1月3日河口湖へ行った時の早朝の富士山を撮影したのでアップします。やはりこの姿を見ると心もしゃんとするものだ。
河口湖駅そばのカチカチ山にも登って270度のパノラマ展望を満喫した。ここはどんな小さな子供もケーブルカーで行ける楽しい空間であり、かちかち山の童話にも触れて愉快な小山だ。
忍野に行って名水に選ばれている池を眺め、湧き水に触れ、池底の植物の揺られる姿を見て、その悠々たるリズムに見とれていたが、いいお正月の時をすごしたと感じた。
帰途の道すがら、私の大好きな、そして富士山を撮らせたら右に出る者なしといわれた岡田紅葉の写真館に寄ってきた。この方が撮った富士山の姿を皆さんは、どこかで必ず出会っているはずだ。館内で富士山を20万枚撮影したと知り驚愕したし、関東大震災の画像記録のほとんどを紅葉が写していたと知り、やはりねえとも感じた。
紅葉の富士山には人間の心というものが含まれているようだ。このブログにアップした富士山の姿には爽快な姿はあっても人間の存在は微塵にも感じないだろう。不思議だ。富士山を収める空間にどうして人間を感じるのだろう?
一方、私は土門拳も好きだ。彼がまとめた有名人の写真集をうちの子供たちに見せて何百回も笑ってきたが、私は、ことのほか彼の風景写真は格別に好きだ。紅葉の写真を眺めて行った時、‘あ、土門拳は彼から影響を受けたな’と感じた。
紅葉や土門拳の画像には、何か中心の被写体とはべつの意図やメタフォーを感じる。そしてそれが何かは分からないが、穏やかな心の安堵を伝えてくれるし、一方で自然や寺社の存在している意味と主張をおぼろげに受け取る。ストレートに伝える現代のメディアの中だからこそ、存在感がひとしおだ。
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