バリに支払う税金は自分自身を神に捧げる気持ちです。
神は雨を降らせ、太陽を輝かせていますが、このようなことに対して人間は、感謝こそすれ、如何なる義務も負って居ると考えて居ません。
実際は、人間は神に対して自分自身を捧げるという義務を負っています。
これが、人間がバリに対して支払う税金として神が認めて居る人間の義務です。
納税の義務は神に対しても有るのです。
それは、お金ではなく徳や善行や献身という形で支払われる神への納税の義務です。
神を喜ばせたいという気持ちは尊いものです。
然し、その為には神がどんなことに喜ぶのかを知らなければなりません。
他者の苦しみを取り除くこと以上に神を喜ばせることは他に有りません。
その為の犠牲であり、献身であり、奉仕です。
神に自分自身を捧げるというのはそういうことです。
神の救済を願って自分自身は何もしないのであれば、それは信仰ではありません。
自身が救われる最も簡単な方法は神の労働者になることなのです。
イエスは喩えをもって神の労働者の真理を語りました。
何時でも神が降臨するときには、神の為に働く者が呼び求められます。
どのような理由によってでも神の為に働きたいと思う者には正当な代償が支払われます。
今は当にそのような機会が与えられている時代なのです。