前記事に続いて、 YouTubeでの ビクターからのオフィシャルな 鈴木彩子【すずきさいこ】MV 第三期は・・・
ぉお、 ちょっとすごいラインナップ。
そして、 2本はライブ版なのも ありがたいところ。
◆ 葛藤(Live at 日本青年館 1993/4/27)
このアーティスト“鈴木彩子”を知っている人だと、 代表的で象徴的にイメージするのが この曲、というのが多いはず。
前奏から長めで 40秒位ある。
詞も、 どこにでもありがちな社会的情景を描写したりしながら、 核心的なメッセージが明確な言葉で出てくるのは 2番のサビも後半になって 一文、といった構成。
だから、 曲の全体に 厚く向き合うべき対象。
現代の若い世代だと 特に、 とかく 童謡的に単純化された分かり易さで 手早く消費できるタイパが求められがちなのに合わせられたスタイルとは、 毛色が違う印象かも。
詞の全体を見れば、 自身の世界感を確信的に肯定して進む決意の 前向きなメッセージ、なのだが・・・
現代に始まったことではない 一般の傾向として、 批判的な視点での描写が多いところの いくつかの要素だけで もう思考の容量に入りきらなくなるとか 思考を避ける向きには、 全体がネガティブなイメージで受け取られるのも ありがちのよう。
そして、 この曲は、 当時は、 河合塾のCMイメージソングとして使われていた。
現代なら、 予備校・学習塾の類が この曲をCMソングに使うだろうか・・・、 そういう視点でも見ると、 “社会”とか表されるもので共有されている価値観や、 その中での 自身の世界観を考える機会にもなりそう。
◆ 月光
重さを抱えた現状を象徴する 夜の暗さにも、 そこに差す月の光に 自身の思いを重ねて。
アルバムでは『けがれなき大人への道』に収録されていて、 これを知っていると、 他に 『葛藤』 『VOICE ~明日への滑走路』 『この闇を越えて』などの曲があるのとの対比で、 特にはメッセージ色で攻めた印象ではない、のだが・・・
こうして ピックアップされたような形で 改めて見ると、 このアーティストに多くある、 心情的な重さや 状況的な困難にも 厚く向き合いながら、 一朝一夕には見えないような 長い時間軸の先への思いを描く感覚に馴染みがない人には、 伝わり難かったり、 結構 メッセージ性が強く感じたりするのかも?
◆ HELP(Live at 日本青年館 1994/1/9)
自分的には、 熱いとか 盛り上がるとかのイメージの曲。
こういう感覚は、 「どこが」とか 「何が、どうだから」とかは 表し難いのだが・・・
中途半端な奴等は この場所から消えてくれ
俺達の邪魔になるだけさ
機嫌取りの顔なんか 見たくないし したくない
もっと自由に もっと激しく
遠い空の彼方から差し込んでくる光は あの頃の あの頃のままさ
・・・ そうさ... そうさ... だけど!
現代では 一段と重視されがちな、 表面上は親和的な交友を多く見せ掛けるために、 内容や感情の実態よりも ギブ・アンド・テイクでのヒモ付き褒め合い網の維持拡充に腐心して ロボット的な繰り返しに終始する 建設性のない自転車操業に安心を求める価値観とは、 ずいぶん違う感覚?
当時にも そう誰にでも受け入れられる曲ではなかっただろうが、 現代では なおさらかも。
かなり 聴き手を選ぶ曲だろう。
◆ 希望の鐘
ここでは 以前に同じことを すでに2度書いているながら、 2度あることは・・・ やっぱり。
曲名の通り “希望”を歌った、 勢いがある曲。
サビで コーラスの部分が、 大サビでの変奏では“叫び”になる位で x x x
このアーティストを厚く聴いていれば、 イントロ、間奏、アウトロでは、 腕を振ることで 揃ってしまうのでは。
このアーティストでの仲間(ファン)感覚としては、 ライブなんかでなら、 そうではない人がいたからといって、、 合わせろ、揃えろ、とは 思わないだろうし、 むしろ、 それぞれが 周りとは揃わなくても 自身なりの感覚でいることの方を 楽しく思うものかも。
とはいえ、 誰も 皆で揃えよういう意識ではなくても、 まぁ 大方は自然と揃ってしまうはず。
ただ・・・、 この曲だけを聴くのでは、 その熱さの感覚が共感されるのか・・・
この曲がラストに置かれた アルバム『BORO BORO』は、 楽しさのような趣旨でのエンターテインメントというよりは メッセージ性の印象が強くて、 聴く側にも かなりの力がないと 向き合えないかもしれない。
自分的には、 最初に聴いた時には 「このCD、 叩き割ったろか」と思ったほど 不快だった。
実際に叩き割りはしなかったながら、 叩き割る振りはしたほどに。
この曲の印象も、 薄っぺらなキレイ事を並べただけに見えた、 ・・・ 最初は。
でも、 アルバム『BORO BORO』に 厚く向き合って、 そこに描かれている 重さも抱えながらの世界観のラストに聴く この曲には、 諸々の思いの先にあるべき 格段に厚みを増したメッセージが感じられるはず。
これを知らないのは、 とても勿体ないと思う。
是非とも、 単品としてだけではない、 12曲 約60分のアルバムのサティスファクションとして聴いてほしい曲。
鐘は鳴る その胸に 希望への扉を叩いて
WOW... あきらめず叫びつづけよう
ひとりぼっちじゃない
希望への鐘を打ち鳴らせ!
◆ 罪
曲名で推測できる通り・・・、 これも また、 聴き手を選ぶ曲だろう。
こういう曲を制作するだけでなく、 シングルでも出すというところも、 このアーティストが、 数的には多くには受け入れられ難く 「日本一 金にならない歌手」 「音楽を使った暴力」とか揶揄されたりもして、 それでも、 長らく 殆ど活動していない時期が続いても なお 他の誰でもない特別な存在として 篤く見続ける人がいる要素の1つだろう。
まぁ、 そういう言葉を批判的に使うのは、 うわべ・たてまえの 表面的には麗しい言葉を並べて なあなあでの共感で売れさえすれば喜ぶのではない、 意識するのを避けてやり過ごすことを自己肯定と叫び合われがちで 難しさが強い部分にも 深く厚く強いメッセージを表現していてこそ、 それに当たる不快から逃避する必要に迫られる反感として出るものだろう。
そういった 深層の核心からの拒絶反応的に表れる言葉は、 メッセージの表現をするべきアーティストには、 むしろ 格段の“褒め言葉”としての要素があるように感じる。
- - - - -
飛行機写真の方は・・・
このテイクは、 ブレずに写ったコマは 通り過ぎた後のタイミングしかなかった x x x
ぉお、 ちょっとすごいラインナップ。
そして、 2本はライブ版なのも ありがたいところ。
◆ 葛藤(Live at 日本青年館 1993/4/27)
このアーティスト“鈴木彩子”を知っている人だと、 代表的で象徴的にイメージするのが この曲、というのが多いはず。
前奏から長めで 40秒位ある。
詞も、 どこにでもありがちな社会的情景を描写したりしながら、 核心的なメッセージが明確な言葉で出てくるのは 2番のサビも後半になって 一文、といった構成。
だから、 曲の全体に 厚く向き合うべき対象。
現代の若い世代だと 特に、 とかく 童謡的に単純化された分かり易さで 手早く消費できるタイパが求められがちなのに合わせられたスタイルとは、 毛色が違う印象かも。
詞の全体を見れば、 自身の世界感を確信的に肯定して進む決意の 前向きなメッセージ、なのだが・・・
現代に始まったことではない 一般の傾向として、 批判的な視点での描写が多いところの いくつかの要素だけで もう思考の容量に入りきらなくなるとか 思考を避ける向きには、 全体がネガティブなイメージで受け取られるのも ありがちのよう。
そして、 この曲は、 当時は、 河合塾のCMイメージソングとして使われていた。
現代なら、 予備校・学習塾の類が この曲をCMソングに使うだろうか・・・、 そういう視点でも見ると、 “社会”とか表されるもので共有されている価値観や、 その中での 自身の世界観を考える機会にもなりそう。
◆ 月光
重さを抱えた現状を象徴する 夜の暗さにも、 そこに差す月の光に 自身の思いを重ねて。
アルバムでは『けがれなき大人への道』に収録されていて、 これを知っていると、 他に 『葛藤』 『VOICE ~明日への滑走路』 『この闇を越えて』などの曲があるのとの対比で、 特にはメッセージ色で攻めた印象ではない、のだが・・・
こうして ピックアップされたような形で 改めて見ると、 このアーティストに多くある、 心情的な重さや 状況的な困難にも 厚く向き合いながら、 一朝一夕には見えないような 長い時間軸の先への思いを描く感覚に馴染みがない人には、 伝わり難かったり、 結構 メッセージ性が強く感じたりするのかも?
◆ HELP(Live at 日本青年館 1994/1/9)
自分的には、 熱いとか 盛り上がるとかのイメージの曲。
こういう感覚は、 「どこが」とか 「何が、どうだから」とかは 表し難いのだが・・・
中途半端な奴等は この場所から消えてくれ
俺達の邪魔になるだけさ
機嫌取りの顔なんか 見たくないし したくない
もっと自由に もっと激しく
遠い空の彼方から差し込んでくる光は あの頃の あの頃のままさ
・・・ そうさ... そうさ... だけど!
現代では 一段と重視されがちな、 表面上は親和的な交友を多く見せ掛けるために、 内容や感情の実態よりも ギブ・アンド・テイクでのヒモ付き褒め合い網の維持拡充に腐心して ロボット的な繰り返しに終始する 建設性のない自転車操業に安心を求める価値観とは、 ずいぶん違う感覚?
当時にも そう誰にでも受け入れられる曲ではなかっただろうが、 現代では なおさらかも。
かなり 聴き手を選ぶ曲だろう。
◆ 希望の鐘
ここでは 以前に同じことを すでに2度書いているながら、 2度あることは・・・ やっぱり。
曲名の通り “希望”を歌った、 勢いがある曲。
サビで コーラスの部分が、 大サビでの変奏では“叫び”になる位で x x x
このアーティストを厚く聴いていれば、 イントロ、間奏、アウトロでは、 腕を振ることで 揃ってしまうのでは。
このアーティストでの仲間(ファン)感覚としては、 ライブなんかでなら、 そうではない人がいたからといって、、 合わせろ、揃えろ、とは 思わないだろうし、 むしろ、 それぞれが 周りとは揃わなくても 自身なりの感覚でいることの方を 楽しく思うものかも。
とはいえ、 誰も 皆で揃えよういう意識ではなくても、 まぁ 大方は自然と揃ってしまうはず。
ただ・・・、 この曲だけを聴くのでは、 その熱さの感覚が共感されるのか・・・
この曲がラストに置かれた アルバム『BORO BORO』は、 楽しさのような趣旨でのエンターテインメントというよりは メッセージ性の印象が強くて、 聴く側にも かなりの力がないと 向き合えないかもしれない。
自分的には、 最初に聴いた時には 「このCD、 叩き割ったろか」と思ったほど 不快だった。
実際に叩き割りはしなかったながら、 叩き割る振りはしたほどに。
この曲の印象も、 薄っぺらなキレイ事を並べただけに見えた、 ・・・ 最初は。
でも、 アルバム『BORO BORO』に 厚く向き合って、 そこに描かれている 重さも抱えながらの世界観のラストに聴く この曲には、 諸々の思いの先にあるべき 格段に厚みを増したメッセージが感じられるはず。
これを知らないのは、 とても勿体ないと思う。
是非とも、 単品としてだけではない、 12曲 約60分のアルバムのサティスファクションとして聴いてほしい曲。
鐘は鳴る その胸に 希望への扉を叩いて
WOW... あきらめず叫びつづけよう
ひとりぼっちじゃない
希望への鐘を打ち鳴らせ!
◆ 罪
曲名で推測できる通り・・・、 これも また、 聴き手を選ぶ曲だろう。
こういう曲を制作するだけでなく、 シングルでも出すというところも、 このアーティストが、 数的には多くには受け入れられ難く 「日本一 金にならない歌手」 「音楽を使った暴力」とか揶揄されたりもして、 それでも、 長らく 殆ど活動していない時期が続いても なお 他の誰でもない特別な存在として 篤く見続ける人がいる要素の1つだろう。
まぁ、 そういう言葉を批判的に使うのは、 うわべ・たてまえの 表面的には麗しい言葉を並べて なあなあでの共感で売れさえすれば喜ぶのではない、 意識するのを避けてやり過ごすことを自己肯定と叫び合われがちで 難しさが強い部分にも 深く厚く強いメッセージを表現していてこそ、 それに当たる不快から逃避する必要に迫られる反感として出るものだろう。
そういった 深層の核心からの拒絶反応的に表れる言葉は、 メッセージの表現をするべきアーティストには、 むしろ 格段の“褒め言葉”としての要素があるように感じる。
- - - - -
飛行機写真の方は・・・
このテイクは、 ブレずに写ったコマは 通り過ぎた後のタイミングしかなかった x x x
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