高畠華宵《三宅やす子作・『傍流』挿絵》
又こんな歌が上がっておりました。
高畠華宵《傍流・挿絵》
へんてこりんで面白いデス。
『諜報能力 慧眼だ
潜入 廁務員 慧眼だ
娘のハニトラで ひっくり返す
ゆっくり コート 簒奪だ
根性! 根性! 根性がプロ!
ハイノリ コート 朝飯前だ~~
秘密を握って 根性!
強請でのしあがる 根性!
根性! 根性! 根性!
強いニダ~~
国会審議を中断させた
六週胎児と テロップ入れた!
診察台から マッハ立ちヌン!
国母はモロタニダ~~
根性! 根性! 根性がプロ!
産み分け技術は 禁止されていた~~
タブーを犯して 根性!
てっぺん取ったる 根性!
根性! 根性! 根性!強いニダ━━
英国王室 塩対応
ベトナム国会も あら塩対応
ヒンシュクかわれて 蔑まれ
いないことにされたニダ~~
根性! 根性! 根性がプロ!
ワタシはコーゴ
なるヒトですよ!
コームで稼ぐぞ 根性!
トーダイ入れるぞ 根性!
根性!根性! 根性強いニダ~~』
普通だったら何て酷い歌だと思うでしょうが、この歌を聞いて皇后様にもこれくらいの根性があればな・・・・というのがシロガネの感想です。
《巨人の星~行け!行け!飛雄馬》
『「ゆけ 飛雄馬」
思い込んだら 試練の道を
行くが男の ど根性
真っ赤に燃える 王者のしるし
巨人の星を つかむまで
血の汗流せ 涙をふくな
ゆけゆけ飛雄馬 どんとゆけ
腕も折れよと 投げぬく闘志
熱球うなる ど根性
泥にまみれ マウンド踏んで
勝利の凱旋を あげるまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんとゆけ
やるぞどこまでも 命かけて
父と鍛えた ど根性
男の誓いを 果たすまで
血の汗流せ 涙をふくな
ゆけゆけ飛雄馬 どんとゆけ』
・・・・根性ものと言ったら“普通の日本人”なら《巨人の星》や《ど根性カエル》ぶものですけど、カピ子さんはわざわざ北朝鮮の歌を選ぶなんて凄く変わっておりますね。
しかし皇嗣妃殿下にあるものはまさに!!
「体力」
「精神力」
「根性」
高畠華宵《傍流・挿絵》
日々積み重ねた体力!
強靭な精神力!
鋼の根性!
星飛雄馬
「こんなことくらいで くじけるもんか・・・・」
・・・・であります。皇后陛下は現在の皇室だけを、皇嗣妃殿下は将来の皇室を見据えているわけです。お互いに見ている世界が全然違うのですからかみ合うわけがありません。
栗原玉葉《山茶花》
《攻撃戦だ(コンギョ)》は北朝鮮の人たちよりも日本人の方が知っているという不思議な歌です。
《攻撃戦(コンギョ)だ》
『赤旗かがけて 進撃して行く
銃隊を先頭に 突撃して行く
一心の千万隊列を導いてゆく
その姿は先軍の目標なのだ
攻撃 攻撃 攻撃 前へ
将軍様の革命方式は
白頭山(ペクトウサン)の稲妻のように攻撃
正日峰の雷のように攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
山岳が防いで立っても停滞はない
敵が押し寄せても 防御ではない
一瞬も止まることなく 真っ向から対決する
その戦法は必勝不敗だ
攻撃 攻撃 攻撃前へ
将軍様の革命方式は
白頭山の雷のように攻撃
攻撃
正日峰の雷のように攻撃
攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
目標は強盛大国の望の峰
道しるべは主体思想の偉業の勝利の峰
先軍の走路を真っ直ぐと暴風吹かせて進む
その歩みは強行軍だ
攻撃 攻撃 攻撃前へ
将軍様の革命方式は
白頭山の稲妻のように攻撃
攻撃
正日峰の雪のように攻撃
攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ
白頭山の稲妻のように攻撃
攻撃
正日峰のように攻撃
攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦だ』
伊東深水《虹》
大ヒットしている『ガンダムSEED』の主要キャラクターであるアグネスの詳しいテロップが公開されました。
アグネスのプロットを拝見しまして、あぁアノ御方に
そっくりだと思いました。
「私のこと、好きなはずよ・・・・男なら誰だって」
シンとルナマリアとアカデニーで同期で元ザフトのレットパイレト。アカデニー時代はルナマリアより当然シンよりも優秀な成績。首席のレイに次ぐ成績。プラントの高官の娘。親はザラ派。中略・・・・そこに(パイロットしての)腕も良く若くなかなかの美人で華やかな子なので
軍の広報部の宣伝に使われ「月光のワルキューレ」等と持ち上げられた。それが為に危険な戦場に出る事が少なく、いわば“井の中の蛙”状態。
ニコ・ピロスマニ《女優・マルガリータ》
それでなくとも大層な自信家で腕も容貌も自分が最高だと信じて疑わずそれを絶えず証明したがる結構な我が儘娘。
だが彼女を良く知らない男子の人気は高い。
(その筆頭と某宮内庁幹部)
・・・・興味のない相手には実にそっけ無く、落とそうとする相手には自然と相手の望むタイプでいられる。
(雅子さまの感情豊かで心優しい姿)
(全てにおいて心が清らかで優しい皇后さまという感じには伝わってくる)
・・・・「擬態」を使えるというか使ってきた。
(中略)
昔からそんな感じなので本当の彼女を知っている人は少ない。何を望み何をしたいのか?本心を出さないが彼女自身もよく分からないというか深く考えていない。
ニコ・ピロスマニ《ビールと女》
ステータスを望む人間は根っこの部分で自分に自信がない、恐怖を抱いている場合が多いが彼女も恐らくそう。
ニコ・ピロスマニ《オルチャラの美女》
自分という価値が壊されることに関して異常な警戒を抱く。なので自分を脅かすものは私を認めないもの。自分の価値を認めないものとする。
(ご夫君を使って全世界に「私は認められていない」と発言された歴史的事件。でもどうしたいのか雅子様ご自身も分かっていらっしゃらなかったと、現在ではそう見ております)
・・・・愛想がよくおじさん受けが良いので、上官の覚えめでたく、
福田のおじ様
「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ🎵」
逆に同輩の女子からは引かれているが、ランクの低い女は相手にしないので気にしない。
相手にしない
口こそ出さないが美貌はラクスより勝っていると思っている。
(紀子妃殿下より)美貌は勝っていると思っている・・・・
目的の為なら「女」を使うことも躊躇わないが安売りはしない。
ニコ・ピロスマニ《オルチャラの美女》
誰とも寝るような子ではない。
なので案外恋愛経験は低い。実際男を見る眼もない。それが結局人生を誤ってしまうわけだ。
本人に悪意はなく、群がる男共をそこそこ勘違いさせていいようにこき使ってきた。あたかも当然の如く。
当然の如く
当然の如く
・・・・コンパスに入隊したのは「世界に君臨するトップエリート部隊だ」と思い込み一連のマイナスを一気に取り戻せると思った為。
ニコ・ピロスマニ《女優・マルガリータ》
《100万本のバラ》
『小さな家とキャンパス 他に何もない
貧しい絵描きがある女優に恋をした
大好きなあの人にバラの花をあげたい
ある日街中のバラを買いました
100万本のバラのを
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラで埋め尽くして
ある朝 彼女は 真っ赤なバラの海を見て
どこかの お金持ちが ふざけたのだと思った
小さな家とキャンパス 全てを売ってバラの花
買った貧しい絵描きは 窓の下で彼女を見ていた
100万本のバラのバラの花を
あなたはあなたはあなたは見ている
窓から窓から見える広場は
真っ赤な真っ赤なバラの海
出会いはそれで終わり
女優は別の街へ 真っ赤なバラの海は
華やかな彼女の人生
貧しい絵描きは 孤独な日々を送った
けれどもバラの思いでは 心に消えなかった
100万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラに埋め尽くして
100万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラで埋め尽くして
100万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラで埋め尽くして』
高畠華宵《花束》
・・・・100万本の薔薇のモデルになったのはジョージアの国民的画家である、ニコ・ピロスマニが描いた《女優・マルガリータ》です。
100万本の薔薇🌹の女優
今月急死された山本陽子さんが出演されていた『羅刹の家』当時シロガネも見ておりました。加藤紀子さんのセリフが棒読みでエ―――!?となりながらも面白くって最後まで見てしまいました。
羅刹の家と同じ、恐ろしい皇嗣家とか世間に流れております。それに怯まず皇嗣妃殿下は宮家の多くの職員の気が緩まぬようにしっかり手綱を掛けて、周囲の皇族方に眼を光らせて、己を律して、将来の『天皇の母』として恥ずかしくないようにと・・・・
高畠華宵《傍流・挿絵》
・・・・日々研鑽を重ねていらっしゃるのです。
井川洗厓《京の揚巻》
もうね、羅刹でも般若でもなってでも現代及び将来の皇室を守ってゆく使命に燃えているはずです。
高畠華宵《傍流・挿絵》
同じ時期に大河ドラマ『徳川慶喜』で和宮の母、観行院を演じられていた山本陽子さんです。御所言葉が素晴らしい。和宮役の小橋めぐみさんも可愛らしい。
高畠華宵 挿し絵
リアルタイムで見てましたし、宮尾登美子さんの『天璋院篤姫』も読みふけっておりました。そのせいで和宮の事も凄く興味を持っていましたから、毎回凄く楽しみに見ていました。
ちなみに和宮も妃殿下も“丙午”産まれであります。
この頃の衣装考証は小泉清子さん。そのせいか現在と違って、女優さん達の衣装が頻繁に違ってそれだけでも目の保養となっていましたね。
現在の《光る君》の藤原まひろの衣装は何時も同じ衣装です。高級女子会でも同じ衣装ってか普段着(^_^;)変ですよね。いくら貧乏とは故、高級女子会に普段着で参加するなんてあり得ない。その変のところがもう小泉さんの頃とは違ってしまいました。
見ていてつまらない。
有名なお茵無しの対面事件ですが、今改めて見ると宮様方が廊下を歩かれる時の装束の衣ずれの音が響いて良いですね。
史実ですが、わざわざ和宮の方から挨拶に訪れているのにお茵無しの下座に座らせるのはどう見ても失礼に当たります。
『篤姫』でも同じでしたがやはり風格が違いますね。。一番は“脚本家”の力ですかね・・・・宮尾先生は良く耐えられたと思います。
現在のやかましい大河や今放送中のなんちゃって『大奥』とは比べるべきもありません。
宮様に一服でも二服でも毒を盛りそうな滝山が本当に恐ろしい・・・・和宮付きの女房の重子(多分庭田嗣子典侍がモデル)という役の人の言葉遣いが、この人本当に御所の女官ではないかと思うほど流暢な京言葉の御所言葉でしたので、現代でも凄く印象に残っております。
夫婦仲良くしている時、厳しい~~姑のご登場。天璋院の和宮の物言い方、特に「そなた」呼ばわりは当時見ていてアレは無いだろうと思いながら見ておりました。
将軍・家茂の役の人が変わってえ!?となりました。家茂と和宮は同じ歳で、共に産まれる前に父親を亡くしているもの同士でしたから、そういった意味でも共通する思いがあったのでしょう。誕生日も二週間違いで、和宮の方が早くに産まれております。
栗原玉葉《私の好きな女》
・・・・どうも和宮は家茂の養母である天璋院よりも家茂の実母の実成院の方を気遣っていたようで、庭田嗣子が書いた《和宮御側日記》に実成院と歌留多遊びをしたり、年末の挨拶には家茂も実母の実成院を伴ったりしたりする様子が書かれておりました。
和宮は江戸城で最愛の母・観行院を亡くしてますが、《徳川慶喜》では厳しい姑である天璋院は、和宮を気遣う等して徐々に関係が深くなる様子が描かれていました。
島成園《私の好きな女》
近代の皇后や宮妃が切磋琢磨しながらもなさってきたことです。昔の方がまだもっと大変だったのです。今更ながら人権がとか何とかいうんだったらウクライナでもガサでも被災地でも行って暮らしてみればいいのです。
島成園《悲しみの少女》
どれ程自分たちの存在が有難いかと思うわけです。戦前の皇室の方がまだまだ窮屈だったのですから。
鰭崎英朋《婦系図・口絵》