65オヤジのスタイルブック

母の日

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

扶桑社

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すべからく、すべての男はマザコンだ。
男は、母に守られて育っている。僕の母は、58歳の若さで逝った。急性心不全だった。
父は、母の死を認められなたのか。僕が死を確認している。
その時僕は、母の眠るような穏やかな顔を見て一瞬にして死の驚きはうせた。

母は、太っていて古いドラマだが、肝っ玉母さんの京塚昌子さんのような風貌だった。僕は太った母を嫌っていたが、母は僕に用事を頼むことが多く。けっこう買い物に付き合った。50を過ぎても大きな体で原付バイクで駆け回る活発な母で、ボランティアにも積極的だった。

その母が、僕の家業の修行中の1年でダイエットしてやせたときには、驚きとともに賞賛した。(後にまた太ってしまったお茶目な母である)
僕は、親孝行したいときには親はなし。生前の母には親孝行のひとつも出来なかった。ただ顔を合わせれば喧嘩ばかりだったが母の日には不思議に花屋に足が向き、カーネーションの鉢植えをプレゼントしていたことが僕の唯一の親孝行の印かと思う。

晩年、好きな短歌の会に入り誰にも披露することなく逝ってしまったが、参列者の方々へのお返しに母の句を入れテレカを贈った。

真っ青な海の向こうに見える雲の嶺写真に
認めた句

  幾たびも
   挫折重ねて来し吾の
    今平凡に
     空真青なり

母の短くも太く生きた姿を現している。
僕は、母の形見としてそんな生き方に尊敬の念を抱いている。

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