☆日本民俗芸能
・DVD「民俗芸能大会 第47回近畿・東海・北陸ブロック」6枚組、05年8月27・28日、国立文楽劇場
(R-1)オープニングタイトル、福井県:若狭能倉座の神事能「一人翁」、
室町期からの神事能、幕開けを告げる。荘重荘厳で神への厳粛な祈りがある。
奈良県:奈良豆比古神社の翁舞、
室町期からのユーモアある神社奉納舞。お目出度く喜ばしい寿ぎと狂言回し的な滑稽な面白みがある。
(R-2)岐阜県:恵那文楽「絵本太功記」十段目尼ケ崎の段、
神社奉納。若者たちの人形繰りはぎこちないが、真剣な表情に将来に希望を抱かせる。太夫と三味線はベテランで安定している。
三重県:安乗の人形芝居「仮名手本忠臣蔵」五段目二つ玉の段、
安土桃山期から江戸期にかけ志摩市安乗は先進地で重要な港として栄えたことで伝わったようだ。若者たちの語りと人形操りだが、堂に入っていてかなりの練習の質と量を思わせる。レベルが高い。
大阪府:能勢の浄瑠璃「伽羅先代萩」政岡忠義の段、
人形のない素浄瑠璃。語りと三味線が命で、ここにこそぐっとくるというものか。落語の寝床という演目にも浄瑠璃語り大好きという旦那が登場するように、これが流行ったのだろう。レベルが高い。
(R-3)感謝状贈呈式、富山県:出町子供歌舞伎曳山「一の谷嫩軍記」熊谷陣屋の段、
神明宮春祭りの曳山にて上演される子供歌舞伎である。可愛いくも真剣な演技にはらはらしつつ楽しめる。
(R-4)和歌山県:花園の仏の舞、
村の遍照寺に伝えられた。珍しい仏教仮面劇。内容も竜宮伝説と女人成仏を語る珍しいものである。
京都府:和知人形浄瑠璃「長老越節義ノ誉」、
人形遣いは一人繰りである。本作はオリジナルで地域の伝承実話である。
(R-5)石川県:深瀬のでくまわし「熊井太郎孝行の巻」初段、
太夫の節回しとでくの拍子のとり方が命か。太夫の拍子を聴いていると気持ちが高揚してくる。
兵庫県:池尻神社人形狂言「神変応護桜」、
神社奉納人形浄瑠璃。本作は宝暦期のオリジナル台本。謡曲調に始まり、浄瑠璃調、説教節調、最後に謡曲調と場面により節回しが変化し、人形も三人遣いと二人遣いがあり、古式が残っているようだ。
(R-6)愛知県:島文楽「傾城阿波の鳴門」巡礼歌の段、
農民の娯楽として伝承され神社仏閣とは関係ない。人形遣いは上品である。
滋賀県:冨田人形「東海道中膝栗毛」赤坂並木から古寺の段
他にも演目はいくつかあるのだろうが、これに関してはどうもオリジナル台本のようだ。ユーモラスで親しみやすい人形浄瑠璃だ。入門にうってつけ。太夫は登場人物ごと別人が語り、せりふも聞きやすくつくられている。農閑期の娯楽として伝承されたようで、神社仏閣への奉納ではないようだ。人形遣いは大胆でシンプルで太く農民文化風である。
・ビデオ「送り神~野田平・足久保~静岡市の伝統文化シリーズNo.3」企画制作:静岡市教育委員会、'99、25分
今ほとんど消失し珍しくも現存する野田平の厄払いの呪術的行事である。当地では12月14日に行われる。全国的には12月と2月の8日であることが多い。2月には県内では「新居町大倉戸のチャンチャコチャン」やかつて行われていた「足久保の送り神」がある。実に楽しそうに行われていて、生活の変化や区切りとして人々の楽しみだったのだろう。なぜこの日に行われるのだろう。正月前後の過ぎ越しの祭りみたいなものか。
・ビデオ「有東木の神楽 静岡市の伝統文化シリーズNo.6」企画制作:静岡市教育委員会、'02、25分
毎年春と秋に行う。16の演目を伝える。明治初期に近郷の中平の神官に習い整備されたという。駿府神楽の一つである。とてもレベルが高い。安倍川流域の神楽の特徴をよく残している。
・ビデオ「神田祭 江戸総鎮守 神田明神」、'03、60分
江戸の初夏を彩るのはやはり神田祭。開始されるとすぐ木遣り音頭を謡い、神幸行列は108町内全て練り歩き。休憩の昼輦会の様子もある。宮入はド迫力である。恍惚として興奮の極みに至る。勇壮華麗な渡御。けんかと祭りは江戸の華、神輿担いで江戸っ子の仲間入り。
・ビデオ「浅草 三社祭 江戸開府四百年記念 浅草神社」、'03・5/18、60分
三社祭は浅草神社に祀られている三社権現を祭る浅草神社の例大祭。江戸木遣り音頭で開幕し、大行列へ、神輿渡御、宮出し、町内渡御、宮入りは圧巻。庶民の楽しみ、近所付き合いから連帯感への盛り上がり、非日常時空間での日常のストレス発散、祭りに込めた人々の思い。
・ビデオ「天空の秘境をかける~カンゼチベット族の馬祭り~世界の人と馬の文化シリーズ16」、60分
中国・四川省の西、標高4千mにチベット族の町・理塘がある。毎年8月盛大な馬祭りで馬のレースが行われる。低酸素の高地でのレースは激しい。乗馬こそ民族の誇りである。人々の出会いと楽しみ、日常生活の変化をつける場である。
・ビデオ「西浦の田楽と能衆 国指定重要無形民俗文化財」水窪町教育委員会、'98・10/30、45分
田楽の前の準備に関連する行事の儀式の数々を逐一報告する。いかなる一連の儀式を通過して田楽に至るか報告されていて参考になる。
門松立て、別当祝いの稗酒造り、能衆の稗酒造り、秋葉講、オニグス造り・稗団子造り・草履編み、別当祝いの稗酒の口開け、能衆の稗酒の口開け、御開帳、島地のニュー木集め、サイカヅクリ・クライレのお膳・オオバン、神寄せ・お神酒上げ、庭上がり・幕屋での舞(地能・はね能)、天狗祭り、西浦神楽、おこない、メンサイズリ・船作り・松明の積み上げといった儀式が事前に重ねられていく。基本的に世襲制によって守られてきた。
・ビデオ「戸田の漁師踊・漁師唄 戸田村 静岡県指定無形民俗文化財」戸田村教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.7、’93、86分
第一部、「せぎり唄」で勝呂家の宴に入る。「御船唄・初春」、「鯨突唄と踊り(突棒)」…大きく見上げるような動作で腕を挙げ大きい物を予感させる。「祝唄・戸田浦」、「祝唄・さて今日」、「ほめ言葉」、
第二部、~漁師唄・漁師踊の全て~ 「祝唄・伊勢音頭」、「祝唄・伊豆巡り(三つ拍子踊り)」、「祝唄・那須の与一(七つ踊り)」、「祝唄・さて今日(おめでたの唄)」、「祝唄・戸田浦」、「祝唄・ならさ踊り」、「せぎり唄」、「鯨突唄と踊り(突棒)」、「御船唄(せきふね)・初春」、「ほめ言葉」、
第三部、古老の踊り
・「御船唄」、皇帝、松、初春、月見、酒、いなり、さくら。
・「祝唄」には、さて今日、うぐいす、京の糸屋、戸田浦、千代の春、伊豆めぐり、七つ踊り、せぎり、数へ唄、せぎり唄、ならさ音頭、鯨突唄、伊勢音頭。
・ビデオ「静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分
旧暦二月二十日に「廿日会祭」(彼岸の最中)が行われ、現在「静岡まつり」として四月初め に行われる。家康が建穂寺の稚児舞を愛でたことから知られるようになった。稚児舞が奉納される浅間神社は、長谷通りから石鳥居をくぐるのが表門で浅間神社と神部神社の社殿がある。赤鳥居をくぐると大歳御祖神社の社殿がある。三社を総合して浅間神社という。駿河の国の総社である。稚児舞の記述は戦国末期1557年、「言継卿記」に記載がある。家康は幕府を創立した年に稚児舞の衣装を建穂寺に贈った。建穂寺は明治2年火災になり廃寺、稚児舞もいったん断絶したが、以後断続しつつも継続している。
稚児選びはあらかじめ選んでおき、承諾を得て神社が決定する。次は稚児奉告参拝が行われる。稽古は四月になると本殿で行われる。当日は浅間神社で化粧し、建穂神社へ参拝し安倍川を渡御し、隔年で出発地点になる別雷神社か小梳神社に行く。ここから浅間神社へのルートは決まっている。
「振鉾」、鉾で悪霊を鎮めクデンを清める。鉾持ちから鉾を受け取ると開始である。初めは演舞で連れ舞の稚児二人の舞で太鼓・竜笛によるコランジョウの奏楽のよる。稚児は花冠を被り、江戸期は終了後江戸城に届けた。
「納曽利」、連れ舞が基本だが、当社では撥を持った稚児が一人で舞う。太鼓・鞨鼓に篳篥・竜笛が加わる。
「安摩」、杓を持つ連れ舞。
「二の舞」(大人舞)、滑稽な舞、面をつけ、稲束を持ち稚児の周りを舞う。稚児は笑いをこらえ舞う。笑うと不作といわれる。
「還城楽」、蛇を好んで食べた西域の人が蛇を持ち帰って喜んで舞う。蛇の周りで舞い、最後は蛇をつかむ。太鼓・鞨鼓・篳篥・竜笛、江戸期は建穂寺から楽人が来たが、現在は神社の楽隊である。
「大平楽」、鉾や太刀を持って舞う魔除けの舞。
クデンの四隅の柱に刺す又などとともに花を飾る。神のよりしろで山吹と桜を飾る。鉾持ちはクデン入口で初めから最後まで控える。魔除け、悪霊除けである。
稚児舞は、旧暦二月の農耕の始まりに当たって、祖先を祀り、悪霊を退散させ豊作祈願することが起源で、家康の見た稚児舞は中世の彼岸の舞楽であった。家康自身も久能山に葬られフナラク信仰に関していた。稚児舞は信仰の舞楽から娯楽へと変わった。
・ビデオ「滝沢の放歌踊 静岡県指定無形民俗文化財」浜松市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.13、'94、30分
滝沢町は浜松市が周辺地域と合併し政令指定都市になる前の最北端の地域だった。標高300mほどに200戸ほどが住んでいる。室町期から戦国にかけて住み着いたらしい。市指定文化財の大日如来像に1310年の記銘がある。放歌踊は旧盆行事の遠州念仏踊りの一つである。
念仏組は盆が近づくと、初会合が持たれ盆の計画を練る。念仏に使う道具の手入れで、太鼓の撥であるヅチは数年に一度作り直し、練り棒は毎年山から藤づるを取ってきて皮をむいて作る。笠も作る。新盆の家は棚作りもある。8月初め墓地の草刈をし、村の道路の草刈もする。夜は念仏の練習で、大太鼓(桶太鼓)、双盤、かしら(提灯)を準備し、念仏踊りの練習もする。遠州大念仏は見方原合戦の死者を慰霊するため家康が行わせたという。滝沢のものの起源は不明である。かつて雨乞いのために踊ったという。幕末には念仏踊り、放歌踊が盛んと推定される。引佐町東久留米木から教えてもらったが、東久留米木は絶えた。東三河鳳来町の放歌踊とは違い、水窪町西浦の念仏踊りに似ている。
8月13日墓参り、新盆の家は精霊棚作り、内施餓鬼、夕方迎え火、
道囃子(宮囃子)で警護、幟、かしら、双盤、笛、太鼓、念仏衆、の順に行列して寺に行く。寺に着くと右回りに3周回って位置につく。歌枕(先祖供養)、輪崩しで寺を去り、新盆の家に向かう。庭入り行列、庭に配列し、死者に合った歌枕を選び念仏が始まる。接待(休憩)、放歌踊(藤しろ踊り)、大団扇を持ったひょっとこと扇子を持ったおかめが登場し、こっけいに舞う。笛拍子で終わりになる。
8月15日は送り火、寺施餓鬼、飾り下げをし、盂蘭盆供養で地蔵堂と寺で踊る。
滝沢小では学習の一環として放歌踊を行っていて、地域の子は皆知るようになる。
・ビデオ「田代神楽 静岡県指定無形民俗文化財」本川根町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.15、'94、30分
田代の位置と風土、大鉄千頭駅より徒歩15分でかつて戸数47軒、今89軒。大井神社の由来、大沢に祀られていたものが流され田代に流れ着く。かつて正月19日の農祭りと、三年に一度の三崎神楽が混成した。三崎神楽は泥棒と間違われた聖が殺され、三崎にたたるので、神楽で鎮めるようになった。それを象徴するミサキ石がある。祭りの当番は坂京→田代→崎平の順に年毎実施する。農祭りの変遷は旧正月15日から新暦2月17日へさらに新暦9月15日へとなった。女性も参加し踊る。祭りの準備、練習は盆・正月・茶どきを除いて毎月2回ほど。新駒が大切。もちつき、注連縄作り。9月14日、前夜祭、幣の舞、なぎなたの舞、天王の舞(扇、榊、小弓、幣束)、八幡の舞(弓矢)、八剣の舞(八王子の舞)、ぼたきり。9月15日、道行、本祭、供え物(干し柿、鏡餅、トコロ、ウグイ) 座ぞろい式、幣の舞。駿河神楽は大きく二つに分けられる。五方拝の取り方である。①安倍・伊川型、舞台四隅を目指すもの。②藁科・川根型。舞台四辺中心を目指すもの。仕掛け花火の準備、湯立神楽、湯ちらしの舞、切麻の舞(近年女性参加)、神子式(50年振り再現、足元の俵に大豆が入っている、三笠ふる)、大助(翁)土産を出す、滑稽。五行の舞、鬼面、殿面、火の玉・水の玉、火伏神事、火の舞、水ふり、(当屋での駒舞の準備)、駒舞の道行き、柴燈踊り、駒舞い、田ならし、田植、かぼちゃ、八百屋お七、翁・小冠者、女郎面、花火口上、桜山・紅葉山(仕掛け花火)、恵比寿・大黒、鹿舞、狩人、猿舞。祭りの後、9月16日、鏡餅割。
「農祭」、「ミサキ神楽」、「神子式」、白山祭りに通ずる擬死再生の儀式が基にある。駿河神楽では初収録。
・ビデオ「獅子舞 かんからまち 静岡県指定無形民俗文化財」掛川市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.16、'94、30分
掛川城を築城した今川家の重臣朝比奈氏が牛頭天王社に獅子頭を供え奉納舞を行ったことが起源である。江戸期には草履履きで城の御殿に上がり舞うことができた。現在は三年に一度の掛川大祭での龍尾神社の御輿渡御の先導役を果たす。祭りの三大余興の一つ。一人立ちの獅子が三頭で舞う三匹獅子は東日本には分布しているが、静岡県内では掛川だけである。準備、練習段階、祭り当日の4日間を撮影した。
掛川は平安期から宿場町。掛川祭りは市中七つの神社の祭典を統合したもの。掛川大祭は三年に一度で今回は10月8日から11日までの4日間。10月8日、宵祭の儀、各氏子町総代に御幣等手渡し、年番本部開き、会所開き、各町内ごと町内を屋台で回る。御神輿入御の儀。10月9日、浦安の舞、紺屋町の木獅子の舞、屋台の宮参り、かんからまち先頭に御神輿渡御、御旅所に行く。10月10日、獅子舞かんからまちの行列構成、1.天狗、2.花笠、3.花幌、4.獅子、5.横笛と従士。注連縄返還の儀、三獅子は二頭雄で一頭は雌。獅子舞かんからまちの構成は、1.道行、2.三角舞、3.本舞、4.戻り三角舞。三角舞は舞う所を踏み固め清める。本舞は二頭の雄が雌を争うことを時に激しく、時に静かに表し神の前で和合する筋立てである。戻り三角舞に戻る。10月11日会所の前で納めの儀、会所閉め、御幣返還の儀。
・ビデオ「滝沢八坂神社の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」藤枝市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.17、'94-95、30分
滝沢は藤枝市の山あいにあり、今川氏の領地で大井川に抜ける交通の要項。標高100mだが周囲を山に囲まれ山深く見える。茶、みかん、他に手作り地場産品としてみそ、まんじゅう、こんにゃく等を生産する。
1月11日、鏡餅割り、初田打ち、ハチのたれ紙を作る。
2月11日、舞いはじめ(昭和17年より旧暦から新暦にする) 八坂神社(古くは牛頭天王社)
2月15日、舞いぞろい(総練習)、笛、獅子舞
2月16日、祭り前日、もちつきでリキヒョウという鏡餅を作る。幟旗を立てる。舞台は榊を立て結界し八丁敷「舞庭」、当番はご馳走作り、昔はこりとりした。面をつけない。
2月17日、田遊び演目比較、現在:1.薙刀、薙刀を持ち白装束で悪霊鎮め、修験者の結界作法の舞が元、薙刀もどきは結界を作り滑稽さはない、2.獅子、獅子の霊力をもってさらに清める、伎楽系の舞、扇子で獅子を招き獅子が同じ動作で舞う、さき払い、3.祝詞、鏡餅りきひょうに向かい祝詞を奏上、4.千万歳、家の安泰と長寿を祝福する至福芸能、子供たちがささらを持ちはやし大人が各種ほめる、5.白刃、舞台を結界するしゅし芸で昔は村の成人した若者が演じた、かたなの手という結界作法の一つがある、6. 筏、詞章を謡い動作がなく古い猿楽の形態を残す、7.十六拍子、千万歳に登場した子達が扇子を持ち舞う、十六拍子もどきは前のものが終わってすぐ舞い戻って行う、8.山田打、餅で作った鋤を持ち問答し田を打つ耕作を祈る舞、9.麦つき、詞章を謡い所作がない、平成に復活した、10.田植、ささらを持った子達が田植えの所作をしお囃子はのびやかである、田植もどきは扇子に持ち替え掛け声をかけて1周回る、11.孕五月女、子達が取り囲んだ中の孕五月女が子の稲の霊を生みそれを耕作しに来たあるじが喜んで拾うという演出もので全国のここしかない、今は木の又であるが昔は稲藁であった、12.耕作散田、石高の帳簿作りを模擬的に演ずる、薙刀持ちの滑稽な一人芝居もつく、全国的に珍しい演目、13.年頭、年頭の挨拶を狂言風に演ずる、昔は恵比寿面でえびすといわれた、14.白刃、前段と同一でしゅし芸の結界作法で田遊び演目から前後のものになる、滝沢八坂神社の秋の神楽との相互関係か、15. 九字、密教や修験道の結界呪法、御朱印を結ぶ、二本九字、組九字、日天九字、月天九字、最後に抜刀し結界し終わる、九字もどきは四股を踏む所作で右回りに1周、16.太平楽、今はない鳥追い同様伎楽系の舞で結界目的、17.獅子、結界目的で霊力を授かるため見物人が触る、18. 薙刀、あと払いで薙刀を本殿に返すと全演目終了、
江戸時代:1.2.3.同じ、4.種あて、5.筏、6.えびす、7. 千万歳、8.九字、9.耕作、10.所定め、11.苗代ふみ、12.草ひろげ、13.代ふみ、14. 白刃、15.鳥追い、16.あら田打ち、17. 孕早乙女、18. 山田打、19. 麦つき、20. 十六拍子、21.代かき、22. 田植、23. 太平楽、24.新五郎出、25.御神田の鳥追い、26.稲刈り、27.獅子、28. 薙刀、
他の資料から江戸時代に演目が混乱したことが分かる。
今、午後6:30開始、午後11:30終了、昔は朝日が昇る頃まで行った。
2月18日、オリビラキ、リキヒョウの鏡餅割りし氏子に配る。安産お守りといわれる。
・ビデオ「高根白山神社古代神楽 静岡県指定無形民俗文化財」藤枝市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.21、'95、36分
毎年10月29日奉納。所在地は、藤枝市瀬戸川上流水源地、高根山に鎮座、神楽を継承している蔵田の集落は中腹にあり全42戸。800年前石川県から分霊、明治2年神仏分離令まで市之瀬の宮司・遠藤家が専任、神楽伝承も、昭和20年代まで市之瀬中心。うとうげの滝はうたげの滝の意で、市之瀬はこりとりの瀬の意で、こりとりしうたげをして参拝する農神さんへとなる。昔雨乞いでうとうげの滝の水と白山神社の土をもらい田にまくことがあった。
7月19日ムシアキの日、仏(つくりの神さん)を田んぼの人(農家)が信仰し山へ登拝した。志太平野では瀬戸川水源地として高根白山神社を農耕神として信仰した。10月29日秋の実りの喜びを伝える収穫祭として奉納がある。ウタテを含む山伏神楽の一つ、大井川左岸から安倍川までの駿河神楽として、この地域に広く分布。陰陽五行思想に基き舞台の飾り立てや舞が演出される。天井の九本の注連縄は山伏の九字を切る結界の呪術で、64の升目は日本全国64州である。舞台の四隅と中央の締めだれはウサといい、青:木・春・東、赤:火・夏・南、黄:土・土用・中、白:金・秋・西、黒(紫):水・冬・北で五行思想であり、舞台はこの世を凝縮している。舞もこの五方を順次拝する五行拝である。本番が近づくと麓の聖人堂で練習がはじまる。昔は市之瀬へ歩いて習いに行った。
本川根町坂京の中野家に残る史料で文政13年木版刷りの高根神社神楽における神楽奉納を一口加入で舞い、当日の参詣を誘うものが残されている。藁科川清沢神楽、川根笹間神楽と交流があり、中川根町徳山神楽、瀬戸川滝沢神楽とも交流があったようだ。市之瀬の人で各地を舞い歩いたという例がある。徳山神楽では延宝2年の祭文が残る。おそらく高根白山神社でもその程度遡るだろう。
祭り前日10月28日、聖人堂で準備、朝までおこもりする。
10月29日、幟を立てる。昔は青池(藤枝市警察署近く)の水で舞台を清めた。
神楽式 演目
弓矢やかなづちを持つとりものの舞と、仮面をつける人形舞がある。
1.神迎え:座揃え。
2.幣の舞:神楽全ての基本、どうがかり、大拍子、くずしとなっていて次第にテンポを速める序破急の3部構成である。
3.天狗面の舞:左手に榊持ち神々を案内する。猿田彦の故事にちなむ。
4. 湯立て(ユボコ)の舞:湯立て神事が早くに消失し舞のみ伝わる。
5.天王の舞:とりものを勺→榊→弓矢→幣束に取り替えていく。
6.殿面の舞:面形の舞で駿河神楽全般では他の人名のものがある。
(7.道化面の舞)…(数字. )は現在伝承なし
8. 五行(ごほう)の舞:陰陽五行思想の木火土金水の5つで、この世が安らかであることを願う。
9. 米の舞:舞台の四方で参拝する。はじめに近い演目に組まれている。地域により最終に近い神返しのこともある。
(10. 宇津女の舞)
(11. 金山の舞)
12. 三宝荒神の舞:三柱の神を鎮める。
(13. 米吉面の舞)
14. 姫の舞:女面の舞で二人の道化が絡み、駿河神楽ではここだけである。宇津女の舞は駿河神楽の一人舞に多くあるがここにはない。
(15. 加藤面の舞)
16. 剣の舞:木火土金水等の九字を切る刀伏である。
17. 戎子大黒の舞:鯛を釣る滑稽な無言劇。
18. 八幡天皇の舞:弓矢を五行に飛ばす。ここでは後半に行う。悪霊除けの五行固めの目的で、くずしで一人舞する。弓矢は魔除けになるといわれる。
(19. 火の舞)
20.神返し:しめ切、天井の幣を切って神を返す。
伝承のために後継者が大切である。川根や藁科との交流の中で形が整えられる。心を癒し豊かにしてきた農耕神事である。
・ビデオ「島田鹿島踊 静岡県指定無形民俗文化財」島田市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.23、'95、31分
島田は大井川下流の宿場町で1601年制定され、今も川越遺跡が残る。宿場の中心にある大井神社は865年本川根町大沢から遷座し1276年御仮屋町に移った。大井神社の3年に一度の大祭が旧暦9月15日に行われていたが、現在10月15日までに近い日曜日に行われる。それが島田大祭「帯祭り」で、鹿島踊は大名行列(県指定無形民俗文化財)とともに行われる。祭りの隊列は、大奴・大鳥毛・神輿行列・鹿島踊・屋台である。長唄祭りとも云われ江戸から師匠を呼ぶことさえあった。
当地の鹿島踊は春日神社に疫病退散のため踊ったものとされる。鹿島踊自体は1814年には存在した東伊豆町北川(ホッカワ) 鹿島踊を鹿島神社で踊ったものがある。目的は村の穢れを海に流し海から幸を招くというものであり、道具は柄勺・お鏡・幣束を持つ。それらに共通性が見られる。鹿島踊を踊りこむと家内安全になると云われる。
行事の手順は、お門入りの依頼、踊り子の依頼、保存会で道具の修理、衣装合わせ、総合部会、中老祭典本部開き、青年の応接回り、祭りの10日前から練習開始となる。95年は10/10稽古上げ、総練習として本通りで町内の人たちに見せる。宿場東端に御仮屋作り。10/12本番、大井神社に参拝しお祓いを受ける。鹿島踊の隊列順序は白丁・三番叟(かつては本通りの長男だけに許された)・お鏡(杓子)・鼓・ささら・楽人(笛・箙・小太鼓・大太鼓)である。初日は町内披露でお門入りし、青年長の合図で踊りが始まる。終わると接待を受ける。10/13・14町外披露で、他の町内に行くには青年伝令が伝える。お宮巡りやお門入りもする。10/14大井神社で御本祭を執り行う。10/15大名行列→神輿行列→鹿島踊→屋台の順に行く。杉村家中せん祭、昔杉村家先祖が大井川を流れた神を拾い祀ったというので、神輿が立ち寄る。御仮屋でお旅所祭。鹿島踊もお旅所巡りし1周回る。神輿を大井神社に戻し、鹿島踊も舞い納めし、大祭本部で舞い納めして終了である。
・ビデオ「掛塚祭屋台囃子 静岡県指定無形民俗文化財」竜洋町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.1、'94、30分
・DVD「民俗芸能大会 第47回近畿・東海・北陸ブロック」6枚組、05年8月27・28日、国立文楽劇場
(R-1)オープニングタイトル、福井県:若狭能倉座の神事能「一人翁」、
室町期からの神事能、幕開けを告げる。荘重荘厳で神への厳粛な祈りがある。
奈良県:奈良豆比古神社の翁舞、
室町期からのユーモアある神社奉納舞。お目出度く喜ばしい寿ぎと狂言回し的な滑稽な面白みがある。
(R-2)岐阜県:恵那文楽「絵本太功記」十段目尼ケ崎の段、
神社奉納。若者たちの人形繰りはぎこちないが、真剣な表情に将来に希望を抱かせる。太夫と三味線はベテランで安定している。
三重県:安乗の人形芝居「仮名手本忠臣蔵」五段目二つ玉の段、
安土桃山期から江戸期にかけ志摩市安乗は先進地で重要な港として栄えたことで伝わったようだ。若者たちの語りと人形操りだが、堂に入っていてかなりの練習の質と量を思わせる。レベルが高い。
大阪府:能勢の浄瑠璃「伽羅先代萩」政岡忠義の段、
人形のない素浄瑠璃。語りと三味線が命で、ここにこそぐっとくるというものか。落語の寝床という演目にも浄瑠璃語り大好きという旦那が登場するように、これが流行ったのだろう。レベルが高い。
(R-3)感謝状贈呈式、富山県:出町子供歌舞伎曳山「一の谷嫩軍記」熊谷陣屋の段、
神明宮春祭りの曳山にて上演される子供歌舞伎である。可愛いくも真剣な演技にはらはらしつつ楽しめる。
(R-4)和歌山県:花園の仏の舞、
村の遍照寺に伝えられた。珍しい仏教仮面劇。内容も竜宮伝説と女人成仏を語る珍しいものである。
京都府:和知人形浄瑠璃「長老越節義ノ誉」、
人形遣いは一人繰りである。本作はオリジナルで地域の伝承実話である。
(R-5)石川県:深瀬のでくまわし「熊井太郎孝行の巻」初段、
太夫の節回しとでくの拍子のとり方が命か。太夫の拍子を聴いていると気持ちが高揚してくる。
兵庫県:池尻神社人形狂言「神変応護桜」、
神社奉納人形浄瑠璃。本作は宝暦期のオリジナル台本。謡曲調に始まり、浄瑠璃調、説教節調、最後に謡曲調と場面により節回しが変化し、人形も三人遣いと二人遣いがあり、古式が残っているようだ。
(R-6)愛知県:島文楽「傾城阿波の鳴門」巡礼歌の段、
農民の娯楽として伝承され神社仏閣とは関係ない。人形遣いは上品である。
滋賀県:冨田人形「東海道中膝栗毛」赤坂並木から古寺の段
他にも演目はいくつかあるのだろうが、これに関してはどうもオリジナル台本のようだ。ユーモラスで親しみやすい人形浄瑠璃だ。入門にうってつけ。太夫は登場人物ごと別人が語り、せりふも聞きやすくつくられている。農閑期の娯楽として伝承されたようで、神社仏閣への奉納ではないようだ。人形遣いは大胆でシンプルで太く農民文化風である。
・ビデオ「送り神~野田平・足久保~静岡市の伝統文化シリーズNo.3」企画制作:静岡市教育委員会、'99、25分
今ほとんど消失し珍しくも現存する野田平の厄払いの呪術的行事である。当地では12月14日に行われる。全国的には12月と2月の8日であることが多い。2月には県内では「新居町大倉戸のチャンチャコチャン」やかつて行われていた「足久保の送り神」がある。実に楽しそうに行われていて、生活の変化や区切りとして人々の楽しみだったのだろう。なぜこの日に行われるのだろう。正月前後の過ぎ越しの祭りみたいなものか。
・ビデオ「有東木の神楽 静岡市の伝統文化シリーズNo.6」企画制作:静岡市教育委員会、'02、25分
毎年春と秋に行う。16の演目を伝える。明治初期に近郷の中平の神官に習い整備されたという。駿府神楽の一つである。とてもレベルが高い。安倍川流域の神楽の特徴をよく残している。
・ビデオ「神田祭 江戸総鎮守 神田明神」、'03、60分
江戸の初夏を彩るのはやはり神田祭。開始されるとすぐ木遣り音頭を謡い、神幸行列は108町内全て練り歩き。休憩の昼輦会の様子もある。宮入はド迫力である。恍惚として興奮の極みに至る。勇壮華麗な渡御。けんかと祭りは江戸の華、神輿担いで江戸っ子の仲間入り。
・ビデオ「浅草 三社祭 江戸開府四百年記念 浅草神社」、'03・5/18、60分
三社祭は浅草神社に祀られている三社権現を祭る浅草神社の例大祭。江戸木遣り音頭で開幕し、大行列へ、神輿渡御、宮出し、町内渡御、宮入りは圧巻。庶民の楽しみ、近所付き合いから連帯感への盛り上がり、非日常時空間での日常のストレス発散、祭りに込めた人々の思い。
・ビデオ「天空の秘境をかける~カンゼチベット族の馬祭り~世界の人と馬の文化シリーズ16」、60分
中国・四川省の西、標高4千mにチベット族の町・理塘がある。毎年8月盛大な馬祭りで馬のレースが行われる。低酸素の高地でのレースは激しい。乗馬こそ民族の誇りである。人々の出会いと楽しみ、日常生活の変化をつける場である。
・ビデオ「西浦の田楽と能衆 国指定重要無形民俗文化財」水窪町教育委員会、'98・10/30、45分
田楽の前の準備に関連する行事の儀式の数々を逐一報告する。いかなる一連の儀式を通過して田楽に至るか報告されていて参考になる。
門松立て、別当祝いの稗酒造り、能衆の稗酒造り、秋葉講、オニグス造り・稗団子造り・草履編み、別当祝いの稗酒の口開け、能衆の稗酒の口開け、御開帳、島地のニュー木集め、サイカヅクリ・クライレのお膳・オオバン、神寄せ・お神酒上げ、庭上がり・幕屋での舞(地能・はね能)、天狗祭り、西浦神楽、おこない、メンサイズリ・船作り・松明の積み上げといった儀式が事前に重ねられていく。基本的に世襲制によって守られてきた。
・ビデオ「戸田の漁師踊・漁師唄 戸田村 静岡県指定無形民俗文化財」戸田村教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.7、’93、86分
第一部、「せぎり唄」で勝呂家の宴に入る。「御船唄・初春」、「鯨突唄と踊り(突棒)」…大きく見上げるような動作で腕を挙げ大きい物を予感させる。「祝唄・戸田浦」、「祝唄・さて今日」、「ほめ言葉」、
第二部、~漁師唄・漁師踊の全て~ 「祝唄・伊勢音頭」、「祝唄・伊豆巡り(三つ拍子踊り)」、「祝唄・那須の与一(七つ踊り)」、「祝唄・さて今日(おめでたの唄)」、「祝唄・戸田浦」、「祝唄・ならさ踊り」、「せぎり唄」、「鯨突唄と踊り(突棒)」、「御船唄(せきふね)・初春」、「ほめ言葉」、
第三部、古老の踊り
・「御船唄」、皇帝、松、初春、月見、酒、いなり、さくら。
・「祝唄」には、さて今日、うぐいす、京の糸屋、戸田浦、千代の春、伊豆めぐり、七つ踊り、せぎり、数へ唄、せぎり唄、ならさ音頭、鯨突唄、伊勢音頭。
・ビデオ「静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞 静岡県指定無形民俗文化財」静岡市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.12、'94、30分
旧暦二月二十日に「廿日会祭」(彼岸の最中)が行われ、現在「静岡まつり」として四月初め に行われる。家康が建穂寺の稚児舞を愛でたことから知られるようになった。稚児舞が奉納される浅間神社は、長谷通りから石鳥居をくぐるのが表門で浅間神社と神部神社の社殿がある。赤鳥居をくぐると大歳御祖神社の社殿がある。三社を総合して浅間神社という。駿河の国の総社である。稚児舞の記述は戦国末期1557年、「言継卿記」に記載がある。家康は幕府を創立した年に稚児舞の衣装を建穂寺に贈った。建穂寺は明治2年火災になり廃寺、稚児舞もいったん断絶したが、以後断続しつつも継続している。
稚児選びはあらかじめ選んでおき、承諾を得て神社が決定する。次は稚児奉告参拝が行われる。稽古は四月になると本殿で行われる。当日は浅間神社で化粧し、建穂神社へ参拝し安倍川を渡御し、隔年で出発地点になる別雷神社か小梳神社に行く。ここから浅間神社へのルートは決まっている。
「振鉾」、鉾で悪霊を鎮めクデンを清める。鉾持ちから鉾を受け取ると開始である。初めは演舞で連れ舞の稚児二人の舞で太鼓・竜笛によるコランジョウの奏楽のよる。稚児は花冠を被り、江戸期は終了後江戸城に届けた。
「納曽利」、連れ舞が基本だが、当社では撥を持った稚児が一人で舞う。太鼓・鞨鼓に篳篥・竜笛が加わる。
「安摩」、杓を持つ連れ舞。
「二の舞」(大人舞)、滑稽な舞、面をつけ、稲束を持ち稚児の周りを舞う。稚児は笑いをこらえ舞う。笑うと不作といわれる。
「還城楽」、蛇を好んで食べた西域の人が蛇を持ち帰って喜んで舞う。蛇の周りで舞い、最後は蛇をつかむ。太鼓・鞨鼓・篳篥・竜笛、江戸期は建穂寺から楽人が来たが、現在は神社の楽隊である。
「大平楽」、鉾や太刀を持って舞う魔除けの舞。
クデンの四隅の柱に刺す又などとともに花を飾る。神のよりしろで山吹と桜を飾る。鉾持ちはクデン入口で初めから最後まで控える。魔除け、悪霊除けである。
稚児舞は、旧暦二月の農耕の始まりに当たって、祖先を祀り、悪霊を退散させ豊作祈願することが起源で、家康の見た稚児舞は中世の彼岸の舞楽であった。家康自身も久能山に葬られフナラク信仰に関していた。稚児舞は信仰の舞楽から娯楽へと変わった。
・ビデオ「滝沢の放歌踊 静岡県指定無形民俗文化財」浜松市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.13、'94、30分
滝沢町は浜松市が周辺地域と合併し政令指定都市になる前の最北端の地域だった。標高300mほどに200戸ほどが住んでいる。室町期から戦国にかけて住み着いたらしい。市指定文化財の大日如来像に1310年の記銘がある。放歌踊は旧盆行事の遠州念仏踊りの一つである。
念仏組は盆が近づくと、初会合が持たれ盆の計画を練る。念仏に使う道具の手入れで、太鼓の撥であるヅチは数年に一度作り直し、練り棒は毎年山から藤づるを取ってきて皮をむいて作る。笠も作る。新盆の家は棚作りもある。8月初め墓地の草刈をし、村の道路の草刈もする。夜は念仏の練習で、大太鼓(桶太鼓)、双盤、かしら(提灯)を準備し、念仏踊りの練習もする。遠州大念仏は見方原合戦の死者を慰霊するため家康が行わせたという。滝沢のものの起源は不明である。かつて雨乞いのために踊ったという。幕末には念仏踊り、放歌踊が盛んと推定される。引佐町東久留米木から教えてもらったが、東久留米木は絶えた。東三河鳳来町の放歌踊とは違い、水窪町西浦の念仏踊りに似ている。
8月13日墓参り、新盆の家は精霊棚作り、内施餓鬼、夕方迎え火、
道囃子(宮囃子)で警護、幟、かしら、双盤、笛、太鼓、念仏衆、の順に行列して寺に行く。寺に着くと右回りに3周回って位置につく。歌枕(先祖供養)、輪崩しで寺を去り、新盆の家に向かう。庭入り行列、庭に配列し、死者に合った歌枕を選び念仏が始まる。接待(休憩)、放歌踊(藤しろ踊り)、大団扇を持ったひょっとこと扇子を持ったおかめが登場し、こっけいに舞う。笛拍子で終わりになる。
8月15日は送り火、寺施餓鬼、飾り下げをし、盂蘭盆供養で地蔵堂と寺で踊る。
滝沢小では学習の一環として放歌踊を行っていて、地域の子は皆知るようになる。
・ビデオ「田代神楽 静岡県指定無形民俗文化財」本川根町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.15、'94、30分
田代の位置と風土、大鉄千頭駅より徒歩15分でかつて戸数47軒、今89軒。大井神社の由来、大沢に祀られていたものが流され田代に流れ着く。かつて正月19日の農祭りと、三年に一度の三崎神楽が混成した。三崎神楽は泥棒と間違われた聖が殺され、三崎にたたるので、神楽で鎮めるようになった。それを象徴するミサキ石がある。祭りの当番は坂京→田代→崎平の順に年毎実施する。農祭りの変遷は旧正月15日から新暦2月17日へさらに新暦9月15日へとなった。女性も参加し踊る。祭りの準備、練習は盆・正月・茶どきを除いて毎月2回ほど。新駒が大切。もちつき、注連縄作り。9月14日、前夜祭、幣の舞、なぎなたの舞、天王の舞(扇、榊、小弓、幣束)、八幡の舞(弓矢)、八剣の舞(八王子の舞)、ぼたきり。9月15日、道行、本祭、供え物(干し柿、鏡餅、トコロ、ウグイ) 座ぞろい式、幣の舞。駿河神楽は大きく二つに分けられる。五方拝の取り方である。①安倍・伊川型、舞台四隅を目指すもの。②藁科・川根型。舞台四辺中心を目指すもの。仕掛け花火の準備、湯立神楽、湯ちらしの舞、切麻の舞(近年女性参加)、神子式(50年振り再現、足元の俵に大豆が入っている、三笠ふる)、大助(翁)土産を出す、滑稽。五行の舞、鬼面、殿面、火の玉・水の玉、火伏神事、火の舞、水ふり、(当屋での駒舞の準備)、駒舞の道行き、柴燈踊り、駒舞い、田ならし、田植、かぼちゃ、八百屋お七、翁・小冠者、女郎面、花火口上、桜山・紅葉山(仕掛け花火)、恵比寿・大黒、鹿舞、狩人、猿舞。祭りの後、9月16日、鏡餅割。
「農祭」、「ミサキ神楽」、「神子式」、白山祭りに通ずる擬死再生の儀式が基にある。駿河神楽では初収録。
・ビデオ「獅子舞 かんからまち 静岡県指定無形民俗文化財」掛川市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.16、'94、30分
掛川城を築城した今川家の重臣朝比奈氏が牛頭天王社に獅子頭を供え奉納舞を行ったことが起源である。江戸期には草履履きで城の御殿に上がり舞うことができた。現在は三年に一度の掛川大祭での龍尾神社の御輿渡御の先導役を果たす。祭りの三大余興の一つ。一人立ちの獅子が三頭で舞う三匹獅子は東日本には分布しているが、静岡県内では掛川だけである。準備、練習段階、祭り当日の4日間を撮影した。
掛川は平安期から宿場町。掛川祭りは市中七つの神社の祭典を統合したもの。掛川大祭は三年に一度で今回は10月8日から11日までの4日間。10月8日、宵祭の儀、各氏子町総代に御幣等手渡し、年番本部開き、会所開き、各町内ごと町内を屋台で回る。御神輿入御の儀。10月9日、浦安の舞、紺屋町の木獅子の舞、屋台の宮参り、かんからまち先頭に御神輿渡御、御旅所に行く。10月10日、獅子舞かんからまちの行列構成、1.天狗、2.花笠、3.花幌、4.獅子、5.横笛と従士。注連縄返還の儀、三獅子は二頭雄で一頭は雌。獅子舞かんからまちの構成は、1.道行、2.三角舞、3.本舞、4.戻り三角舞。三角舞は舞う所を踏み固め清める。本舞は二頭の雄が雌を争うことを時に激しく、時に静かに表し神の前で和合する筋立てである。戻り三角舞に戻る。10月11日会所の前で納めの儀、会所閉め、御幣返還の儀。
・ビデオ「滝沢八坂神社の田遊び 静岡県指定無形民俗文化財」藤枝市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.17、'94-95、30分
滝沢は藤枝市の山あいにあり、今川氏の領地で大井川に抜ける交通の要項。標高100mだが周囲を山に囲まれ山深く見える。茶、みかん、他に手作り地場産品としてみそ、まんじゅう、こんにゃく等を生産する。
1月11日、鏡餅割り、初田打ち、ハチのたれ紙を作る。
2月11日、舞いはじめ(昭和17年より旧暦から新暦にする) 八坂神社(古くは牛頭天王社)
2月15日、舞いぞろい(総練習)、笛、獅子舞
2月16日、祭り前日、もちつきでリキヒョウという鏡餅を作る。幟旗を立てる。舞台は榊を立て結界し八丁敷「舞庭」、当番はご馳走作り、昔はこりとりした。面をつけない。
2月17日、田遊び演目比較、現在:1.薙刀、薙刀を持ち白装束で悪霊鎮め、修験者の結界作法の舞が元、薙刀もどきは結界を作り滑稽さはない、2.獅子、獅子の霊力をもってさらに清める、伎楽系の舞、扇子で獅子を招き獅子が同じ動作で舞う、さき払い、3.祝詞、鏡餅りきひょうに向かい祝詞を奏上、4.千万歳、家の安泰と長寿を祝福する至福芸能、子供たちがささらを持ちはやし大人が各種ほめる、5.白刃、舞台を結界するしゅし芸で昔は村の成人した若者が演じた、かたなの手という結界作法の一つがある、6. 筏、詞章を謡い動作がなく古い猿楽の形態を残す、7.十六拍子、千万歳に登場した子達が扇子を持ち舞う、十六拍子もどきは前のものが終わってすぐ舞い戻って行う、8.山田打、餅で作った鋤を持ち問答し田を打つ耕作を祈る舞、9.麦つき、詞章を謡い所作がない、平成に復活した、10.田植、ささらを持った子達が田植えの所作をしお囃子はのびやかである、田植もどきは扇子に持ち替え掛け声をかけて1周回る、11.孕五月女、子達が取り囲んだ中の孕五月女が子の稲の霊を生みそれを耕作しに来たあるじが喜んで拾うという演出もので全国のここしかない、今は木の又であるが昔は稲藁であった、12.耕作散田、石高の帳簿作りを模擬的に演ずる、薙刀持ちの滑稽な一人芝居もつく、全国的に珍しい演目、13.年頭、年頭の挨拶を狂言風に演ずる、昔は恵比寿面でえびすといわれた、14.白刃、前段と同一でしゅし芸の結界作法で田遊び演目から前後のものになる、滝沢八坂神社の秋の神楽との相互関係か、15. 九字、密教や修験道の結界呪法、御朱印を結ぶ、二本九字、組九字、日天九字、月天九字、最後に抜刀し結界し終わる、九字もどきは四股を踏む所作で右回りに1周、16.太平楽、今はない鳥追い同様伎楽系の舞で結界目的、17.獅子、結界目的で霊力を授かるため見物人が触る、18. 薙刀、あと払いで薙刀を本殿に返すと全演目終了、
江戸時代:1.2.3.同じ、4.種あて、5.筏、6.えびす、7. 千万歳、8.九字、9.耕作、10.所定め、11.苗代ふみ、12.草ひろげ、13.代ふみ、14. 白刃、15.鳥追い、16.あら田打ち、17. 孕早乙女、18. 山田打、19. 麦つき、20. 十六拍子、21.代かき、22. 田植、23. 太平楽、24.新五郎出、25.御神田の鳥追い、26.稲刈り、27.獅子、28. 薙刀、
他の資料から江戸時代に演目が混乱したことが分かる。
今、午後6:30開始、午後11:30終了、昔は朝日が昇る頃まで行った。
2月18日、オリビラキ、リキヒョウの鏡餅割りし氏子に配る。安産お守りといわれる。
・ビデオ「高根白山神社古代神楽 静岡県指定無形民俗文化財」藤枝市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.21、'95、36分
毎年10月29日奉納。所在地は、藤枝市瀬戸川上流水源地、高根山に鎮座、神楽を継承している蔵田の集落は中腹にあり全42戸。800年前石川県から分霊、明治2年神仏分離令まで市之瀬の宮司・遠藤家が専任、神楽伝承も、昭和20年代まで市之瀬中心。うとうげの滝はうたげの滝の意で、市之瀬はこりとりの瀬の意で、こりとりしうたげをして参拝する農神さんへとなる。昔雨乞いでうとうげの滝の水と白山神社の土をもらい田にまくことがあった。
7月19日ムシアキの日、仏(つくりの神さん)を田んぼの人(農家)が信仰し山へ登拝した。志太平野では瀬戸川水源地として高根白山神社を農耕神として信仰した。10月29日秋の実りの喜びを伝える収穫祭として奉納がある。ウタテを含む山伏神楽の一つ、大井川左岸から安倍川までの駿河神楽として、この地域に広く分布。陰陽五行思想に基き舞台の飾り立てや舞が演出される。天井の九本の注連縄は山伏の九字を切る結界の呪術で、64の升目は日本全国64州である。舞台の四隅と中央の締めだれはウサといい、青:木・春・東、赤:火・夏・南、黄:土・土用・中、白:金・秋・西、黒(紫):水・冬・北で五行思想であり、舞台はこの世を凝縮している。舞もこの五方を順次拝する五行拝である。本番が近づくと麓の聖人堂で練習がはじまる。昔は市之瀬へ歩いて習いに行った。
本川根町坂京の中野家に残る史料で文政13年木版刷りの高根神社神楽における神楽奉納を一口加入で舞い、当日の参詣を誘うものが残されている。藁科川清沢神楽、川根笹間神楽と交流があり、中川根町徳山神楽、瀬戸川滝沢神楽とも交流があったようだ。市之瀬の人で各地を舞い歩いたという例がある。徳山神楽では延宝2年の祭文が残る。おそらく高根白山神社でもその程度遡るだろう。
祭り前日10月28日、聖人堂で準備、朝までおこもりする。
10月29日、幟を立てる。昔は青池(藤枝市警察署近く)の水で舞台を清めた。
神楽式 演目
弓矢やかなづちを持つとりものの舞と、仮面をつける人形舞がある。
1.神迎え:座揃え。
2.幣の舞:神楽全ての基本、どうがかり、大拍子、くずしとなっていて次第にテンポを速める序破急の3部構成である。
3.天狗面の舞:左手に榊持ち神々を案内する。猿田彦の故事にちなむ。
4. 湯立て(ユボコ)の舞:湯立て神事が早くに消失し舞のみ伝わる。
5.天王の舞:とりものを勺→榊→弓矢→幣束に取り替えていく。
6.殿面の舞:面形の舞で駿河神楽全般では他の人名のものがある。
(7.道化面の舞)…(数字. )は現在伝承なし
8. 五行(ごほう)の舞:陰陽五行思想の木火土金水の5つで、この世が安らかであることを願う。
9. 米の舞:舞台の四方で参拝する。はじめに近い演目に組まれている。地域により最終に近い神返しのこともある。
(10. 宇津女の舞)
(11. 金山の舞)
12. 三宝荒神の舞:三柱の神を鎮める。
(13. 米吉面の舞)
14. 姫の舞:女面の舞で二人の道化が絡み、駿河神楽ではここだけである。宇津女の舞は駿河神楽の一人舞に多くあるがここにはない。
(15. 加藤面の舞)
16. 剣の舞:木火土金水等の九字を切る刀伏である。
17. 戎子大黒の舞:鯛を釣る滑稽な無言劇。
18. 八幡天皇の舞:弓矢を五行に飛ばす。ここでは後半に行う。悪霊除けの五行固めの目的で、くずしで一人舞する。弓矢は魔除けになるといわれる。
(19. 火の舞)
20.神返し:しめ切、天井の幣を切って神を返す。
伝承のために後継者が大切である。川根や藁科との交流の中で形が整えられる。心を癒し豊かにしてきた農耕神事である。
・ビデオ「島田鹿島踊 静岡県指定無形民俗文化財」島田市教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.23、'95、31分
島田は大井川下流の宿場町で1601年制定され、今も川越遺跡が残る。宿場の中心にある大井神社は865年本川根町大沢から遷座し1276年御仮屋町に移った。大井神社の3年に一度の大祭が旧暦9月15日に行われていたが、現在10月15日までに近い日曜日に行われる。それが島田大祭「帯祭り」で、鹿島踊は大名行列(県指定無形民俗文化財)とともに行われる。祭りの隊列は、大奴・大鳥毛・神輿行列・鹿島踊・屋台である。長唄祭りとも云われ江戸から師匠を呼ぶことさえあった。
当地の鹿島踊は春日神社に疫病退散のため踊ったものとされる。鹿島踊自体は1814年には存在した東伊豆町北川(ホッカワ) 鹿島踊を鹿島神社で踊ったものがある。目的は村の穢れを海に流し海から幸を招くというものであり、道具は柄勺・お鏡・幣束を持つ。それらに共通性が見られる。鹿島踊を踊りこむと家内安全になると云われる。
行事の手順は、お門入りの依頼、踊り子の依頼、保存会で道具の修理、衣装合わせ、総合部会、中老祭典本部開き、青年の応接回り、祭りの10日前から練習開始となる。95年は10/10稽古上げ、総練習として本通りで町内の人たちに見せる。宿場東端に御仮屋作り。10/12本番、大井神社に参拝しお祓いを受ける。鹿島踊の隊列順序は白丁・三番叟(かつては本通りの長男だけに許された)・お鏡(杓子)・鼓・ささら・楽人(笛・箙・小太鼓・大太鼓)である。初日は町内披露でお門入りし、青年長の合図で踊りが始まる。終わると接待を受ける。10/13・14町外披露で、他の町内に行くには青年伝令が伝える。お宮巡りやお門入りもする。10/14大井神社で御本祭を執り行う。10/15大名行列→神輿行列→鹿島踊→屋台の順に行く。杉村家中せん祭、昔杉村家先祖が大井川を流れた神を拾い祀ったというので、神輿が立ち寄る。御仮屋でお旅所祭。鹿島踊もお旅所巡りし1周回る。神輿を大井神社に戻し、鹿島踊も舞い納めし、大祭本部で舞い納めして終了である。
・ビデオ「掛塚祭屋台囃子 静岡県指定無形民俗文化財」竜洋町教育委員会、ふるさと民俗芸能'ビデオNo.1、'94、30分