この頃、身体に異変が生じる。
病院で癲癇と診断され痙攣を起こす発作は、何度も何度も起きた。
いろいろな精神科を回った挙句、母が通院していた精神科に通院することとなる。
そのような状況の中、
学校生活の中、出会った2人の女性先生。
一人目は、声は大きくて背は低くぽっちゃり型。よく笑う国語の大木先生。
課題のない作文を提出した時。
私は「試練」というお題で大木先生に手渡すと
翌日、大木先生に呼び出されて私にこう言われた。
「心。お前の言いたいことは分かるが・・・
この作文に書かれているのは日本語じゃない!!!!独特すぎて
他の人に伝わりずらいんだよ・・・・
言いたい思いは伝わるけれど、
勿体ないなあ・・・・
この作文をたくさんの人たちにも見て欲しいから
先生も手伝うよ!!
ちゃんとした日本語に直そう!!」
その日から、文章の書き方の猛特訓が始まった。
泣きながら書く作文用紙は、黒く破け、
何度め何度も書き直し続けた
大木先生のお陰でようやく人が読める作品に仕上がり、僅かながらに賞も取れて
先生に
よく頑張ったぞ!!
と人に初めて褒められたことが嬉しくて
人前で泣いた。
私は元々人見知りで、
コミュニケーション能力が乏しく、
自分の気持ちを人に伝えられない時期が長かった。
当時の私を知らない人は決まってこう言う。
「心が人見知り?ありえないな。絶対ありえない違うし(笑)」
有難いことに、様々な業種をしてきた上で、
短所が長所に変わっていったのだろう。
この頃の私は、
“自伝”を書こうなどとは微塵にも思わなかった。
自分の過去は恥を晒すものだと思っていたからだ。
二人目は、すらっとした背丈に品格のある優しい顔をした音楽の高木先生。
全校生徒の中から歌が上手い代表として2名が選ばれ、
その内の一人になり歌うことになった
歌うことは好きでも
人前にで出たりすること目立つことは苦手だった
私自身の存在価値自体
コンプレックスの塊だったからだ
校長先生の推薦も兼ねて
嫌々ながら二人で歌う二重音奏に出場することなる
私は、発表会まで大好きな演歌やアクの強い曲を歌ったり、
聞く事さえ禁じられ、
他の授業中にも関わらず
クラスの違う人たちの前で歌わされたり
ロウソクを腹式呼吸で消す練習
グゥの手でお腹に当て声で跳ね返す練習
4階の音楽室に呼び出されては1階の玄関に声が通るまで猛特訓する日々。
もちろん休みの日もそれは変わらない。
一方の相方は、
私のように呼び出されることはなかった。
高木先生とは、覚えきれないぐらい口論した。
「心が出来ないんだったら他の生徒にさせるよ!!!!」
「やりたいと言っている人にさせてください!!!!心には荷が重すぎます!!!!」
「いや、駄目だ!!!! ちゃんと最後までやり遂げなさい!!!!」
普段優しくて気品のある高木先生からは想像もつかないぐらいの形相で
怒鳴りつける姿はまるで鬼のようだった。
何度も何度も泣かされても
『なにくそ!!!!マジでムカつく!!!!
やってやるよ!!!!』
と思いながらも逃げずに続けることの意味を教えてくれた。
この時も賞状をもらえて
先生と涙を交わし合い喜びを分かち合い嬉しかったことを覚えている。
今思えば、この二人の先生に出会えたことは私の宝となり、感謝している。
大木先生、高木先生。
あの頃、叱咤激励のご指導をして頂きありがとうございました。
病院で癲癇と診断され痙攣を起こす発作は、何度も何度も起きた。
いろいろな精神科を回った挙句、母が通院していた精神科に通院することとなる。
そのような状況の中、
学校生活の中、出会った2人の女性先生。
一人目は、声は大きくて背は低くぽっちゃり型。よく笑う国語の大木先生。
課題のない作文を提出した時。
私は「試練」というお題で大木先生に手渡すと
翌日、大木先生に呼び出されて私にこう言われた。
「心。お前の言いたいことは分かるが・・・
この作文に書かれているのは日本語じゃない!!!!独特すぎて
他の人に伝わりずらいんだよ・・・・
言いたい思いは伝わるけれど、
勿体ないなあ・・・・
この作文をたくさんの人たちにも見て欲しいから
先生も手伝うよ!!
ちゃんとした日本語に直そう!!」
その日から、文章の書き方の猛特訓が始まった。
泣きながら書く作文用紙は、黒く破け、
何度め何度も書き直し続けた
大木先生のお陰でようやく人が読める作品に仕上がり、僅かながらに賞も取れて
先生に
よく頑張ったぞ!!
と人に初めて褒められたことが嬉しくて
人前で泣いた。
私は元々人見知りで、
コミュニケーション能力が乏しく、
自分の気持ちを人に伝えられない時期が長かった。
当時の私を知らない人は決まってこう言う。
「心が人見知り?ありえないな。絶対ありえない違うし(笑)」
有難いことに、様々な業種をしてきた上で、
短所が長所に変わっていったのだろう。
この頃の私は、
“自伝”を書こうなどとは微塵にも思わなかった。
自分の過去は恥を晒すものだと思っていたからだ。
二人目は、すらっとした背丈に品格のある優しい顔をした音楽の高木先生。
全校生徒の中から歌が上手い代表として2名が選ばれ、
その内の一人になり歌うことになった
歌うことは好きでも
人前にで出たりすること目立つことは苦手だった
私自身の存在価値自体
コンプレックスの塊だったからだ
校長先生の推薦も兼ねて
嫌々ながら二人で歌う二重音奏に出場することなる
私は、発表会まで大好きな演歌やアクの強い曲を歌ったり、
聞く事さえ禁じられ、
他の授業中にも関わらず
クラスの違う人たちの前で歌わされたり
ロウソクを腹式呼吸で消す練習
グゥの手でお腹に当て声で跳ね返す練習
4階の音楽室に呼び出されては1階の玄関に声が通るまで猛特訓する日々。
もちろん休みの日もそれは変わらない。
一方の相方は、
私のように呼び出されることはなかった。
高木先生とは、覚えきれないぐらい口論した。
「心が出来ないんだったら他の生徒にさせるよ!!!!」
「やりたいと言っている人にさせてください!!!!心には荷が重すぎます!!!!」
「いや、駄目だ!!!! ちゃんと最後までやり遂げなさい!!!!」
普段優しくて気品のある高木先生からは想像もつかないぐらいの形相で
怒鳴りつける姿はまるで鬼のようだった。
何度も何度も泣かされても
『なにくそ!!!!マジでムカつく!!!!
やってやるよ!!!!』
と思いながらも逃げずに続けることの意味を教えてくれた。
この時も賞状をもらえて
先生と涙を交わし合い喜びを分かち合い嬉しかったことを覚えている。
今思えば、この二人の先生に出会えたことは私の宝となり、感謝している。
大木先生、高木先生。
あの頃、叱咤激励のご指導をして頂きありがとうございました。