日航機墜落事故

当時田舎に帰省中にこの報道を目にした。事故犠牲者の名前が次々と字幕として流れていたことを思い出す。1985年、バブルでこの国が浮かれていた日の事件。それ以降は日常の幻想の中に立ち消えたこの事件を想起させたのが「アントヌッチ証言」だった。
当時空軍中尉だつた彼は、沖縄から横田基地への帰路の空で123便の墜落地を確認していた。そして横田に報告し、救援の準備をしていたが、日本政府に通告した横田基地からは、期間命令が出された。











垂直尾翼に刺さったオレンジエア
NHKは大事なことを隠している。国家犯罪に加担する。性悪の世界を超えた悪魔の集団とさえいえる。

現場に救出に行こうと走り出た自衛官が射殺されたと当時の放送で報道されたが、それは後に誤報として取り消されたが、事故後、多くの自衛官が自殺している。


トロン技術者が死んでビルゲイツのマイクロソフトが世界のコンピューター市場でのし上がった。
関西経済界の重鎮はプラザ合意に反対した。多くの関西財界人は123とともに消えた。
中曾根自民清和会はこの頃から盤石の権勢を誇るようになった。
小型原子爆弾が積まれていたともいわれる。
現場には、アメリカ軍、ロシア軍の戦闘機の残骸も含まれていたという研究者もいる。
空白の16時間の中で、自衛隊員は、証拠隠滅のために生存者までをも焼き殺した。
この国に民主主義だとか正義だとか、もっともらしい思考は通用しない。
民間機を打ち落とし、地獄に持っていくといった中曾根康弘は地獄に落ちて裁きに震えている。
