兵藤庄左衛門、批評

芸術、芸能批評

妹のこと ’19 10/12

2023-03-12 17:35:28 | エッセー
・妹のこと ’19 10/12  
 昭和36(1961)年4月3日生まれ、だが本当は3月31日か4月1日生まれ。早生まれで一つ上の学年にするのが可哀そうとのことで、4月2日にしようとしたが「しにん」で語呂がよくないので、4月3日で出生届を出したとのこと。
 小学校は地域の小学校(中央)に入学したが軽度知的障害があり、「なかよし学級」(特別支援学級)で教育を受ける。中学校は通学費を市が補助するとのことでバス通学して、少し離れた中学(桜木)の特別学級に入学し卒業する。
 進路は少し離れた地域の工場(島田市、日清紡)の寮に住み込みとなった。そこでは通信制の高校が併設され、働きながら高卒資格を得たが、職場での人間関係に疲れ、退職した。家庭に入り、家事手伝いとして母の手伝いをするようになった。
休みにはファンシーショップ、CDレコード店、書店等を回っては、店員と話をして、ジャニーズ系アイドルグッズや可愛い小物を集めて、芸能ネタで楽しんでいた。
2010年頃家庭で突然倒れる。脳梗塞で半身不随。(掛川市民病院、御前崎病院リハビリ)入院手術、リハビリを受ける。(掛川北病院)でリハビリに励み、車いすながらトイレ処理等はできるようになり、セラピストが話し相手となる。家庭から病院リハビリにデイケアに通う日々となる。母が骨粗症状で骨折が多く面倒を見られず病院に入院となる。病院生活ながらリハビリを楽しみ、笑顔の写真が多く残っている。病院イベントやカラオケを楽しんでいたようだ。病院作製のアルバムに残っている。リハビリでは塗り絵に励んでいた。藤子不二雄の漫画を気に入っていた。
 2019年8月突然黄疸症状を呈し、肝硬変であることが分かる。すでに治療うんぬんではなく、終末医療となる。9月28日見舞いの折り、友達や知り合い関係等を問うと、見舞いに来た人はいなくて、話し相手は看護師とリハビリの方たちだけであることを再確認する。そこで家族葬の予定を考えた。
10月2日夜突然病院より電話があり、症状の急変があり得るとのこと。10月3日早朝、電話で病院に来てくれとのこと。呼吸器をつけつつ浅い苦しそうな呼吸をしていたが、9:08頃、呼吸が静かに止まり、アラームが鳴り響いた。9:10医師より臨終を告げられる。享年58歳。


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