ふと、考えてしまう時だってある・・・
車椅子に...この病気に罹っていなかったらと。
誰もがあの時 『こうであったら』 と考える様に…
入院も手術も自分で決心した事だし、障害を負ってしまった事に対して
悲観的に考えた事はないけれど...
強い痛みや痺れと共に生きるのは、楽しい事ではないが
バイクに乗れないという事以外、車椅子で生きる事は
私にとって、それ程「悲劇的」でも「屈辱的」でもなかった。
それに、手の自由が効いた頃は、木彫に対する
“情熱”や“願望”や“野心”も捨ててはいなかった。
けれど・・・手の自由が奪われた現在。
私は、大空を羽ばたく鳥が羽を失ったも同じ...
子供の頃から、胸に秘めて大事にしてきた夢を失ったのだから…
しかし、このまま死を迎える為だけの様な人生で構わないのか
自問自答してみる。
車椅子に...この病気に罹っていなかったらと。
誰もがあの時 『こうであったら』 と考える様に…
入院も手術も自分で決心した事だし、障害を負ってしまった事に対して
悲観的に考えた事はないけれど...
強い痛みや痺れと共に生きるのは、楽しい事ではないが
バイクに乗れないという事以外、車椅子で生きる事は
私にとって、それ程「悲劇的」でも「屈辱的」でもなかった。
それに、手の自由が効いた頃は、木彫に対する
“情熱”や“願望”や“野心”も捨ててはいなかった。
けれど・・・手の自由が奪われた現在。
私は、大空を羽ばたく鳥が羽を失ったも同じ...
子供の頃から、胸に秘めて大事にしてきた夢を失ったのだから…
しかし、このまま死を迎える為だけの様な人生で構わないのか
自問自答してみる。