栗の木蔭にて思うこと

訪問専業「くりす鍼灸マッサージ院」

善魔

2014-09-04 07:53:17 | 日常のこと
人間は自分の思い込みで病気になる事がある。


例えば、Bさんにはある夢があり、そのために食費は月に1万円、お風呂もシャワーを5分だけと、かなりの節約をしている。

そんなBさんを見たAさんは、Bさんを不幸だと決めつけて「Bさん、不幸だね、苦労しているね、可愛そうに。」と言う。


(ここで、Bさんの反応は2つのどちらかに分かれる)


①Bさんは自分は不幸だとは全く思っていないので「Aさんは何を言ってるんだ?」と思う。

②今までちっとも不幸だとは思っていなかったけど、Aさんに「不幸だ」と言われた事で、「自分は不幸なんだ」と思ってしまうようになった。


その後、AさんはBさんを不幸だと思い続け「Bさんを助けてあげないと…」「Bさんは可愛そうだ」

と心配をし過ぎて病気になり、

時には、「あなたの事を気にし過ぎて病気になった。」とBさんに怒りを向ける。


一方のBさんは、①の場合は気にしないので何ともないが、

②の場合は、欝(うつ)になってしまったり、

Aさんに対して「あなたがあんな事を言わなければ、私は悩まずに済んだのに」と怒る場合があります。



こんな場合、Aさんに悪気が全く無く、Aさん自身は「哀れみ、同情している」と思っている事が多いので、よけいに話がややこしくなります。


「カラダにいいことをやめてみる」という本に書かれている‘善魔’には同感です。

また「マザー・テレサ、日々のことば」の5月6日、

「私たちは、貧しい人たちに単なる同情やあわれみではなく、思いやりをもって接するようにすべきです。」

人と真剣に向き合った、マザー・テレサだからこそのこの言葉。

人というものをしっかりと見ていないと出ない言葉だと思います。

この言葉にはとても考えさせられました。






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