韓流のくくりで見に来てくださった方々。
このエントリーは直接関係ない(とも言い切れないけど)です。申し訳ないです。
情報といわれるシロモノが溢れかえっていると言われて久しい今日この頃。
指針になりそうな文章です。
【日本版コラム】紳助引退の報で考えた、広く情報求める意義
自分で信じるもの、信じたいものを見極めるには、それなりの努力と信念が必要だ、ということでしょうかね。
そして、自分の考えは発表しても決して押し付けない。
大事ですー。
相手に思考の余地をのこしてこその主張と思います。
ま、ブログで毎日自分の考えを垂れ流しにしている私が何を言うやら、ですが。
考え方は人それぞれですが、立場をわきまえない発言はサイアクです。
「この程度」と言い切るその体質は、是非変えていただきたい、もしくは言わない方向でお願いします。
必要悪、とか、みんなやっている、というのは言い訳です。そうかもしれないけど、言っていいことやっていいこと悪いことがありますからね。それこそ情報が溢れている中、見極められる人も少ないのですから、影響力を考えても、やっちゃダメなもんはダメなんですよ。
だから。
よけいに情報取捨選択力は身につけないと。
訓練です。訓練。
だってさー。「この程度」を擁護している人間の多いこと多いこと。違うでしょ。そこ。才能とやってしまったことは区別しなくちゃ。子どもに対して恥ずかしいような行動はしちゃダメなんだって。
ちょっとねー。ここんところ考えさせられることが色々あったんで、語ってしまいました。
今日の1曲 坂本九「見上げてごらん夜の星を」(1960)
私が生まれる前の曲でした。