「こんにちは赤ちゃん」の歌で知られる梓みちよさんが亡くなったという事をニュースで知りましたが、香淳皇后の御着物その3でちょうど、梓みちよさんが昭和天皇御夫妻の御前で、「こんにちは赤ちゃん」の歌を歌った時の香淳皇后の御着物を記事にしようと準備していましたので、突然の訃報でビックリしました。
御前での歌を終えて、昭和天皇と香淳皇后は、梓みちよさんを誘ってお庭に出られて鳩に餌などを与えるなどして、和やかなひとときを過ごしました。この時の香淳皇后と梓みちよさんのお着物は白黒ですので色は、分かりませんが、金か銀通しの紋無地を御召しに、梓みちよさんは、綸子の菊の柄の振袖を着ています。
お二人ともとても楽しそうですね。
昭和天皇と香淳皇后と梓みちよさん。楽しいひと刻だったと思います。
「皇室日記」の平成21年(2009)5月3日放送で、梓みちよさんが椿山荘で、昭和天皇御夫妻の御前で「こんにちは赤ちゃん」を歌った時の特集でしたので、紹介します。
ナレーション
「昭和39年(1964)、学習院初等科の同窓会に出席される為、昭和天皇は香淳皇后は目白の椿山荘を訪れました」
ナレーション
「その時、同窓生達は香淳皇后に楽しんで頂こうと歌手、梓みちよさんの舞台を用意したのです」
杉上幸智枝アナウンサー
「緊張~というのは、どの程度されたのですか?」
梓みちよさん
「その時はもう!!本当ーに!!そうですね、自分がえ~と46年位、歌ってますけど、その中でやっぱり一番緊張したと思います」
杉上幸智枝アナウンサー
「そうですか~~」
梓みちよさん
「足があんなに震えたのお着物だったからよかったナ~と思いますけど」
杉上幸智枝アナウンサー
「両陛下の前で歌われたという事は、梓さんにとって、どういう思い出というか、意義のある・・・・」
梓みちよさん
「それは、日本人としてこんなに~~名誉な事はない訳ですから、それと日本人として親に孝行出来た事、親が一番喜んでくれたのは、後にも先にも・・・・」
梓みちよさん
「それだけ」
香淳皇后の前で昭和天皇みずからかがんで、鳩に餌をあげていらっしゃいます。
杉上幸智枝アナウンサー
「舞台が終わると、昭和天皇と香淳皇后は梓さんを伴い、庭先で楽しいひとときを過ごされました」
香淳皇后のおみ帯のお太鼓の斜めの具合といい、後ろの御姿いい日本画の絵姿そのものでとても素敵です。
昭和28年(1953)3月30日、昭和天皇の御名代としてイギリスのエリザベス女王の戴冠式に参列等の外遊にご出発の東宮殿下を御見送りになられる昭和天皇御夫妻。
香淳皇后は桜の訪問着を御召しです。
多分、昭和45年4月に御召しの桜の訪問着と同じだと思います。
御優しく暖かい笑顔の母宮様です。
新春の皇室御一家
この時に御召しの菊と桐の柄の訪問着
昭和34年(1959)の上皇御夫妻の御成婚時の御内宴前にも紹介しましたが、珍しい当時の記録映像を見つけましたので。
こうして見ますと、なんて和やかな皆様でしょうか、東宮妃になられた美智子殿下を皆様気にかけていらっしゃるご様子デス。そして御着物姿の香淳皇后の自然体な立ち居振舞と優しい笑顔が印象的です。
昭和35年9月29日 参議院本会議場に初めて昭和天皇と御一緒に国会へ御出ましになられた香淳皇后。
この時御召しの琳派の柄の訪問着です。
国会での香淳皇后のおみ帯は、先に紹介した椿山荘でのおみ帯と同じなのですが、一体何の柄なんでしょうか?
昭和35年12月13日に宮中に参内した、パキスタンのアュブ・カーン大統領と昭和天皇御夫妻と高松宮殿下
香淳皇后は白(多分)孔雀の柄の訪問着を御召しに。
昭和37年(1962)10月、上皇后陛下が皇室に上がられてからの園遊会です。
カラー写真です。香淳皇后は、縫箔の菊の紋の訪問着を御召しです。昭和天皇と香淳皇后とお話をされる、当時の東宮妃美智子殿下、そして東宮殿下の後ろで顔を覗かせているのは、東宮妃殿下のご母堂の正田冨美刀自です。
昭和38年5月28日にタイのプミポン国王とシリキット王妃をお招きする昭和天皇御夫妻と高松宮殿下。この時の訪問着は、
香淳皇后の干支は兎ですのでそれをデザインした訪問着は、昭和45年5月にも御召しです。