皇嗣妃殿下が見られた向日葵は、「はるか」の向日葵と呼ばれる被災地に縁のある向日葵です。被災地と言っても東日本大震災の被災地でなく、阪神・淡路大震災の被災地の事です。
2月2日放送の「皇室日記」では、妃殿下がお詠まれた向日葵の特集でしたので、一部ですが、紹介します。
藤井恒久アナウンサー
「先月16日・・・・」
藤井アナウンサー
「令和初の歌会始、紀子様は東日本大震災で被災した釜石で見た、光景を詠まれました」
井田由美アナウンサー
「高台に 移れる校舎の きざはしに 子らの咲かせし 向日葵(ひまわり)望む」
藤井アナウンサー
「去年9月、秋篠宮ご夫妻は復興状況の視察と、ワールドカップの観戦の為、岩手県釜石市を訪問されました」
藤井アナウンサー
「津波で被災した小学校と中学校の跡地に建設されたスタジアム」
藤井アナウンサー
「学校は、近くの高台に移転しました」
井田アナウンサー
「試合の前日、階段に沢山の向日葵(ひまわり)を並べた、生徒達。それは、全国の被災地に植えられ、復興の象徴となっている『はるかのひまわり』と呼ばれる花でした」
新設された釜石祈りのパークです。
井田アナウンサー
「ご夫妻は、釜石に到着されると昨年新たに完成した、慰霊碑に迎えられました。その時、高台には、綺麗に並んだ向日葵の花が・・・・」
井田アナウンサー
「紀子様は、可愛いですねと喜ばれたといいます。そして、その時の情景を歌に詠まれました」
井田アナウンサー
「この和歌を知った生徒達は・・・・・」
市立釜石東中学校 3年生の佐々木心響さんは、
「震災の時にも訪問してくれましたし、地域の人達にも、凄く元気の素(もと)になるのだと思います」
市立釜石東中学校 3年生の中澤天馬君は、
「和歌も詠んでもらって、個人的にはうれしいです。被災して、ちょとこの町も活気がなくなったってか、まあ、そんな感じになってしまったですけど、この前のラグビーを通して、紀子様、来て頂いたり、まあ、さまざまな活動が出来て、地域の元気を取り戻せたのかな~と思います」
藤井アナウンサー
「生徒達と一緒に、階段に花を並べた岩崎昭子さん、津波で被災した地元の女将さんです」
藤井アナウンサー
「復興を願い、『はるかのひまわり』を広めていました」
宝来館 女将 岩崎昭子さん
「あのーぜひ、このひまわりで~、あの~スタジアムを飾ろうという計画があり、それが丁度、秋篠宮様、紀子様がいらっしゃるその日にもし、目に止まって頂くのであれば、あの~そういう風な、偶然が重なるといいですね、というのが、ひまわりの飾り付けだったんですよー」
岩崎昭子さん
「阪神の皆さんの思いと、地元の子供達がひまわりで繋がる、それをネ~❤️印象深く(紀子様が)思って頂いたっていうのが、とても嬉しく思います。ウフフフフ」
井田アナウンサー
「被災地に咲く向日葵、その繋がりの始まりは、25年前、(平成7年・1995年、1月17日に発生した)阪神・淡路大震災でした」
井田アナウンサー
「自宅が倒壊して、亡くなった小学生六年生の加藤はるかさん、朗らかで笑顔の多い女の子でした。震災から半年が過ぎ、夏を迎えた頃、亡くなったはるかさんの家のあった場所に、沢山の向日葵が咲きました。
『はるかのひまわり』いつしかそう呼ばれるようになったその花の種は、地元の人々の手で植えられ、全国各地に広がってゆきました」
地元の人達に植えられた「はるかのひまわり」
井田アナウンサー
「太陽に向かって力強く咲く花は、復興と希望の象徴に・・・・」
藤井アナウンサー
「震災から丁度、10年となった日、神戸で行われた追悼式典に上皇御夫妻が出席」
上皇陛下
「深い、哀悼の意を称します」
この時にご遺族から上皇御夫妻に送られた「はるかのひまわり」は、御所のお庭にうえられました。当然、皇嗣両殿下もご覧になっていらっしゃるはずです。
藤井アナウンサー
「御所の庭に蒔かれた種は、毎年大輪の花を咲かせるようになりました」
井田アナウンサー
「そして、去年1月、平成最後の歌会始、上皇様はその事を歌にされました」
藤井アナウンサー
「贈られし ひまはりの種は 生え揃ひ 葉を広げゆく 初夏の光に」
井田アナウンサー
「上皇様の歌に心を動かされたのが、岩本しず子さん、はるかさんが通っていた小学校の校長先生でした」
スタッフ
「どんな女の子だったんでしょう」
震災当時、小学校の校長だった 岩本しず子さん
「明るい女の子でね、穏やかな・・・・・」
岩本しず子さん
「一人一人を忘れずに、心に留めて頂いて、すごく有難いことだと思います」
「はるかだけでなくって・・・・災害で亡くなった方、今まで平成の中で亡くなられた方はへの全ての方々への思いでしょうね~」
井田アナウンサー
「『はるかのひまわり』の繋がりは、平成から令和へ・・・・・」