現在、参議院選挙、という事もあるのだろうか。
何か確定しない中で、責任が理不尽を背負って暴れている、感じもする。
ロシア対ウクライナの戦争も、未だに決着がつかない?感じで、「何故?」は、累積している感じもある。正義は勝つ、という単純な定理にしろ、二分の一の博打の最中では、そこに正義は見えない。紛争解決機構での決着、という話題さえない中で、世間は「今まで通り」の”何か”で、物事を先に進めようとしている?時、何んとも煮え切らないというか、牛歩戦術に近い話か、ああいうのが始まってしまうのかも。
現状、問題は何なんだろう。
格差だろうか、一部だけが虐げられている、という事だろうか。その「一部」とは、本当に不当な排斥によるもの、だろうか。単に平成で暴れて失敗して失職した人々が、「我々は!」そう言っているだけで、良くある話でしかないのでは…しかし。実感としても今の自分は、問題を抱えていないか?というと、それは。
今、「王の権威」それは、どれだけの意味があるのだろう?
基本的に「大賀さん」紛争解決機構、それがある時、王の権威、その決定は絶対ではない。ともかく平成に入って、「昭和天皇の後継」それは、もちろん”ここ”では無かった、ここは否定され、今の有様ではある。”ここ”が書いた「黄昏の狩人」それが密かにか世相の中心になり、インターネットの土台になり、ただ「その作者」が混沌のまま、平成は何かの邪に支配され、消費と崩落の日々を重ねた。その後、”雅”市場の設定、ストリードの連携、大賀さんの設置、と。結論では「王の権威」その否定に終始するような感じになり、現状ではほぼ、王の権威それは無意味、ではある、筈なのだが。
その中で、不意にか、「入試などの合否を歪めた存在は、発覚までの月日、人力発電機のみでしか収入が得られなくなる」その、しかし刑期が30年を超えている場合は?それは妥当なのか、少し考えたりはしてる状況。20代の頃の不正が、50代で発覚、残り30年、収入は人力発電機のみ、というそれは、もうちょっと踏み込んだ刑であるような…そんな感覚は、する。
ただ、他の妥当は?というと、何だか思いつかない。前にも書いたが、何だか精神的に重いのだ、この犯罪は。被害者の人生その他に重大で取り返しのつかない喪失を与えるのに、理由というか、衝動があまりにも矮小、だ。感情論は納得するが、結果として現れる絵、それは、やっぱりというか、納得するそれでは、ない。
残り30年の苦痛を考えたら、全力で”ぞれ”を創った存在の破壊へ挑む、それもまた、道理の様な何かではある。
”それ”が何かの物理的な呪いを見せる、という。それはつまり、その結果に問題がある、そういう事になるのか?だ。
昭和天皇にしろ、その御家族にしろ。昭和の終わりには少し、面倒を抱える事にはなってる。「不満」それは、時に施政者、それへ呪いとして襲っては来る。「牢陽帝」牢の中一人、或いは”富の元”を放出し続ける王の権威…そんな状態もまた、その不満を回避する形態の一つでしかないが。利益も自由も得ていないとしても、最後は「大賀さん」での決着になるにしても。それでも、「たかが一人の入試を歪めただけで?」50代から後の人生を、自転車漕いで生きろというのか?それは、しかし。
”それ”が前に出ようとしている事が不満なのか、それその物の不満なのか。
そしてそんな不満を、武器として使う、その是非とは。
疲労感は、有る。