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65オヤジのスタイルブック

65オヤジの履歴書(完)

僕の人生の転機となった保護犬茶々丸(2008年10月26日永眠)

修業時代を終えた僕は、家業の美術商の仕事に。美術商と言っても絵画と額縁を販売するアートショップと言う感じの仕事で、脱サラした父が運よく地方スーパーと取引ができ納品の日々を過ごします。ただ、このスーパー。大手のスーパーとは違って呉服商をルーツに持つデパートに近い総合スーパーで、外商と呉服に太い客を持っていて、年に一度各支店が競って展示会を開いてました。

そのこともあって、絵画や掛軸などの美術品と高級絨毯や輪島塗工芸などの展示会で数千万の売上がありました。とは言っても卸業ですから、こちらに入る利益も少なく、少しづつ小売業にシフトしながら、現在はネット通販へと業態変化していきます。

30代までは仕事と当時入会していた青年会議所や商工会などのボランティア活動をして、仕事、懇親会と称した夜の活動にどっぷりつかっていました。仕事と酒とタバコの不摂生な日々。でもボランティア活動が性に合ってか、当時あまりなかった成人式の自主運営の組織化や花火大会での大道芸人招聘、ユネスコの識字教育キャンペーン、お寺での野外クラシックコンサートなどを主催していきます。そんな中で、幸か不幸か58才で突然亡くなった母が転機となり、僕の人生は次第に奈落の底へ落ちていきます。

40才で離婚を経験し、仕事の状況が一変し卸業と小売業では打開できず、養育費を稼ぐために深夜のコンビニバイト、とうとう不摂生がたたり心筋梗塞で入院、一命をとりとめましたが、このことが転機となり、煙まみれの人生から禁煙と当時保護したゴールデンレトリバーとの朝夕の散歩生活により健全な生活に変貌を遂げていきます。

このことがきっかけとなり、たばこ銭や呑み代などが浮き、浮いたお金で本当に好きだったことをしようと考えます。収集癖のあったCDの数を減らしながら、好きだった美術や映画、音楽の幅を広げるために、美術館や映画館に行ったり、ライブハウスで好きな音楽を聴く、お得で美味しい飲食店探すようになり僕の感性の源となっていきました。

決してお金に余裕があるわけではなく、年収からすると平均以下だと思います。恵まれているのは、住める家があり、浮き沈みの人生の中でも工夫次第で楽しむことができる術を学びました。

65才になった今、そのスタイルが確立できたことだと思います。特に40才を節目にして経験の蓄積が増えていったことです。

誰でも、知的に楽しく人生を楽しめる、65オヤジのスタイルブックに目を向けてもらえたらうれしいです。

(完)


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