エゴを刺激されたと感じエゴが過激に反発している、それが怒っている状態です。
狂犬病の犬が吠えているようなものであり、痛風を病んでいる人が患部をつつかれて飛び上がっているようなものでもあります。
怒りの本質は他者の言動に対する妄想です。
他者の内に悪意を妄想しているのです。
ですから、他者の言動がどうであれ、自分の内にエゴも悪意も持たない者は、怒りの生じようがありません。
この世のあれやこれやに激しく動揺している状態でいる時に、心の平安はありません。
内なる六つの悪とは、その平安の無い状態にある時に起こる六種類の苦しみ六種類の妄想です。
それは怒りの温床です。
怒りは自他共に傷つけます。
怒りは平和を損ない、それ以外の人間的特質も損ないます。
怒りは暴力性や攻撃性の発現です。
また、怒りを向けられた相手にも暴力性や攻撃性の発現を強制します。
動物の怒りは自然界の摂理の内に数えられますが、人間は怒りを乗り越えて霊的な摂理(平和)の内に生きなければなりません。
何故なら、人間は霊的に生きることに必要な資質や能力を兼ね備えているからです。
人間は思考することができ、自己を客観視することもできます。
人間は反省したり、悔恨したりできます。
後悔する理性もあり、善を好み悪を嫌悪する良心もあります。
正義や義務や責任といった優れた資質にも恵まれています。
ただの猿に過ぎなかった者が、どうしてこれ程のものになったのでしょう?
神が人間をこのようなものにしたので無いのなら、一体何者が人間をこのようなものにしたのでしょう?
全宇宙に浸透している霊的特質(神性)に、人間は最も近い所にいるのです。
動物性を乗り越え、神性に近づき親しむために努力することは、人間に与えられた特権です。
人間は神への愛を通して神を理解します。
誰も神の全体像を把握することは出来ませんが、神の愛にこころゆくまで浸ることができます。
神の愛は与える愛です。
与える愛に生きることが神を知る一番の近道です。