羊の見る夢

霊性。

行為が必要。

2023-04-28 08:21:53 | 日記
何者かに救われたい私という原因が、苦しみ悩む者を救ってあげたい私という結果を生じさせるためには、信仰(バクティ)、ダルマという行為(カルマ)が必要。
何者かに助けられたい私という原因が、苦しみ悩む者を助けてあげたい私という結果を生じさせるためには、信仰(バクティ)、ダルマという行為(カルマ)が必要。
バクティとはまさに神への執着であると言われる。
私達は感覚の対象に執着することを諦めて、神に執着することを学ばねばならない。
執着とは心が惹き付けられ、何度でも執着の対象に心が引き戻されることであるから。
どうしてもそう感じずには居られず、どうしてもそう思わずには居られず、どうしてもそうせずには居られないのが執着であるから。

だからどうしても、神を感じずには居られないなら、神を思わずには居られないなら、神を愛せずには居られないなら、それが神への執着となり、神への信仰となると言われる。






行為が必要。

2023-04-28 03:24:42 | 日記
何者かに救われたい私という原因が、苦しみ悩む者を救ってあげたい私という結果を生じさせるためには、信仰(バクティ)、ダルマという行為(カルマ)が必要。
何者かに助けられたい私という原因が、苦しみ悩む者を助けてあげたい私という結果を生じさせるためには、信仰(バクティ)、ダルマという行為(カルマ)が必要。
バクティとはまさに神への執着であると言われる。
私達は感覚の対象に執着することを諦めて、神に執着することを学ばねばならない。
執着とは心が惹き付けられ、何度でも執着の対象に心が引き戻されることであるから。
どうしてもそう感じずには居られず、どうしてもそう思わずには居られず、どうしてもそうせずには居られないのが執着であるから。

だからどうしても、神を感じずには居られないなら、神を思わずには居られないなら、神を愛せずには居られないなら、それが神への執着となり、神への信仰となると言われる。






集合体。

2023-04-27 01:03:54 | 日記
この、どうしようもない者達の集合体である人類というものが幸せになるにはどうしたら良いのか?を教えてくれているのが、神様というもの。
神様は、人類一人一人の幸せを考えてくれているので、私達も、一人一人が皆どうしようもない者達なのだという自覚をもつことが重要です。
互いに助けあうことは動物でもやっていることですが、互いに向上させあうことは、人類だけに可能なことです。
人間だけが内的な意義を感じとり、理解し受け入れることができるからです。
向上し神に近づくことは、拡大し増大することと並んで、偉大な愛の本質です。
愛の思いが神の思いであり、愛の言葉が神の言葉であり、愛の行為が神の行為だからです。
ですから、私達は愛によってのみ、神に近付き神と一つになることができるのです。
川が大海と一つになることができるのは、どちらも水だからです。
海と混じってしまえばもはや自分が川であるという自覚は必要無くなります。
神という純粋な愛と一つになるためには、私達も純粋な愛の体現者になる必要があります。

神の御名を唱え神の偉大さ神の栄光を思うことは生涯をとうして行わなければならないサーダナ(精進、信心)です。
私達が神に近づくためには、心を清め、グナを清め、カルマを清めることがどうしても必要だからです。
そして、サーダナは正しい規律のもとに行わなければなりません。
規律によって自らを正すことがサーダナという習慣を根付かせるのです。



直結。

2023-04-26 00:38:59 | 日記
私達が互いに高めあい改善させるために、神の愛は直接私達を支配する。
神様はまったく躊躇しない。純粋な愛が神様の動機だから。
神様は必要とあれば、外科医が麻酔をかけるように、私達のエゴや欲望を麻痺させる。
そうやって私達は、犠牲や献身や奉仕を身をもって体験する。
神様のなさることはすべて、時を得て美しい。
私達の間には麗しい兄弟愛の世界が出現するのだから。