「なんで私だけが」「なんで俺だけが」という思いが引き金になって、自分の命を大切にしなかったり、誰かの命を大切にできなかったりする事件が、後をたちません。「自分の事なんか誰も分かってくれない、だから自分も他人も、もうどうなってもいい」と、自暴自棄なって犯罪を犯し逮捕され、挙句は「無敵な人」なんてゆう悲しいレッテルをマスコミに「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」に付けられて。でもひとりひとりの人生は、そんな簡単なものではないはずです。本当はあなたはひとりぼっちなんかじゃない。でも世の中の人はみんな、その事を知りません。ほんとうは「私のその苦しみを、私のその悲しみを知るために、私以上の苦しみを自ら進んでお受けになった方がいたんだ」と自暴自棄になってしまった人が知っていたら、そこにはもっと違う生き方があったはずです。『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。』(ヘブル人への手紙12章2節)。イエス様は一度あなたが離してしまったその『愛を取り戻す為に』苦しみの道を歩み、そして十字架にかかられたのです。
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