兵藤庄左衛門、批評

芸術、芸能批評

学校のおもろい話

2023-03-12 17:54:47 | エッセー
  出勤簿
 以前勤めていた学校での話し。
 ある名物先生(  )は出勤簿に印を数ヶ月間ついたことがなく、事務室からつくように言われつくようになった。しばらくしてからそれが他人の欄についていたことが判明し大騒ぎ。それにしてもその他人も数ヶ月間ついたことがないってことなんだよね。その学校自体がのんびりしていたというか、自由だったんよね。

  名物三兄弟先生
 はんこつかないで有名になった先生は三兄弟の末っ子で、上に一卵性双生児の双子の兄がいて先生をしている。この三兄弟は伝説の三兄弟と云われる。
 一方の方の兄は、けっこうのんびりというかおおざっぱというか、まあそういう人である。あるとき趣味のハイキング会を主催し山に行くことになったが、集合に遅れるやら弁当やら何やらの買い出しにかかるやらで、結局山に登る前に日が暮れた。
 その人のかみさんは料理が苦手だそうで、料理作るたび鍋を焦がし、そのたび鍋ごと捨ててしまうとのこと。口癖は、「まっそういうことで、いいじゃないですか。」であった。
 もう一方の方の兄は、付近にある文房具、つまり鉛筆や消しゴム等を使うと自他の区別なく自分の筆箱にしまってしまうので、自分の筆箱はいつの間にか破裂せんばかりに膨らみ、付近の他人の文房具はなくなりやせ細っていくのである。そして膨らんだ筆箱になくなった文房具類がごちゃまんとしまわれているのを周囲が発見し、唖然。口癖は、「なすがままなら、きゅうりはパパよ。」であった。
 
  体育会系教師
 とある体育の先生、職員室で何やら削っているので、尋ねると、「これだ。」と言って、削りかけのバットを見せた。何でバットなんかわざわざ削ってたんだろう。いまだに謎である。
 また、「今日はこれだ。」と言って、朝からゴルフクラブをブンブンぶん回していたり、授業が終われば晩まで、「これが研修だ。」と言って、サッカー、バレーボール、ソフトボール、バドミントンに日夜熱心に取り組んでいた。ひたすらスポーツオンリーな先生暮らしであった。仕事より体育命。

  白衣
 とある先生達三人組、何を考えたのか、というか、隣接の病院の行事でリンボーダンスをした。その時衣装としてスポットライト映えするよう、看護師の白衣を借用し着用した。無論男三人である。そのあられもない格好でリンボーダンスを見せ、婦長に不評を買い、その格好のまま、学校内を練り歩き、周囲を唖然とさせた。
 この三人組及び周囲の者達は、忘年会等でもセーラー服を着て、「セーラームーン」の真似をしたり、ウエディングドレスを着たり、あられもない格好で踊り狂ったりと、あらゆる痴態を繰り広げた恥さらしである。
この踊りのとき、工事用ヘルメットを着用し、その上にパトライトを明滅させ、道頓堀にあるグリコの一粒百mの看板絵の模造紙を突き破り登場し、競泳用海水パンツというビキニスタイルの下半身もっこりで下半身をもこもこ動かし扇情的というより、恥辱のスタイルで踊り狂っていた。そして後ろには企画立案者たちがエレキギター、ベース、ドラム、キーボードでかっこよく演奏していて、前で踊っているのは企画者達におだてられ踊る羽目になった馬鹿ばかりであった。
 「セーラームーン」の真似だったときは、セーラームーンキャラのついた幼児用パンツをはこうとしたが、あまりにサイズが小さくはけなかった。阿呆。ちなみにセーラー服は憧れの英和女学院の三本線のセーラー服だったそうな。

  河童
 学校のプールには河童が住むと云われた。シーズンオフで緑色の藻に覆われた夜のプールに水音が立ち、黒い影がうごめくのだ。
周囲は一年中出没すると、思っているようだが、詳細に観察するに、プール清掃後の6月から最大で12月下旬の2学期終業式までで、平常11月中旬までで打ち切りとなる。本人に聞くと、11月中旬で、ウェットスーツを着用していても水温低下で凍えるためで、まともに泳げるのは11月上旬で精一杯だそうだ。12月までのときはウェットスーツに手袋、靴下、ラッシュガードまで着用しながら震えて泳いでいた。単に話題を提供し、新たな非常識かつ阿呆な伝説を作らんとするためのやせ我慢だったそうなので、以後二度とこの時期まで出没しなくなった。ようするに根性なしである。またプールの水はクロレラの味になるそうな。この先生の口癖は「学校はワンダーランド、学校はレジャーランド」だそうで、いったい何しに学校に行っているのか。

 おちょくる子
この子は、名前を呼べば「ハイ」と返事ができるのだが、呼びかけられると、呼びかけられたことは分かっていて、わざと違う返事で「あいやー」とか「はーう」と答えるとか、顔を左右に振ってニヤニヤしたり、手でテーブルをたんたん叩いたりと、ふざけた真似をしては、先生をおちょくるのだ。トイレではおしっこをする気になれなくて、話して聞かせてもそっぽを向くような嫌そうな表情になり、おむつにするか、おむつをはずせば床でも車椅子でもどこでもトイレ以外に黙って静かに出し、見つかると「へへへ。」という苦笑いのような、してやったりというような笑顔になるのだ。食事での摂食機能にも課題があるので、口周辺の訓練体操もしていたのだが、ここを触ると真顔になり、手を出しこちらの手をむんずと掴み、「俺の顔に触るんじゃねえ。」と言いたげな表情で振り払うのだ。こやつわがまま、しかも天邪鬼、自分のやりたいようにやる、なんちゅーやつ。

 プールの底で笑う子
世間で言う寝たきりの子で、歩けない、しゃべれない、座れない、自分でトイレや食事等ができないというほとんど赤ちゃんと同じなのだ。しかしこの子は表情は豊かで、笑顔がとても人をひきつけるのだ。そのためこの笑顔に出会うと、出会った人も幸せな気分になるのだ。ただしぞっとしたこともあった。それはというと、夏に水遊びの学習をしていて、ビニールプールの淵に首をもたれ掛け、頭を水から出していたのだが、いつのまにか彼が見えない。どうしたかと目を凝らすと、水中というか水底に彼は沈んでいて、水面上の私たちを見てニコニコ笑っているのだ。しかも口から空気の泡をブクブク出しながらである。このときにはその笑顔を見てぞっとした。無論すぐ引き上げ事なきを得た。彼は自力で姿勢を維持できないので、ずるずると水底に体がもぐって行ったのだ。そして恐怖のあまり顔を笑わせるしかなかったのだ。

 先生をばしばし叩く子
この子は歩けない、しゃべれない子だが、気に入った大人を見つけると、一緒に遊ぼうとする。その方法のひとつがその大人の体を引っ張る、つねる、手で叩く、後頭部で頭突きをかますである。ただし頭にシャントが挿入されているのでこれはやめてもらいたい。しかし当人は大人が「やめな」と指示すればするほど、おもしろがってよけいやるのだ。先生の言うことは聞かないのである。何ということか。この天邪鬼ぶり、たいしたものだ、頼もしい。人の言いなりに生きない。自分の思いは表現する。少々頑固者がいい。先生をおちょくる態度がいい。

 先生を挑発する子
この子、少し言葉をしゃべれるがはっきりしないし、歩けないが、いたずら者の目をはっきりするのだ。いたずらな目つきになると、これ幸いといたずらを先生に仕掛けてくる。しかもニヤニヤしてわざとやるのだ。それに対する先生の受け方を試しておもしろがるのだ。お互いのやり取りを自ら仕掛けてコミュニケーションをとろうとするなど、えらいやっちゃ。この子も先生の言うことを聞かない、天邪鬼なのだ。

 寝た振りする子
この子はしゃべれない、歩けない子だが、別に関心のないことに対しては、目をつぶって見ようとしない。ちょうど電気製品の待機電源状態のようになるのだ。省エネタイプというか、本当は自分の人生の何かをこの態度で表しているのだろう。見る気になれない物事は目をつぶってしまううち、本当に眠くなって熟睡してしまうことも往々にしてあるのだ。この子も先生の言うことを聞かない天邪鬼だ。 
  
  院内学級
珍しいことではあるが、時々病院内に学校の学級が設置されていることがある。学校から教師が病院に派遣され、病院の一室で授業を行うのだ。基本的には小・中学校義務教育の補完である。近隣の小・中学校の管轄のこともあれば養護学校の管轄のこともある。養護学校管轄のときは養護学校教師が赴くことになる。生徒総数に応じて教師数が決まるので、生徒が少ないと、赴任する教師はたったの一人か二人である。一人の教師がたいてい小学一年から中学三年まで受け持つことになる。中学三年生の国語、数学、英語、社会、理科等ともなるとそれなりに難しい。場合によっては他に美術、技術家庭、保健も含めて全教科を一人で受け持つこともある。そのうえ養護学校教師だと普段教科学習を教えていない。教師も一から勉強である。それがまたおもしろいのであるが、当然教師に分からないことがいっぱいになる。生徒から質問され、「ごめん、先生分からない。また調べておくよ。」のせりふが日常茶飯事と化す。そして結局調べても分からないこともあり、正直にそう言うだけである。しかしそんな中でも子供たちはおもしろまじめに、まあまじめかつ楽しく学習に取り組むのだ。不思議といじめなどなく、皆協力的で、上級生は下級生の面倒をみて、下級生は上級生を立て、同級生同士助け合うのだ。家族から離れ入院していることでフォローしあうのが当たり前みたいになっていた。

  院内学級ドタバタ
とある地方の総合病院に院内学級がある。学習用として小児科内の一室を学習室として借りていた。病院というのは時々増築や改築があり、その都度、小児科病棟や学習室の引越しがある。改築中のあるとき差額ベッドのある個室で最高級スイートルームみたいな部屋が空いていて、学習室としてあてがわれた。床はふかふかカーペット、壁はそれに合わせた高級内装壁紙で、高級ホテル並みだった。そこで学習している中に、実は幼稚園児で、学籍外の子だが、病棟からの要請と、こちらの温情で小中学生ともども一緒に学習していた子がいた。実はそれやこれやで高校生も学習に参加していた。あるとき理科で虫メガネを用いた学習をしていた。虫メガネのレンズで光の焦点を絞ると発熱、発煙、発火することも学習した。この子、目を離したすきに虫メガネで焦点を絞り、よりによってカーペットから発煙発火させるボヤ騒ぎを起こした。そのこと自体はそこで終わったが、カーペットの黒こげしみは残り、結局カーペットの張り直し、しかも特注で同一物がなく全面張替え、しかもそれに合わせた壁紙も全面張替えと相成った。その費用たるや、数百万円かかったそうな。病院に大損害を与えたのだ。むろん即刻学習室は別の庶民的な部屋に変わったことはいうまでもない。えらいこっちゃ。

 アはキリンのウー
この子は遠く関西から入院して、院内学級に転入した子である。ちょっと知的にも遅れていて学年相応の勉強についていけなかったし、内気で無口で、もといた学校ではいじめの対象だったようだ。しかしこの院内学級の水があったのか、急に明るくなり、妙に自己主張をするようになった。その一例が、病棟から朝登校してくるなり大声で、「アはキリンのウー。」などというわけの分からんというか、シュールというか、面白おかしいことを言い出したのだ。それまで世間に抑え付けられていた自分の思いを吐き出すようになった。学習に生活に自分の思いをアピールするようになった。図工の絞り染めでも決して器用ではなくはっきり言って不器用なのだが、その不器用ゆえに大胆に紙や布を巻いて染料にドボンと浸けてしまうのだ。そして開いてみると鮮やかで大胆な図柄ができていて、変に器用に繊細に作ったものより迫力があるのだ。お見事として褒めたくなる物になった。本人は何事にも自信のない子なのだが、このように褒められることが多くなって、生き生きした表情が出るようになった。あげくが関西の漫才師のようにひょうきん者としての地が出るようになった。ちなみに「アはキリンのウー」は学習中、先生から「小は小学校の小。リはリンゴのリ。」などと教えられていたことを、ヒントに自分流にへんてこにアレンジしたらしい。
転入してきた当初、何事にも集中力がなくすぐあきらめる子だったが、実は集中力があり負けず嫌いであることが分かった。技術家庭の作業で物を作ったとき、当初は不器用ですぐあきらめてしまうので、こちらであれこれ手助けしていたが、地が出るようになってから、手伝おうとすると「やめて」と言われるようになった。それでも不器用そうにうまくいっていないので、見ているこちらがいらいらするというか、体までくねくねしてきて、「いい手伝ってやる。」と言って、手を出そうとすると、「じゃかあしい。手え出すんじゃねえ。」と答えるようになった。「何や、えらそうな口きくようになったなあ。」と言うと、「あたりまえやろ。アはウルトラマンのシェーやから。」とまたわけの分からんこと言うのや。自分でできるまでもくもくと頑張る子だった。ただしこの子は退院後、すぐ別の施設に入所することになった。家庭で引き取ってもらえなかったのだ。
院内学級というところは入院している間だけの仮の宿りの学校で、退院すれば元の学校に戻って行くシステムで、一年間で子供のほとんどが入れ替わってしまうほど、転入転出が激しい。それにしても院内学級にいて、多くの普通学級からの転入生に出会って思うことがあった。普通学級でこれほどまで傷ついている子が多いという事実だ。普通学級でこれだけ傷ついているということは、普通の世間というのは果たして大丈夫なんですか。競争社会、勝ち組、負け組というレッテルの社会は大丈夫なんですか。私はついていけない。

 自分のまひしている手をたたく子
 この子は肢体不自由軽度知的障害児である。この子の場合ようするに脳性まひで自分で歩くことが大変な子だが、人と話はできるし生活力はあるが、ちょっと学力の足りない子である。学習ではひらがなの読み書きができ、一桁の足し算ができ、漢字や掛け算が苦手である。
 この子、話はまともにできるし、性格のとてもよい子でした。この子と文字の書き取りをしているとき、手にまひがあり、きれいに書けないため、自分の片手でもう一方の手をたたき出し、「この手が悪い。だからきれいに書けない。」と言うのでした。たたく行為を止めざるをえなかったが、何せ自分の手を責めても致し方ないが、返す言葉がなかった。

   院内学級てんかん病棟にて
 中学生の入院児で、普通に話せるし、勉強熱心な子だった。しかし記憶力が少し乏しかった。というか、こんな具合だった。
 国語の学習で漢字書き取りの成績が思わしくなかった。そこで授業中、漢字書き取りを繰り返し行い、覚えた。そして直後に、その漢字の書き取りテストを行った。結果は散々だった。わずか数分、十数分後に記憶が薄れていってしまうのだ。おそらくてんかん発作のため脳が微細な損傷を受け記憶力にダメージがあると思われた。本人は熱心に勉強に取り組むのに、覚えられないのだ。記憶力による丸暗記だけが学習ではない。生きていく力というのは、それより大きな何かがあるように思いたい。

  持ち物調べ
ある時、持ち物調べということをすることになった。阿呆な先生は「持ち物調べって、何か学校みたいじゃん。」とのたもうた。そしたら「だってここ学校だから。」と言われた。「そうかここ学校だったのか、アハハハハ。」と、いったいここが何なのかさえ気付いていなかったという、駄目先生の話である。この先生、常々、「学校はワンダーランド。」と思っていた。要するにレジャーランドと同義語だったのだろう。

 B級グルメ
とあるへんてこ先生、またまたへんてこなことしてはるわ。まっとうなグルメになれるほど、エンゲル係数、つまり食費に掛けられるわけじゃなし、というわけで、B級グルメ、ラーメン味めぐりなどやりだした。味の違いなど分かりもしないくせに、うんちく傾け、ああでもない、こうでもないなどとわけの分からんことわめきちらして食べ歩く、つもりだったらしいが、結局挫折したとの風のうわさである。何事にも根性なし。

空き時間
とある先生、年度初めの時間割を決めるとき、4時間目に空き時間がほしいとのたもうたそうな、なんでかというと「お昼に味噌汁を出したいので、それを作る時間にしたい。」と申し出た。無論却下。でもこの先生がたまに作ったお昼の味噌汁はなかなかリラックスタイムになってよかった。お堅い先生達は、「何で昼に手作り味噌汁なんか出てくるのよ、学校をなめてんじゃないのよ。仕事が大事。こんなことする暇があったら仕事をしなさい。」と、のたもうていた。おおこわ。
またこの先生、研修発表会の日に、来校された方々に是非温かい物を出そうと頑張った。その結果、学校中朝から甘酒の匂いがぷんぷんと漂い、いったいこれは何?という状況になった。無論お堅い先生達はキーキー怒りまくり、甘酒は捨てられてしまった。甘酒で持て成したいという、あったかい気持ちは無残にも葬り去られた。

  女教師によくあるタイプ
何にせよ、すぐ人を呼びつけ、人にやらせようとするタイプである。他人をあごで使うというか、アッシーにするというか、他人が物事をいろいろ抱えているか否かはどうでもよく、本人が忙しいから、とにかく他人に割り振るということらしい。これが女教師の特権だとでも言う気はないらしいが、それで当たり前と思っていることは間違いない。この最たる被害者の件に関しては、特に小学校に勤めた男教師は悲惨な目にあいやすい。なぜって公立小学校はたいてい女教師が多く、男教師がたいていの仕事を割り振られてやらされることになり大変らしい。これら女教師は家庭などのプライベートでも他人を呼びつけ割り振りをしだし、不評を買うようだ。

  いたずら、学校のトイレ前にウンチ模型を置いたら
この阿呆教師、ウンチの模型を人からもらったまではよかったが、何を考えたか、学校のトイレ入り口前に置いて、他人の反応を見ようとうきうきしていた。しかしその後一向に騒ぎ出す気配が見られなかった。数時間後、とつとつと「あのう、トイレの入り口に何かありませんでしたか。」と先輩教師に聞いた。「あっ、何か落ちていて誰それ教師がトイレットペーパーに包んでゴミ箱に捨てたそうですよ。」との返事であった。阿呆教師、大慌てでトイレのゴミ箱に行き、中を探り、ペーパーに包まれた模型を回収した。笑いを取れず、真に受けられたことでくしゅんとしたが、その後先輩教師たちに苦笑され、まっ、ちっとは受けたかなと自画自賛した。阿呆だあ。学校でいたずらする教師がどこにいるか。いや、ここにいた。

卒業証書授与で寝ていた子
 この子は大物だった。卒業式の練習では、在校生たちが大声を立て騒ぐのを聞いてニヤニヤしていて、しまいには「あは、あは、あは」と笑い声まで出して喜んでしまうのだった。まあそのこと自体が失礼なことではあるが、練習中車椅子に座って起きていて、興味をもって周囲の様子を見聞しているので、本番も大丈夫と思った。が、これが大失敗。当日朝からおめかししてよそ行きの服を着て、うはうはとお喜びであった。しかし、がーん。本番が始まったらうとうとし出し、とうとう眠りだした。まいった。本人が卒業証書授与で呼名されても、ぐーぐーであった。私が介助で車椅子を押し校長の前まで行くと、校長が小声で「起きて」と、のたまわれた。証書を校長から手渡され、やっとうっとうしそうに目を開けた。私は卒業式に卒業生が寝ていたというのは始めてであった。なんとも記憶に残る子であった。
 ただ聞くところでは、卒業生とその親まで寝ていたという話がある。さすがに親子で寝ていたので教師たちも驚き千万だったそうだ。すっごい大物だ。しかも親子で。あんたはえらい。
  
   入学式に寝ていた先生
 どこの阿呆か、入学式の間中、寝ていた教師がいた。入学式が始まったとき、確かに起きていたのだが、ふっと気がついたら、入学式が終わるときだった。これには本人も驚いた。始まったのは覚えているが、次は終わるときだった。とにもかくにも式の間中の記憶が一切ない。うーん、よくも式の間中、完全に寝られていたものだと感心すること、しきりである。がはははは。

   参観会
 近頃参観会での保護者のマナーのひどさを指摘されることが多い。こんなら例があった。
 参観授業の間中、教室の後ろに置いたパイプ椅子に座り、一時間中携帯電話とにらめっこしメールを打ち続けていたお母さんがいた。授業は全く見ていなかった。教師がその人を呆れて見ても、気付くことなくメール打ちに必死になっていた。たいした集中力であった。褒めて進ぜよう。
 参観授業中、廊下でお母さん同士で井戸端会議に花開き、どんどん声が大きくなり、笑い声、嬌声が教室内にまで響くようになったが、おやめにならないのだ。一時間中ぺちゃくちゃ話していた。この人たち何しに来たのでしょうか。
 でもね、学校に来るだけ保護者としては全くまともです。いかに多くの保護者が全く学校へ来ないことか、一年に一回ぐらい、ちったあ学校に見に来てよとは思います。
 保護者面談に出席予定の母親が待てど暮らせど来ないので、電話をしたら全く忘れていたそうな。そしてどこかへお出掛け中のようなので、後日に予定を変更した。まっ、こんなことはよくあることで、でへへへへ。

~重症心身障害児者施設での話~
とある先生が訪問教育所属で、重症心身障害児者施設に通っていた頃、見た話である。
 牢名主
とある女性患者さんいつも特製椅子に座って職員さんたちに話しかけていた。腕を胸元の中に突っ込んで、ちょっと眉間にしわ寄せたポーズでである。それって牢名主みたいであった。そうして大好きな看護師さんを呼ぶのだ。「○○さん」と大声かつ横柄そうに呼びつけ、「こっちおいで」と言っているのだ。職員が近づけば誰彼かまわず腕をむんずと掴んで引き寄せ、その腕にすりすりとしてきて、なんだかんだと話をしてきては甘えるのだ。その人に向かって、「昼食のカレーはおいしかったかい。」等と聞くと、たとえ食べてもいないメニューであっても「あん、おいしかった。」とひょうきんそうな声で答えるのだった。そして「今日の天気は何。」等と天気の話を聞くと、「今日は晴れ。」と雨であってもいつも変わらず、そう答えるのだ。そしてなんだかんだと話をつないでいって長引かせる工作をするのだ。そして体にまとい付いて離すまいとするのだ。この人にとって、話の内容より、誰かとかかわりあって人に甘えたいのだ。愛情に飢えているのだ。ホスピタリズムを自ら打破しようとしているのだ。
カタカタ人形の押し車で脱走する子
この子は押し車があれば、立って歩行ができ、病棟内を一人でゆっくり歩くのだ。今日も今日とてカタカタ人形をかたかたと動かし、押し車を押して一人で棟内をゆっくり散歩中、目の前の病棟入口が開いていた。一旦立ち止まって、周囲の様子をじいっーとうかがっていた。誰も近寄らない、誰も注意を払っていないのを確認すると、突然猛スピードで押し車を押して入口をすり抜け、外へ外へとどんどん行ってしまった。顔つきは真剣かつうれしそうだ。さっきまでと全くスピードが違う。そして見つかると「うっうっー」と残念そうに唸るのだ。そうまでして外に出たいのだ。

~家庭にて~
猫との会話
この人、家庭で飼っている猫に向かい、こう話すのだ。
「お前ともそのうちお別れだ。自分の給料の入る口座を変えてかみさんのところにいかないようにして、自分でもらうようにする。それから家を出ていく。お前はかみさんに養ってもらえ。長い間お世話になったな。別れはつらいが元気で頑張れよ。俺は自由に新しい女を作って生活を楽しむから。」
しかし実行されたためしがない。
彼の給料は自分の口座に入っているが、その口座のキャッシュカードと暗証番号、預金通帳はかみさんが持っていて、彼は暗証番号さえ知らない。
以前確かに彼の口座でキャッシュカードも暗証番号も通帳もあったはずなのに、かみさんに貸したキャッシュカードを、かみさんが落としたといって、勝手に再発行してもらい、暗証番号を勝手に変えたため、何がなんだか彼には分からなくなり、通帳もかみさんの手に落ちた、という話である。

だめ教師
この阿呆教師、一応妻と子という名の者が戸籍上いるらしい。で、妻とやらも同業者で養護学校教師である。そして子供が言っていたことでこのようなものがあった。ちなみに事実である。
「うちのママとパパは養護学校に行ってるんだ。ママはいろいろなことを教えるために先生として養護学校に行ってるんだ。パパは何もできないから養護学校に行って、いろいろ教えられている生徒なんだ。」と言っていた。
彼は生徒で給料がもらえるなら万々歳でいいなあと思って、否定するどころか、そのことを夢想してにんまりしているのであった。

・砂糖好きな子供
 家の近所に「クロンボ」という喫茶店がある、ここ女子供向けの味と量で勝負のお店、子供たちを連れて行ったとき、テーブルにスティック・シュガーがたくさん置かれていた、あっと思うまもなく、スティックを破り一瞬のうちに口の中にいれ、また次のスティックに手を伸ばし、えらい早業で、次々飲み込み、自分のテーブルだけでなく、隣のテーブルのスティックもあらかたえじきにしていた、次にこの店に行ったら、もうスティック・シュガーは出していなかった、
またこの子達、家の砂糖もえじきにしていて、砂糖入れの容器ごとスプーンでばくばく食べ尽くしていた、家は慢性的砂糖不足というか、常に子供の胃袋に直行してしまうのだ、さらに子の子達、小児科でもらう感冒薬も甘いためえじきにした、「かぜひいた、おくちゅりのむー」が口癖で、言い終わる前に手につかんだ薬の包みを、あっという間に引き破きもう口中に入れ終わり、一瞬の間に笑顔でおいしそうに飲み下していた、おやつ等はあるのだが、何でこんなに飢えたかのように蟻のごとく甘いものに群がるのか不思議だ、


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