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国立西洋美術館 「プラド美術館展」記念講演会『ベラスケスとスペインの風景』

昨日は、夕方から、台風かの様な、強風の荒天でしたが、
今日までは引きずらなかった様です。
曇りですけどね。

と言う事で、国立西洋美術館で行われる
プラド美術館展講演会に来ました。

12:00に聴講券配布開始なんですが、
50分も前の11:10頃に通りかかってみたら、
既に行列ができ始めていました。
慌てて並びます。
こんなに早く並ぶ予定じゃ無かったんですけどねぇ。

足がしびれ始めた12:00になって、聴講券配布開始。
以前は、講演タイトルと講師の名前が書かれた
紙の聴講券だったんですが、こんな聴講券になったんですね。

エコではありますが、前の方が良かったかなぁ。

講演開始の14:00になって、講演開始。
今日の講師は、このプラド美術館展監修者で、
国立西洋美術館主任研究員の川瀬佑介さん。
講演テーマは「ベラスケスとスペインの風景」

以下に、だいたいの要旨を示します

  • スペインでは、フランドルの様に純粋な風景画と言うものは発展しなかった。宮廷の様子を描いた絵画の中で、風景の描写が成長していった。

  • 《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》。風景画の発展しなかったスペインにおいて、この絵画の風景は例外的。ベラスケスは、風景(画)は描いたが、主たる作品ではない。しかし描かれた風景はリアルで、また、当時の描き方として非常にモダンだった。描かれているのはグアダラマ山脈と見られていて、実際の山々の様子と一致している。
  • ベラスケス以外にも、スペインで風景画を描いた画家は居た。しかし、スペインでは風景画はマイナーなジャンルであり、宗教画などの方がメジャーなジャンルだった。
  • スペインの風景画の特徴は、宮廷を中心に発達したという事。理想的な風景、宮廷の行事を記録するクロニクルという要素が強い。
  • その様な背景の下、ブエン・レティーロ宮には多くの画家の絵画が飾られた。
  • また、アランフェス宮には「風景の間」が作られる。

  • フランスの画家、クロード・ロランの描いたイタリアの風景は、明るい表現である。
  • 他方フランドルの画家、ヤン・ファン・ホイエンは、どんよりした天気も含めて写実的。明るいイタリアの絵画とは異なる。
  • スペインの画家エル・グレコの《トレド風景》は、決して写実的光景では無い。グレコは、写実的にトレドを描こうとしたわけではなく、トレドを象徴するものを描こうとした。
  • ペドロ・デ・オレンテの絵画には、聖書の画面に風景の意味合いも含められている。ベネチア絵画の影響と見られ、ティツィアーノの作品に似ているところもある。オレンテはグレコの影響を受けている一方、カラバッジョの影響も受けており、彼はそういう意味で、ベネチア派の画家と言える
  • ティントレットの《ガラリア湖のキリスト》での空の表現は、オレンテにも通じるものがある

  • ファン・バウティスタ・マイーノ。彼は、17世紀の初めにイタリアで絵画を学んだ。その後トレドで仕事した。
  • マイーノはローマでカラバッジョのみならず、多くの画家から良いところを学んだ。いいとこ取り。《洗礼者聖ヨハネ》では、ローマで学んだことを上手に表現している。
  • トレドは静物画を生み出した街だが、風景画も産んだ。
  • マイーノは才能に恵まれていたが、後に修道院に入ってしまうので、ローマで学んだ事を活かしきれなかった。

  • スペインにおいて、静物画はコレクターが育ったが、風景画についてはそうではなかった
  • ベラスケスが風景画を描いたのはイタリアの影響。《ヴィラ・メディチの庭園》は1630年にローマで絵描かれたが、時代に似つかわない表現がなされている。あまりに現代的な表現がされている。光を描きたかった?とも思われる。この時、4枚描いたと言われているが、《ヴィラ・メディチの庭園 クレオパトラのロッジア》と《ヴィラ・メディチの庭園 グロッタのロッジア》以外の2枚は見つかっていない。

  • 当時の戸外制作。ザンドラルトは、ロランに戸外制作を教えたと言っている。しかし、ザンドラルトが特に戸外制作に興味を持っていたという事は見受けられず、真実は不明。
  • 1630年ごろに、ベラスケスの他に、戸外で油彩で風景画を書いたと見られる作品は見受けられず。
    <il>ローマからの帰還後にベラスケスが描いた風景画は《フェリペ4世の猪狩り(テラ・レアル)》だけ
  • その他ベラスケスは、宗教画の背景に風景を描いている。しかし、工房が書いたのでは無いかという見方もある。


  • ベラスケが描いた《ブレダ開城》。フランドルにベラスケスは行っていないが、版画などを参考に背景の風景を描いている。これが飾られたブエン・レティーロ宮には、この作品を加えて12枚の戦勝絵画がある。戦勝画なので、何らかの風景の表現が必要。12枚の絵画は他の画家も描いていたが、それらは必ずしも風景画が得意な人では無かった。
  • フランシスコ・コリャンテスの風景画の画法は、フランドルの後期マニエリスムを下にしていると見られる。ヨース・ド・モンペールの様にスペインに行ったフランドルの画家がおり、コリャンテスはそれらからフランドル画法を学んだ?と考えられる。コリャンテスは風景画専門ではなかったが、重要な風景画画家の1人である。
  • アントニオ・デ・ぺレーダの《ジェノヴァ救援》。ぺレーダはイタリアに行った事は無いが、フランドルの版画などを下に描いている。
  • 《泉のある山岳風景》はアントニオ・デ・ぺレーダの作か、疑問がある。アントニオ・デ・ぺレーダの父も同姓同名のアントニオ・デ・ぺレーダであり、且つ、画家であった。もしかしたら父の作品かもしれないし、父の作品とした方が、自然に理解できる。
  • フェリクス・カスティーリョとジュセペ・レオナルド。この2人もブエン・レティーロに戦勝画を描いている。
  • ブエン・レティーロ宮の12枚の戦勝画は、殆どがスペインの外の戦い。画家は、そんなところに行った事は無いので、非常に困惑している。
  • フランシスコ・デ・スルバラン。最も風景画と縁遠そうな人だが、《カディス防衛》を描いている。《ヘラクレスとクレタの牝牛》については、マイーノの絵を学んだ?とも見える。
  • 《荊冠の幼児のキリスト》は、フランシスコ・デ・スルバラン工房の作品と見られる。風景表現がフランドルに近いと思えるので、工房に風景を描ける人が居たと解釈できる。

  • セビーリャでの風景画について少し述べる。
  • イグナシオ・イリアルテは殆どが風景画。
  • バルトロメ・エステバン・ムリーリョの作品には風景はあまり出てこないが《ラバンの羊の前に皮をはいだ木の枝を置くヤコブ》は、数少ない例。彼は、風景が得意では無かったのでイリアルテに風景を描いてもらおうとしたが、色々あって断られ、結果自分で描いた。しかしイリアルテの風景に似ており参考にしたと思える。

  • ブエン・レティーロ宮の話に戻ると、アロンソ・カーノの《王太子バルタサール・カルロス》の背景にも美しい背景が描かれている。
  • 《狩人のいる風景》は、誰が描いたかは不明だが、ベラスケスやカーノに近い風景表現がされている

  • フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ。ベラスケスの弟子?《アランフエスでの狩猟上覧》はフランドル風でもある。
  • 《サラゴサ眺望》は、マーソの傑作の一つ。王がここを訪れた事を記念する作品である。
  • 1657年にマーソはイタリアに行った。《ティトゥス帝の凱旋門》はその時に描いたかと見ることが出来、また、構図はベラスケスやロランを参考にしたとも見ることが出来る。マーソの描いた《ティトゥス帝の凱旋門》は、比較的リアルだが、画中にほとんど人がおらず、独特の空虚感がある。
  • ベニート・マヌエル・アグエロの《ラトナとカエルに姿を変えられた村人たち》は、マーソに似ている。アグエロが、アランフエス宮の風景画ギャラリーの33点の作品を一人で描いたと言う資料が存在している。しかし、その33点はマーソ描いたという資料もある。

こんな感じでしょうか。
なかなか面白かったです。
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