この記事は4年程前に書いたものですが、再アップしました。
皇嗣妃紀子殿下のご結婚の時の唐衣裳(十二単)を御紹介します。
その前に、今まで十二単と書いてきましたが、シロガネが物凄く参考にしている「宮廷衣装」という大型本には、十二単というのは俗称で正式には、唐衣裳というのが正しいらしいのですが、十二単というのでも別段問題はないとの事です。
シロガネも、どちらでもいいと思っていましたので、十二単と書いてきましたが、せっかくだし、少し違う感じで書いていこうと思います。
⚪️唐衣
⚪️裳
⚪️長袴
御装束姿の皇嗣両殿下(御成婚前の6月25日に賢所の控えの間にて御撮影)
御成婚当日とその前に撮影された時、妃殿下の唐衣裳の着付けを担当された人は、それぞれ別の人だったのでしょうか?それしか説明のしようがありません。
常陸宮華子妃殿下
高円宮承子女王殿下
秋篠宮皇嗣両殿下は、平成2年(1990)6月29日に「結婚の儀」に臨まれた。
その時に皇嗣妃殿下が御召しになられた花の様な美しい唐衣裳を、御紹介します。
表地 白経(しろだて)、萌黄緯(もぎぬき)の亀甲地文に淡紅色のかに丁字紋の上文の生二陪織物
裏地 萌黄の小菱文の綾織物
卯の花襲(表白、裏萌黄)
(卯の花襲の表は、白なのですが皇嗣妃殿下の御召しの唐衣の表地は経糸白、緯糸萌黄を白とした織物です)
⚪️表着 花橘襲 (表、朽葉・裏、青)
表地 紅経(くれないだて)、黄緯(きぬき)の松菱地下文に、萌黄色の尾長鳥の丸紋の上文の生二陪織物
裏地 青の生平絹
表地の朽葉色は、経糸、紅・緯糸、黄とした織物です。
⚪️打衣
濃色の無地綾織物
⚪️五衣 白撫子襲(表、白・裏、蘇芳、紅、紅梅、青、薄青)
表地 白地の藻勝見立涌文様の固織物
裏地 蘇芳、紅、紅梅、青、薄青の平絹
⚪️単衣
濃色の幸菱文様の固地綾
⚪️裳
白地に三重襷文様の固織物に桐竹尾長鳥の地摺り紋
⚪️長袴
濃色の精好
御装束姿の皇嗣両殿下(御成婚前の6月25日に賢所の控えの間にて御撮影)
御成婚の装束姿ので撮られた皇嗣妃殿下の着付けが悪いと言われています。シロガネも両殿下の御成婚記念の雑誌で掲載された御二方の写真を見た時、やはり皇嗣妃殿下の五衣のエリの重ねがきちんと合わさっていないのが、とても気になっていました。
しかし、「結婚の儀」での写真なんかを見ますと、エリの重ねはきっちりと合っています。
御成婚当日とその前に撮影された時、妃殿下の唐衣裳の着付けを担当された人は、それぞれ別の人だったのでしょうか?それしか説明のしようがありません。
高倉流の人の着付けとの事ですが、上皇后様の東宮妃時代の着付けも高倉流の人だったとの事です。同じ人かは、分かりませんが唐衣裳の着付けに、慣れていなかったのでしょうか。何とも不可思議な事です。しかし、祭祀の御装束は、小袿、五衣、又は袿袴が中心ですし、唐衣裳は御成婚、御大礼の時くらいですから、やはり着付けに慣れていなかったのでしょうね。
賢所を歩かれる皇嗣妃殿下の五衣のエリの重ねがぴったり合い、白撫子襲の裏地の五色の色彩が、まるで虹の様に美しく重なっていらっしゃいます。その妃殿下の姿を動画で見るたびにどうしてこうなったのか、何とも残念でなりません。
しかしながら・・・・
平成の御大礼での秋篠宮妃紀子殿下
令和の御大礼の時の皇嗣妃紀子殿下
ご成婚の時より29年の歳月が流れまして、あのご成婚時(1990年)や平成の御大礼では、ホントに初々しくいらっしゃた紀子妃殿下も令和の御大礼(2019年)では・・・・
ご成婚の時より29年の歳月が流れまして、あのご成婚時(1990年)や平成の御大礼では、ホントに初々しくいらっしゃた紀子妃殿下も令和の御大礼(2019年)では・・・・
堂々たる皇嗣妃紀子殿下のお姿となられました。
そして平成の時と同じく皇后陛下の次の筆頭としてのお出ましになられました。
そして平成の時と同じく皇后陛下の次の筆頭としてのお出ましになられました。
秋篠宮眞子内親王殿下
秋篠宮佳子内親王殿下
常陸宮華子妃殿下
三笠宮信子妃殿下
三笠宮彬子女王殿下
三笠宮瑶子女王殿下
高円宮久子妃殿下
高円宮承子女王殿下
御大礼時に女姓皇族方がお持ちになられた檜扇。こちらは、久子妃殿下ご使用されたものです。他の方々も同じ檜扇をお持ちになられました。