める、「水の王」を鎮め神々は帰る。
毎年旧正月18日は観音様のお祭り。村の役は世襲制で守る。

芸能批評、演芸

2012-05-04 15:49:07 | 舞台芸能批評
☆演芸

・DVD『NHK古典落語名作選 其の一』五代目古今亭志ん生「風呂敷」55.5.4 五代目古今亭今輔「もう半分」76.9.11 十代目桂文治「源平盛衰記」91.7.26 三遊亭圓彌「七段目」82.10.29 
志ん生「風呂敷」は、べらんめえ口調が江戸っ子風でよい。ただ録画が古い分音質がよろしくない。また駄洒落のいくつかは今の人たちには原語すら分からないものがあり、笑えないだろう。べらべらとしゃべくっていつの間にか風呂敷一枚で人を逃がしてしまう切れ味はよい。
今輔「もう半分」は、上品で庶民の哀歓がさらりと出てくる口調がよい。まったくの個人の感想だが、どうもこの赤ちゃんに不気味さより、哀れさを感じてしまい。怪談としての怖さより障害児の哀れさ差別に視点がいって、怪談として楽しめなかった。
文治「源平盛衰記」は、歴史スペクタクルのはちゃめちゃ抱腹絶倒版で、さりげない間合いのとり方が、江戸落語の粋というやつだろう。本来江戸っ子口調のべらんめえ節を抑制させ、淡々と歴史を語りつつふっと笑いをとるところがよい。
圓彌「七段目」は、上品な品格のしゃべり口調で地を語り、いきなり歌舞伎調の物々しい台詞回しへの変化がおもしろい。女形の言い回し、男役のすごみ、地の語りをうまい手綱さばきでかわし、おちへもっていく軽妙さがいい。

・DVD『NHK古典落語名作選 其の二』六代目三遊亭園生「八五郎出世」74.1.5 八代目三笑亭可楽「今戸焼」64.7.26 三代目三遊亭園歌「品川心中」90.11.17 九代目入船亭扇橋「ねずみ」79.1.12 
 ちょいと人情話にほろりときて、やがて落ちの笑いできれいさっぱりになれる。園生「八五郎出世」はキャラの描き分けが飽きさせず楽しい。
可楽「今戸焼」は、。
園歌「品川心中」は前後半の話の雰囲気が変わるのをうまく持っていくのがよい。
扇橋「ねずみ」は、宿屋のおやじのキャラの出し方が人情話としてよい。

・DVD「NHK古典落語名作選 其の三』三代目三遊亭金馬「薮入り」61.2.4 四代目三遊亭圓遊「浮世床」78.7.14 八代目林家正蔵「中村仲蔵」76.5.1 桂歌丸「お化け長屋」89.6.23 
 金馬「薮入り」の面白いやら泣かせるやらの人情話がいい。
圓遊「浮世床」のめちゃくちゃな設定と荒唐無稽な話しっぷりがよい。
正蔵「中村仲蔵」の折り目正しい江戸落語のいなせさか。すっとスマートでべらんめえ調でかっこよく決めるサクセスストーリーかなと。笑わない落語で聴かせて魅せるたあこのことだ。
歌丸「お化け長屋」は現代的かつキャラクターの描き分けがシャープでドライに笑わせるのがよい。

・DVD「NHK古典落語名作選 其の四』六代目春風亭柳橋「こんにゃく問答」73.8.18 十代目金原亭馬生「笠碁」81.9.12 二代目桂小南「三十石」 . .  橘家圓蔵「寝床」92.1.10
 柳橋「こんにゃく問答」は、問答しあう人物キャラ他のキャラの描き分けもよい。
馬生「笠碁」は二人の描き分けが常套的だがばかばかしくも生き生きしていてよい。話し振りとしては碁好きのライバル関係全般は出せているが、二人のやり取りの違いがちょっと聞きづらい。どうも似た者同士として描かれているからだろうが、もう少しメリハリをつけて二人の会話のやりとりの違いを明確にしてほしかった。
小南「三十石」は船宿や船に集う人々の情景をおもしろおかしくも語り聞かせて絶妙。
圓蔵「寝床」は早口にドタバタ、スラップスティック調で、それはそれでよしといえる圓蔵かな、この軽薄さがよい。

・DVD『NHK古典落語名作選 其の五』六代目三遊亭園生「火事息子」78.1.2 八代目雷門助六「長短」75.4.3 五代目春風亭柳朝「宿屋の仇討」79.5.12 三笑亭夢楽「反魂香」89.11.24 
 園生「火事息子」の笑えるようなちょっとほろりと来るような話し振りがよい。
助六「長短」のキャラの使い分けが心憎い。
柳朝「宿屋の仇討」は、気風のよさと切れ味鋭さが両立している。
夢楽「反魂香」は、幽霊話のばかばかしい前置きがおもしろい。

・DVD『五代目柳家小さん 落語傑作選 其の三』「道具屋」79.1.3、18分 「試し酒」80.5.17、23分
 「道具屋」は、遊び人の与太郎が素人丸出しで道具屋商売をするという、よくある設定である。軽い調子で商売知識のない与太郎と買い手のやりとりを軽妙洒脱に描き分ける。
 「試し酒」は、のっそりした酒豪の下男の飲みっぷりを変化させていく手練手管の妙がよい。

・DVD『五代目柳家小さん 落語傑作選 其の四』「粗忽長屋」88.10.29、22分 「長者番付」88.1.9、27分
 「粗忽長屋」は、飄々とまじめっぷりながら、おかしなこと、一種シュールな話を淡々と展開するところがよい。
「長者番付」は、淡々としつつおかし味のある話を時にはゆっくり、時にはスピーディに展開し、差別ではなく共存共栄肯定的に描く。

・DVD『五代目柳家小さん 落語傑作選 其の五』「笠碁」79.1.26、25分 「唐茄子屋」80.8.8、18分
 「笠碁」は、幼馴染の旦那さん同士の碁にまつわる痴話げんかとやっぱり仲直りして碁を打ち合う姿をほほえましくも面白く描く。
 「唐茄子屋」は、遊び人の与太郎がかぼちゃを売りに行かされる話である。素人で商売のいろはも知らぬ与太郎と客のやりとりをいかにテンポよく演じ分け引き込むかが技である。飄々として商売気のない与太郎と威勢はいいが善人の客のやりとりが面白くもユーモアが漂う。

・DVD『五代目柳家小さん 落語傑作選 其の六』「長屋の花見」87.4.11、23分 「首提灯」89.3.18、23分
 「長屋の花見」は、酒の変わりに煮出し番茶の水で薄めたもの、卵焼きは黄色のたくあん、かまぼこは白い大根、敷く毛氈はムシロという、しけた貧乏くさい花見で酔った振り、食べた振りのナンセンス噺。花見を勧める大家と従う振りをする長屋連中とのやりとりの妙。
 「首提灯」は、首を切られたことにやっと気付いた町人のあわてぶりがいいのだろうが、小さんのものはそこに至るまくらの辻斬り部分が生き生きしていておもしろい。

・DVD『五代目柳家小さん 落語傑作選 其の八』「お神酒徳利」76.7.24、42分 「強情灸」74.7.29、19分   
 「お神酒徳利」は、解説では最後に主人公が行方不明になるのが尻切れトンボだと書かれているが、いやなかなか見事な落ちだと思った。もっと聞いていたい気にはなるが、この辺が人情噺の切れごろか。
 「強情灸」は、噺のまくらと熱いのに我慢している表情の変化が笑えてよい。   



民俗芸能 1

2009-06-06 21:51:19 | 舞台芸能批評
☆日本民俗芸能
・DVD「民俗芸能大会 第47回近畿・東海・北陸ブロック」6枚組、05年8月27・28日、国立文楽劇場
(R-1)オープニングタイトル、福井県:若狭能倉座の神事能「一人翁」、
 室町期からの神事能、幕開けを告げる。荘重荘厳で神への厳粛な祈りがある。
奈良県:奈良豆比古神社の翁舞
 室町期からのユーモアある神社奉納舞。お目出度く喜ばしい寿ぎと狂言回し的な滑稽な面白みがある。
(R-2)岐阜県:恵那文楽「絵本太功記」十段目尼ケ崎の段
 神社奉納。若者たちの人形繰りはぎこちないが、真剣な表情に将来に希望を抱かせる。太夫と三味線はベテランで安定している。
三重県:安乗の人形芝居「仮名手本忠臣蔵」五段目二つ玉の段
 安土桃山期から江戸期にかけ志摩市安乗は先進地で重要な港として栄えたことで伝わったようだ。若者たちの語りと人形操りだが、堂に入っていてかなりの練習の質と量を思わせる。レベルが高い。
大阪府:能勢の浄瑠璃「伽羅先代萩」政岡忠義の段
 人形のない素浄瑠璃。語りと三味線が命で、ここにこそぐっとくるというものか。落語の寝床という演目にも浄瑠璃語り大好きという旦那が登場するように、これが流行ったのだろう。レベルが高い。
(R-3)感謝状贈呈式、富山県:出町子供歌舞伎曳山「一の谷嫩軍記」熊谷陣屋の段
 神明宮春祭りの曳山にて上演される子供歌舞伎である。可愛いくも真剣な演技にはらはらしつつ楽しめる。
(R-4)和歌山県:花園の仏の舞
 村の遍照寺に伝えられた。珍しい仏教仮面劇。内容も竜宮伝説と女人成仏を語る珍しいものである。
京都府:和知人形浄瑠璃「長老越節義ノ誉」、
 人形遣いは一人繰りである。本作はオリジナルで地域の伝承実話である。
(R-5)石川県:深瀬のでくまわし「熊井太郎孝行の巻」初段
 太夫の節回しとでくの拍子のとり方が命か。太夫の拍子を聴いていると気持ちが高揚してくる。
兵庫県:池尻神社人形狂言「神変応護桜」、
 神社奉納人形浄瑠璃。本作は宝暦期のオリジナル台本。謡曲調に始まり、浄瑠璃調、説教節調、最後に謡曲調と場面により節回しが変化し、人形も三人遣いと二人遣いがあり、古式が残っているようだ。
(R-6)愛知県:島文楽「傾城阿波の鳴門」巡礼歌の段
 農民の娯楽として伝承され神社仏閣とは関係ない。人形遣いは上品である。
滋賀県:冨田人形「東海道中膝栗毛」赤坂並木から古寺の段
 他にも演目はいくつかあるのだろうが、これに関してはどうもオリジナル台本のようだ。ユーモラスで親しみやすい人形浄瑠璃だ。入門にうってつけ。太夫は登場人物ごと別人が語り、せりふも聞きやすくつくられている。農閑期の娯楽として伝承されたようで、神社仏閣への奉納ではないようだ。人形遣いは大胆でシンプルで太く農民文化風である。

・ビデオ「送り神~野田平・足久保~静岡市の伝統文化シリーズNo.3」企画制作:静岡市教育委員会、'99、25分
 今ほとんど消失し珍しくも現存する野田平の厄払いの呪術的行事である。当地では12月14日に行われる。全国的には12月と2月の8日であることが多い。2月には県内では「新居町大倉戸のチャンチャコチャン」やかつて行われていた「足久保の送り神」がある。実に楽しそうに行われていて、生活の変化や区切りとして人々の楽しみだったのだろう。なぜこの日に行われるのだろう。正月前後の過ぎ越しの祭りみたいなものか。

・ビデオ「有東木の神楽 静岡市の伝統文化シリーズNo.6」企画制作:静岡市教育委員会、'02、25分
 毎年春と秋に行う。16の演目を伝える。明治初期に近郷の中平の神官に習い整備されたという。駿府神楽の一つである。とてもレベルが高い。安倍川流域の神楽の特徴をよく残している。

・ビデオ「神田祭 江戸総鎮守 神田明神」、'03、60分
 江戸の初夏を彩るのはやはり神田祭。開始されるとすぐ木遣り音頭を謡い、神幸行列は108町内全て練り歩き。休憩の昼輦会の様子もある。宮入はド迫力である。恍惚として興奮の極みに至る。勇壮華麗な渡御。けんかと祭りは江戸の華、神輿担いで江戸っ子の仲間入り。

・ビデオ「浅草 三社祭 江戸開府四百年記念 浅草神社」、'03・5/18、60分
 三社祭は浅草神社に祀られている三社権現を祭る浅草神社の例大祭。江戸木遣り音頭で開幕し、大行列へ、神輿渡御、宮出し、町内渡御、宮入りは圧巻。庶民の楽しみ、近所付き合いから連帯感への盛り上がり、非日常時空間での日常のストレス発散、祭りに込めた人々の思い。

・ビデオ「天空の秘境をかける~カンゼチベット族の馬祭り~世界の人と馬の文化シリーズ16」、60分
中国・四川省の西、標高4千mにチベット族の町・理塘がある。毎年8月盛大な馬祭りで馬のレースが行われる。低酸素の高地でのレースは激しい。乗馬こそ民族の誇りである。人々の出会いと楽しみ、日常生活の変化をつける場である。

・ビデオ「西浦の田楽と能衆 国指定重要無形民俗文化財」水窪町教育委員会、'98・10/30、45分
 田楽の前の準備に関連する行事の儀式の数々を逐一報告する。いかなる一連の儀式を通過して田楽に至るか報告されていて参考になる。
 門松立て、別当祝いの稗酒造り、能衆の稗酒造り、秋葉講、オニグス造り・稗団子造り・草履編み、別当祝いの稗酒の口開け、能衆の稗酒の口開け、御開帳、島地のニュー木集め、サイカヅクリ・クライレのお膳・オオバン、神寄せ・お神酒上げ、庭上がり・幕屋での舞(地能・はね能)、天狗祭り、西浦神楽、おこない、メンサイズリ・船作り・松明の積み上げといった儀式が事前に重ねられていく。基本的に世襲制によって守られてきた。

・ビデオ「戸田の漁師踊・漁師唄 戸田村 静岡県指定無形民俗文化財」戸田村教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.7、’93、86分
 第一部、「せぎり唄」で勝呂家の宴に入る。「御船唄・初春」、「鯨突唄と踊り(突棒)」…大きく見上げるような動作で腕を挙げ大きい物を予感させる。「祝唄・戸田浦」、「祝唄・さて今日」、「ほめ言葉」、
 第二部、~漁師唄・漁師踊の全て~ 「祝唄・伊勢音頭」、「祝唄・伊豆巡り(三つ拍子踊り)」、「祝唄・那須の与一(七つ踊り)」、「祝唄・さて今日(おめでたの唄)」、「祝唄・戸田浦」、「祝唄・ならさ踊り」、「せぎり唄」、「鯨突唄と踊り(突棒)」、「御船唄(せきふね)・初春」、「ほめ言葉」、
 第三部、古老の踊り
・「御船唄」、皇帝、松、初春、月見、酒、いなり、さくら。
・「祝唄」には、さて今日、うぐいす、京の糸屋、戸田浦、千代の春、伊豆めぐり、七つ踊り、せぎり、数へ唄、せぎり唄、ならさ音頭、鯨突唄、伊勢音頭。

・ビデオ「静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分
 旧暦二月二十日に「廿日会祭」(彼岸の最中)が行われ、現在「静岡まつり」として四月初め に行われる。家康が建穂寺の稚児舞を愛でたことから知られるようになった。稚児舞が奉納される浅間神社は、長谷通りから石鳥居をくぐるのが表門で浅間神社と神部神社の社殿がある。赤鳥居をくぐると大歳御祖神社の社殿がある。三社を総合して浅間神社という。駿河の国の総社である。稚児舞の記述は戦国末期1557年、「言継卿記」に記載がある。家康は幕府を創立した年に稚児舞の衣装を建穂寺に贈った。建穂寺は明治2年火災になり廃寺、稚児舞もいったん断絶したが、以後断続しつつも継続している。
 稚児選びはあらかじめ選んでおき、承諾を得て神社が決定する。次は稚児奉告参拝が行われる。稽古は四月になると本殿で行われる。当日は浅間神社で化粧し、建穂神社へ参拝し安倍川を渡御し、隔年で出発地点になる別雷神社か小梳神社に行く。ここから浅間神社へのルートは決まっている。
 「振鉾」、鉾で悪霊を鎮めクデンを清める。鉾持ちから鉾を受け取ると開始である。初めは演舞で連れ舞の稚児二人の舞で太鼓・竜笛によるコランジョウの奏楽のよる。稚児は花冠を被り、江戸期は終了後江戸城に届けた。
 「納曽利」、連れ舞が基本だが、当社では撥を持った稚児が一人で舞う。太鼓・鞨鼓に篳篥・竜笛が加わる。
 「安摩」、杓を持つ連れ舞。
 「二の舞」(大人舞)、滑稽な舞、面をつけ、稲束を持ち稚児の周りを舞う。稚児は笑いをこらえ舞う。笑うと不作といわれる。
 「還城楽」、蛇を好んで食べた西域の人が蛇を持ち帰って喜んで舞う。蛇の周りで舞い、最後は蛇をつかむ。太鼓・鞨鼓・篳篥・竜笛、江戸期は建穂寺から楽人が来たが、現在は神社の楽隊である。
 「大平楽」、鉾や太刀を持って舞う魔除けの舞。
 クデンの四隅の柱に刺す又などとともに花を飾る。神のよりしろで山吹と桜を飾る。鉾持ちはクデン入口で初めから最後まで控える。魔除け、悪霊除けである。
 稚児舞は、旧暦二月の農耕の始まりに当たって、祖先を祀り、悪霊を退散させ豊作祈願することが起源で、家康の見た稚児舞は中世の彼岸の舞楽であった。家康自身も久能山に葬られフナラク信仰に関していた。稚児舞は信仰の舞楽から娯楽へと変わった。

・ビデオ「滝沢の放歌踊 静岡県指定無形民俗文化財」浜松市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.13、'94、30分
 滝沢町は浜松市が周辺地域と合併し政令指定都市になる前の最北端の地域だった。標高300mほどに200戸ほどが住んでいる。室町期から戦国にかけて住み着いたらしい。市指定文化財の大日如来像に1310年の記銘がある。放歌踊は旧盆行事の遠州念仏踊りの一つである。
 念仏組は盆が近づくと、初会合が持たれ盆の計画を練る。念仏に使う道具の手入れで、太鼓の撥であるヅチは数年に一度作り直し、練り棒は毎年山から藤づるを取ってきて皮をむいて作る。笠も作る。新盆の家は棚作りもある。8月初め墓地の草刈をし、村の道路の草刈もする。夜は念仏の練習で、大太鼓(桶太鼓)、双盤、かしら(提灯)を準備し、念仏踊りの練習もする。遠州大念仏は見方原合戦の死者を慰霊するため家康が行わせたという。滝沢のものの起源は不明である。かつて雨乞いのために踊ったという。幕末には念仏踊り、放歌踊が盛んと推定される。引佐町東久留米木から教えてもらったが、東久留米木は絶えた。東三河鳳来町の放歌踊とは違い、水窪町西浦の念仏踊りに似ている。
 8月13日墓参り、新盆の家は精霊棚作り、内施餓鬼、夕方迎え火、
道囃子(宮囃子)で警護、幟、かしら、双盤、笛、太鼓、念仏衆、の順に行列して寺に行く。寺に着くと右回りに3周回って位置につく。歌枕(先祖供養)、輪崩しで寺を去り、新盆の家に向かう。庭入り行列、庭に配列し、死者に合った歌枕を選び念仏が始まる。接待(休憩)、放歌踊(藤しろ踊り)、大団扇を持ったひょっとこと扇子を持ったおかめが登場し、こっけいに舞う。笛拍子で終わりになる。
 8月15日は送り火、寺施餓鬼、飾り下げをし、盂蘭盆供養で地蔵堂と寺で踊る。
 滝沢小では学習の一環として放歌踊を行っていて、地域の子は皆知るようになる。

・ビデオ「田代神楽 静岡県指定無形民俗文化財」本川根町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.15、'94、30分
 田代の位置と風土、大鉄千頭駅より徒歩15分でかつて戸数47軒、今89軒。大井神社の由来、大沢に祀られていたものが流され田代に流れ着く。かつて正月19日の農祭りと、三年に一度の三崎神楽が混成した。三崎神楽は泥棒と間違われた聖が殺され、三崎にたたるので、神楽で鎮めるようになった。それを象徴するミサキ石がある。祭りの当番は坂京→田代→崎平の順に年毎実施する。農祭りの変遷は旧正月15日から新暦2月17日へさらに新暦9月15日へとなった。女性も参加し踊る。祭りの準備、練習は盆・正月・茶どきを除いて毎月2回ほど。新駒が大切。もちつき、注連縄作り。9月14日、前夜祭、幣の舞、なぎなたの舞、天王の舞(扇、榊、小弓、幣束)、八幡の舞(弓矢)、八剣の舞(八王子の舞)、ぼたきり。9月15日、道行、本祭、供え物(干し柿、鏡餅、トコロ、ウグイ) 座ぞろい式、幣の舞。駿河神楽は大きく二つに分けられる。五方拝の取り方である。①安倍・伊川型、舞台四隅を目指すもの。②藁科・川根型。舞台四辺中心を目指すもの。仕掛け花火の準備、湯立神楽、湯ちらしの舞、切麻の舞(近年女性参加)、神子式(50年振り再現、足元の俵に大豆が入っている、三笠ふる)、大助(翁)土産を出す、滑稽。五行の舞、鬼面、殿面、火の玉・水の玉、火伏神事、火の舞、水ふり、(当屋での駒舞の準備)、駒舞の道行き、柴燈踊り、駒舞い、田ならし、田植、かぼちゃ、八百屋お七、翁・小冠者、女郎面、花火口上、桜山・紅葉山(仕掛け花火)、恵比寿・大黒、鹿舞、狩人、猿舞。祭りの後、9月16日、鏡餅割。
 「農祭」、「ミサキ神楽」、「神子式」、白山祭りに通ずる擬死再生の儀式が基にある。駿河神楽では初収録。
 
・ビデオ「獅子舞 かんからまち 静岡県指定無形民俗文化財」掛川市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.16、'94、30分
 掛川城を築城した今川家の重臣朝比奈氏が牛頭天王社に獅子頭を供え奉納舞を行ったことが起源である。江戸期には草履履きで城の御殿に上がり舞うことができた。現在は三年に一度の掛川大祭での龍尾神社の御輿渡御の先導役を果たす。祭りの三大余興の一つ。一人立ちの獅子が三頭で舞う三匹獅子は東日本には分布しているが、静岡県内では掛川だけである。準備、練習段階、祭り当日の4日間を撮影した。
 掛川は平安期から宿場町。掛川祭りは市中七つの神社の祭典を統合したもの。掛川大祭は三年に一度で今回は10月8日から11日までの4日間。10月8日、宵祭の儀、各氏子町総代に御幣等手渡し、年番本部開き、会所開き、各町内ごと町内を屋台で回る。御神輿入御の儀。10月9日、浦安の舞、紺屋町の木獅子の舞、屋台の宮参り、かんからまち先頭に御神輿渡御、御旅所に行く。10月10日、獅子舞かんからまちの行列構成、1.天狗、2.花笠、3.花幌、4.獅子、5.横笛と従士。注連縄返還の儀、三獅子は二頭雄で一頭は雌。獅子舞かんからまちの構成は、1.道行、2.三角舞、3.本舞、4.戻り三角舞。三角舞は舞う所を踏み固め清める。本舞は二頭の雄が雌を争うことを時に激しく、時に静かに表し神の前で和合する筋立てである。戻り三角舞に戻る。10月11日会所の前で納めの儀、会所閉め、御幣返還の儀。

・ビデオ「滝沢八坂神社の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」藤枝市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.17、'94-95、30分
 滝沢は藤枝市の山あいにあり、今川氏の領地で大井川に抜ける交通の要項。標高100mだが周囲を山に囲まれ山深く見える。茶、みかん、他に手作り地場産品としてみそ、まんじゅう、こんにゃく等を生産する。
 1月11日、鏡餅割り、初田打ち、ハチのたれ紙を作る。
 2月11日、舞いはじめ(昭和17年より旧暦から新暦にする) 八坂神社(古くは牛頭天王社)
 2月15日、舞いぞろい(総練習)、笛、獅子舞
 2月16日、祭り前日、もちつきでリキヒョウという鏡餅を作る。幟旗を立てる。舞台は榊を立て結界し八丁敷「舞庭」、当番はご馳走作り、昔はこりとりした。面をつけない。
 2月17日、田遊び演目比較、現在:1.薙刀、薙刀を持ち白装束で悪霊鎮め、修験者の結界作法の舞が元、薙刀もどきは結界を作り滑稽さはない、2.獅子、獅子の霊力をもってさらに清める、伎楽系の舞、扇子で獅子を招き獅子が同じ動作で舞う、さき払い、3.祝詞、鏡餅りきひょうに向かい祝詞を奏上、4.千万歳、家の安泰と長寿を祝福する至福芸能、子供たちがささらを持ちはやし大人が各種ほめる、5.白刃、舞台を結界するしゅし芸で昔は村の成人した若者が演じた、かたなの手という結界作法の一つがある、6. 筏、詞章を謡い動作がなく古い猿楽の形態を残す、7.十六拍子、千万歳に登場した子達が扇子を持ち舞う、十六拍子もどきは前のものが終わってすぐ舞い戻って行う、8.山田打、餅で作った鋤を持ち問答し田を打つ耕作を祈る舞、9.麦つき、詞章を謡い所作がない、平成に復活した、10.田植、ささらを持った子達が田植えの所作をしお囃子はのびやかである、田植もどきは扇子に持ち替え掛け声をかけて1周回る、11.孕五月女、子達が取り囲んだ中の孕五月女が子の稲の霊を生みそれを耕作しに来たあるじが喜んで拾うという演出もので全国のここしかない、今は木の又であるが昔は稲藁であった、12.耕作散田、石高の帳簿作りを模擬的に演ずる、薙刀持ちの滑稽な一人芝居もつく、全国的に珍しい演目、13.年頭、年頭の挨拶を狂言風に演ずる、昔は恵比寿面でえびすといわれた、14.白刃、前段と同一でしゅし芸の結界作法で田遊び演目から前後のものになる、滝沢八坂神社の秋の神楽との相互関係か、15. 九字、密教や修験道の結界呪法、御朱印を結ぶ、二本九字、組九字、日天九字、月天九字、最後に抜刀し結界し終わる、九字もどきは四股を踏む所作で右回りに1周、16.太平楽、今はない鳥追い同様伎楽系の舞で結界目的、17.獅子、結界目的で霊力を授かるため見物人が触る、18. 薙刀、あと払いで薙刀を本殿に返すと全演目終了、
江戸時代:1.2.3.同じ、4.種あて、5.筏、6.えびす、7. 千万歳、8.九字、9.耕作、10.所定め、11.苗代ふみ、12.草ひろげ、13.代ふみ、14. 白刃、15.鳥追い、16.あら田打ち、17. 孕早乙女、18. 山田打、19. 麦つき、20. 十六拍子、21.代かき、22. 田植、23. 太平楽、24.新五郎出、25.御神田の鳥追い、26.稲刈り、27.獅子、28. 薙刀、
他の資料から江戸時代に演目が混乱したことが分かる。
 今、午後6:30開始、午後11:30終了、昔は朝日が昇る頃まで行った。
 2月18日、オリビラキ、リキヒョウの鏡餅割りし氏子に配る。安産お守りといわれる。

・ビデオ「高根白山神社古代神楽 静岡県指定無形民俗文化財」藤枝市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.21、'95、36分
 毎年10月29日奉納。所在地は、藤枝市瀬戸川上流水源地、高根山に鎮座、神楽を継承している蔵田の集落は中腹にあり全42戸。800年前石川県から分霊、明治2年神仏分離令まで市之瀬の宮司・遠藤家が専任、神楽伝承も、昭和20年代まで市之瀬中心。うとうげの滝はうたげの滝の意で、市之瀬はこりとりの瀬の意で、こりとりしうたげをして参拝する農神さんへとなる。昔雨乞いでうとうげの滝の水と白山神社の土をもらい田にまくことがあった。
7月19日ムシアキの日、仏(つくりの神さん)を田んぼの人(農家)が信仰し山へ登拝した。志太平野では瀬戸川水源地として高根白山神社を農耕神として信仰した。10月29日秋の実りの喜びを伝える収穫祭として奉納がある。ウタテを含む山伏神楽の一つ、大井川左岸から安倍川までの駿河神楽として、この地域に広く分布。陰陽五行思想に基き舞台の飾り立てや舞が演出される。天井の九本の注連縄は山伏の九字を切る結界の呪術で、64の升目は日本全国64州である。舞台の四隅と中央の締めだれはウサといい、青:木・春・東、赤:火・夏・南、黄:土・土用・中、白:金・秋・西、黒(紫):水・冬・北で五行思想であり、舞台はこの世を凝縮している。舞もこの五方を順次拝する五行拝である。本番が近づくと麓の聖人堂で練習がはじまる。昔は市之瀬へ歩いて習いに行った。
本川根町坂京の中野家に残る史料で文政13年木版刷りの高根神社神楽における神楽奉納を一口加入で舞い、当日の参詣を誘うものが残されている。藁科川清沢神楽、川根笹間神楽と交流があり、中川根町徳山神楽、瀬戸川滝沢神楽とも交流があったようだ。市之瀬の人で各地を舞い歩いたという例がある。徳山神楽では延宝2年の祭文が残る。おそらく高根白山神社でもその程度遡るだろう。
 祭り前日10月28日、聖人堂で準備、朝までおこもりする。
 10月29日、幟を立てる。昔は青池(藤枝市警察署近く)の水で舞台を清めた。
神楽式 演目
 弓矢やかなづちを持つとりものの舞と、仮面をつける人形舞がある。
1.神迎え:座揃え。
2.幣の舞:神楽全ての基本、どうがかり、大拍子、くずしとなっていて次第にテンポを速める序破急の3部構成である。
3.天狗面の舞:左手に榊持ち神々を案内する。猿田彦の故事にちなむ。
4. 湯立て(ユボコ)の舞:湯立て神事が早くに消失し舞のみ伝わる。
5.天王の舞:とりものを勺→榊→弓矢→幣束に取り替えていく。
6.殿面の舞:面形の舞で駿河神楽全般では他の人名のものがある。
(7.道化面の舞)…(数字. )は現在伝承なし
8. 五行(ごほう)の舞:陰陽五行思想の木火土金水の5つで、この世が安らかであることを願う。
9. 米の舞:舞台の四方で参拝する。はじめに近い演目に組まれている。地域により最終に近い神返しのこともある。
(10. 宇津女の舞)
(11. 金山の舞)
12. 三宝荒神の舞:三柱の神を鎮める。
(13. 米吉面の舞)
14. 姫の舞:女面の舞で二人の道化が絡み、駿河神楽ではここだけである。宇津女の舞は駿河神楽の一人舞に多くあるがここにはない。
(15. 加藤面の舞)
16. 剣の舞:木火土金水等の九字を切る刀伏である。
17. 戎子大黒の舞:鯛を釣る滑稽な無言劇。
18. 八幡天皇の舞:弓矢を五行に飛ばす。ここでは後半に行う。悪霊除けの五行固めの目的で、くずしで一人舞する。弓矢は魔除けになるといわれる。
(19. 火の舞)
20.神返し:しめ切、天井の幣を切って神を返す。
 伝承のために後継者が大切である。川根や藁科との交流の中で形が整えられる。心を癒し豊かにしてきた農耕神事である。

・ビデオ「島田鹿島踊 静岡県指定無形民俗文化財」島田市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.23、'95、31分
 島田は大井川下流の宿場町で1601年制定され、今も川越遺跡が残る。宿場の中心にある大井神社は865年本川根町大沢から遷座し1276年御仮屋町に移った。大井神社の3年に一度の大祭が旧暦9月15日に行われていたが、現在10月15日までに近い日曜日に行われる。それが島田大祭「帯祭り」で、鹿島踊は大名行列(県指定無形民俗文化財)とともに行われる。祭りの隊列は、大奴・大鳥毛・神輿行列・鹿島踊・屋台である。長唄祭りとも云われ江戸から師匠を呼ぶことさえあった。
当地の鹿島踊は春日神社に疫病退散のため踊ったものとされる。鹿島踊自体は1814年には存在した東伊豆町北川(ホッカワ) 鹿島踊を鹿島神社で踊ったものがある。目的は村の穢れを海に流し海から幸を招くというものであり、道具は柄勺・お鏡・幣束を持つ。それらに共通性が見られる。鹿島踊を踊りこむと家内安全になると云われる。
 行事の手順は、お門入りの依頼、踊り子の依頼、保存会で道具の修理、衣装合わせ、総合部会、中老祭典本部開き、青年の応接回り、祭りの10日前から練習開始となる。95年は10/10稽古上げ、総練習として本通りで町内の人たちに見せる。宿場東端に御仮屋作り。10/12本番、大井神社に参拝しお祓いを受ける。鹿島踊の隊列順序は白丁・三番叟(かつては本通りの長男だけに許された)・お鏡(杓子)・鼓・ささら・楽人(笛・箙・小太鼓・大太鼓)である。初日は町内披露でお門入りし、青年長の合図で踊りが始まる。終わると接待を受ける。10/13・14町外披露で、他の町内に行くには青年伝令が伝える。お宮巡りやお門入りもする。10/14大井神社で御本祭を執り行う。10/15大名行列→神輿行列→鹿島踊→屋台の順に行く。杉村家中せん祭、昔杉村家先祖が大井川を流れた神を拾い祀ったというので、神輿が立ち寄る。御仮屋でお旅所祭。鹿島踊もお旅所巡りし1周回る。神輿を大井神社に戻し、鹿島踊も舞い納めし、大祭本部で舞い納めして終了である。

・ビデオ「掛塚祭屋台囃子 静岡県指定無形民俗文化財」竜洋町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.1、'94、30分