あげちうのブロマガ

明日終わるかもしれない世界の中で

埼玉、八潮市の陥没事故は、今もトラック運転手を発見できずに居る。

それでも「普通」、普通考えてのその先にある、それは何故か?は、少し考える。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力

終焉は迫っている、解っていても、それは。

 

最近不意に、幾つか考えるテーマ、ではある。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」有名なこの戯曲「ハムレット」の冒頭、そこでまず語られる呟きは、今の自分の意識的には「人間の限界」と言う事にはなる、その先は、神の選択だ。そして多分、「死んでいるよりは生きている方が良い」それは、或いは医者の心得かのように。諦める、それを否定はする。言葉は、だ。理解はでも、そして結果もまた、違うかもしれない。

現実もまた、何かの物語、作者の居る、その一つに過ぎない、という事だろうか。その時、”それ”を諦める先にあるモノが、そこに居る人には見えるにしろ。今を続けるよりは良い、それはそれとして、物理的な選択それとしては残る、そう言うのは、ある。

今は、どういう状況だろう。世界終末時計、それがまた少し進んだ、という話ではある。様々な絶望感は犇めく現代、ではある。開拓時代ならまだ良い、耕しただけ自分のモノに成る時、その先には希望がある。ただそれは僅かな間、だ。その先で、別の誰かが耕した土地と、その本人と遭遇し。その先に有るのは「限度」と、そして或いは、何かの不足ではある。”今まで通り”なら良かったのに。何故自分の先には、”この”意識の先には、永劫の未来まで続く未開の土地は、無いのだろう。マクロで見れば当たり前の話はでも、或いは多数決的には言う、「前の方が良かった」諍いもストレスも無い、あの頃に戻りたい。

その先の話、だろうか。その先に有るのは正に、身動き出来ずにただ不足していく、そんな世界でしかない。

自分にとってはイーロン・マスクが、だ。彼は自身にとって邪魔な存在をBANした、自分はその、何の過失も無い邪魔な存在だった、という結果としては、Xの凍結に対しては捉える。これは一つの結末だ、とは思う。その場はインターネットのように、「我関せず」そんな環境ではない、訳だ。彼に逆らうモノそれは、その場には居られない、という一つの実証ではあり。それはそのまま実は、その場の限界、”それ”ではある。「全ての人間をその場に載せられない」時、それはしかし、「利益」そこからは自ら切り捨てられていく、事には。歴史の必然として、だ。文明はふと、そして静かに終わる、そして物理でもある。理想がある、しかしそれは、「今まで通り」それが通じる間の幻想だったりする事はまあ、多々ある。

自分はその結果でblueskyの方に移住はした、が。壊滅的なのは、X上に残した結構なネタの数々が、そのまま廃棄というか、自分には?一般ユーザーには見れなくなった、事だ。何かの財産をかなり理不尽に没収された、感覚は消えない、実際そうだろう。前にXの規約が改定か刷新された時、少し話題になった話だ。「つまり彼は、X上の知的財産全ては私のモノだと言っているんだ!」流石に当時、本気にはしてなかった、が。今は何かの悪夢はチラついている。

ともかく自分の理解では、イーロン・マスクはつまり、「蜘蛛の糸」犍陀多の愚行それを行ってしまった、様には見える。ただ…必然みたいな物、だろうか。その領域の「当たり前」は、永劫なる世界それには有り得ない。西側の理解はそこに固執はある。その先にはイギリスの、大英帝国への望郷そう言うのもあるのかもしれない。搾取が許された?世界は長くは続かなかったが、100年それは、人にとっては十二分に長い月日ではあるのだった。

日本もまた、「今まで通り」それは続けたい、その意識には支配されている、が。その先に有るのは永劫超えられない、そんな壁の前ですり減っていく、そんな世界の様、だろうか。

「終わり」を如何に迎えるか?は、大事な話ではある。

理想を棄てて生存を選ぶ、それも大事な事かもしれないしかし。理想を棄てた未来それは、果たして生きている、そう言う事には成るのだろうか?だ。理想かを棄てられない限り、今もまた続く、何かが終わる迄?

神のみぞ知るそれに対して、人は神の真似事をしつつ、神も知らない事を解って、それでも、その先を見る。

世界が見ているモノ、それは何だろう。

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