腹を立てている自分はエゴに支配されている自分です。
羨んだり妬んだりしている自分は欲望に支配されている自分です。
自惚れたり惨めだったりしている自分は魂の病気に苦しんでいる自分です。
不愉快なとき、不快なとき、いらついたときは平常心を養うチャンスです。
妄想が盛んに起こるときは心との距離を置く訓練をするチャンスです。
痛みと悲しみは、私達の人格を成長させる最強の教師です。
私達が物事をポジティヴに捉えるとき、それはクシャマ(許し)にもとずいています。
クシャマ カロ バガヴァン(心をやわらげてください神様)。
柔和、謙遜、へりくだりはクシャマです。
クシャマは天国への階段です。
神の宮の扉を開ける鍵です。
クシャマを持つとき、私達は家の戸を開けて神様を迎え入れます。
プレマ(愛)があるとき私達は力に満たされ、クシャマ(許し)があるとき私達は安らぎに満たされます。
善行がクシャマを私達の元に連れて来ます。
善行によって心優しい性質が養われます。
イエスはクシャマを教えました。
ブッダもクシャマを教えました。
心優しい、穏やかな、善い人でいるために、クシャマはどうしても必要なものです。
心を沈黙させていることができるのは、私達の内には神の性質そのままのクシャマがあるからです。