昔、観た映画のタイトルは忘れてしまった。
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確か原始時代をコミカルに描いた映画で、ネアンデルタール人とクロマニョン人が最後に対立し、クロマニョン人が勝って覇権を、という感じで、当時の学説が反映した内容だったと思うが。勿論その対立その他はお笑い的であって、ネアンデルタール人がマッチョ、クロマニョン人が優男、という単純な構図ではあった訳だが。
ともかく面白かったから、か。割と最後のシーンが、どうも微妙に覚えていて今、ちょっと問題の起点の様な、そんな感覚にも成る。
マッチョなネアンデルタール人の王、そのグラマラスな情婦?は最後、主人公に鞍替えするも、主人公に捨てられてしまうのだ。彼はそして、幼馴染を妻にし、人類は以下略。
あの、グラマラスな情婦?はその後、どうなったのだろう。
そして、彼女は何か、そうされるべきと言うか…その過失を犯したのだろうか。
この辺、朝鮮王朝の末裔、その思想?にも、微妙に合致してしまう。
生存を目的に、「勝った方を選んだ」だけだ、その果てに最後、捨てられてしまった。
なんで?
という、それは今に成るとちょっと、残る。
非常にマクロな視点で言えば、「民主主義」その陥る様、の様でもある。それは美味しい、でも健康には悪い、その二択を前にどっち?を語るその先に、或いは麻薬さえある。百点満点中100点、が二つ、どっち?を選択できない時、そこに有る”答え”は奈落への入り口でしかない、それは物理的な話だ。
体に悪くない麻薬って無いの?
不可能を言い出す”それ”は、しかし、文明の進歩の原理だろうか。
ともかく民主主義は、多数決の多数派を選択していく先で、不意に捨てられる…その境界線はある。捨てるべきでは無い、と言う理解はあるが同時に、それはつまり「その感覚を無視も出来ない」と言う、そう言う物理的な事態でもある。それが平成の始まりから今に掛けて、どうも深刻さを増している様な。
主に50代近辺にある、何かの重い理不尽だ。
民主主義を選択する結果でか、一夫多妻を選択出来ない果てにか?切られた側が、どうも、何かの理不尽をそこに残してしまう。それが、或いはユダヤ教?その、原理的な喪失、それとも何だか接点を持って。
「電源が無い」のだ、それは選択できない。
如何に高度なハードを構築しようと、”電源が無ければ石と大差ない”訳で。
夫?に捨てられ、他の相手も選択できないまま、気づくと自身の必要性さえ消えていく。「企画」社長よりも或いは権力を持った”それ”は、時代の変化と共に、会社からも切り捨てられる、その先で。
納得の無さが、その深淵で今も、蠢いている?
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