1本のタバコ車の中に1本だけ入ったタバコの箱がある。3/9からの写真だ。1本だけあるからタバコは買わない。1本あるからいつでも喫える。だけどこの1本を喫ってしまうと、また、買いに走って...
1本のタバコ車の中に1本だけ入ったタバコの箱がある。3/9からの写真だ。1本だけあるからタバコは買わない。1本あるからいつでも喫える。だけどこの1本を喫ってしまうと、また、買いに走って...
平成6年10月7日
9月29日の診察結果を危機にO外科へ。
診察室に入り説明するMドクターの歯切れの悪さに不安を感じながら聞いていた。
「がんセンター」か「C大」へとの言葉に
思わず「癌ですか?」すると
「まだわからないよ。癌だとしても早期だから。
「2~3か月でこんなに大きくなるんですか」すると
平気な顔して「ならないと思うよ」
その時「見逃された!!ショックで何も言えず軽い貧血を起こした自分に
「今時、癌で亡くなる人は4人に一人だ。がんセンターへ行ってみなさい。
同じような人が一杯いる」って。これがドクターの言葉。
自分がもっと前に見逃しておきながら、医師の言葉とも思えない。
帰宅のため車に乗ったもののすぐには動けなかった。
悔しくて悔しくて 涙がとまらなかった。 日記原文のまま
今、書いている自分も書いてて涙が止まらない。
ここから約21年闘病生活が始まった。
ここにこのような記事をUPする気になったのは、同じような方が必ずいるかもしれない。
そして闘っていく姿勢、勉強をしてマニュアル通りの治療しかしない今の医師の
言う通りになっているのはダメかもという気持ちからです。どこまで書けるかは分かりません。
平成6年8月21日
例年より今年は暑さが厳しい。お風呂上がりに何気なく汗をぬぐった。
その時、胸の内側にしこりを感じた。一瞬ヒヤリとしたものの乳腺症かと思い
様子を見ることにした。6月24日に乳癌の個別検診では「問題なし」との結果だった。
O外科のMドクター(千葉大からの乳腺外科医)には平成4年から診てもらっていたので
余り心配していない。
そして、9月29日
様子をみていたものの再度O外科にて診察。
超音波検査、細胞診を受けた。Mドクター曰く「心配ないと思うよ」との事。
この言葉に一安心して帰宅。
妻がこの世を去った。
乳癌と闘って21年。
始まりは診察ミス?
見逃しからだった。
大学病院などからやってくるアルバイト先生の診察から始まった。
いずれはどこかに行くか、自分で開業するか・・。つまりは、この病院(医院)で
長居はしない。だからかも。当事者意識に欠ける。患者の気持ちを汲んでいない。(つづく)