「泣き虫だったボク」 吉川 純
小学校3年で41団カブ隊に入団した私、最初の舎営は、寄(通称:ヤドロギ、ヤドリギともいう)の「ミロク山荘」でした。親と別れて泊まるのが初めての上にいじめっ子がたくさんいて?
2泊3日で20数回泣かされ、「カラスの鳴かない日はあっても、吉川の泣かない日はない。」と言われるくらいでした。正義感が強すぎて、曲がったことが許せなかったのでしょう。
悲しいよりは、悔しくて腹が立って年下で何にもできなくて泣いたと思います。
スカウト技能の修得は何よりも楽しくて、BSにあがってからは、テストで部活が休みになると
ロープ結びに没頭したり、自転車章を取ろうと近所の自転車店に入り浸ったりでした。
手旗信号の合格(=2級スカウト)は、昭瑞丸というタンカーの見学に行った時のこと。
舳先にいた私たちに、岸本副長が手旗信号を打ってきました。先輩たちは往信しようとしません。思い切って私が、往信しました。不思議とすらすら読みとれ、その時の伝文は、
送「今日の天気は」応「晴れ」送「すぐもどれ」応「りょうかい」
程度の短いものでしたが、自己満足の極致でした。
そうこうするうちに、BSでの泣き虫は、なおっていました。〈終〉
小学校3年で41団カブ隊に入団した私、最初の舎営は、寄(通称:ヤドロギ、ヤドリギともいう)の「ミロク山荘」でした。親と別れて泊まるのが初めての上にいじめっ子がたくさんいて?
2泊3日で20数回泣かされ、「カラスの鳴かない日はあっても、吉川の泣かない日はない。」と言われるくらいでした。正義感が強すぎて、曲がったことが許せなかったのでしょう。
悲しいよりは、悔しくて腹が立って年下で何にもできなくて泣いたと思います。
スカウト技能の修得は何よりも楽しくて、BSにあがってからは、テストで部活が休みになると
ロープ結びに没頭したり、自転車章を取ろうと近所の自転車店に入り浸ったりでした。
手旗信号の合格(=2級スカウト)は、昭瑞丸というタンカーの見学に行った時のこと。
舳先にいた私たちに、岸本副長が手旗信号を打ってきました。先輩たちは往信しようとしません。思い切って私が、往信しました。不思議とすらすら読みとれ、その時の伝文は、
送「今日の天気は」応「晴れ」送「すぐもどれ」応「りょうかい」
程度の短いものでしたが、自己満足の極致でした。
そうこうするうちに、BSでの泣き虫は、なおっていました。〈終〉
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