という訳でキリも良く、7月突入。
「出張動画版」も、OPはAviutl使用の”動画”にして見た訳だが。
…次回以後もこんな感じに?するかどうかはちょっと謎ではある、費用対効果が悪い、という”感じ”はやっぱりあって。気持ちの上での余裕の様なモノ、だろうか?「ちょっと無駄な事をしても良いかも」と言う感覚から、少しそれっぽくしたのだけども、同時にキリの無さ、みたいなのも思う。ゴールが見えない。しかし、この「Aviutl」と言うツールの方向性みたいな物、だろうか。”今は”使える、そんな感じもある。
”適当”と、しかし「今必要なモノ」と、それはそれで、少し違いは有る様な。
こういう”無駄”は、果たして「お金を配っている」というニュアンスに成るのか?ではある。
「大衆は神である」反論が無い、としたら、目的の一つ、その到達ではあって。”これ”に反するならそれは紛いである。カルトは特に、「それは邪だ」とは言い切れる状況ではあり、そう言うのに陥るのを、自己責任の範囲で抑止はし得る、だろう。ただ?今までもそうだが「良い」か?と言うと、現状鑑みても全くそうは言えない。虚言に翻弄されるよりははるかにマシだとは思うが、微妙にその、虚言に翻弄されてる人々の脅威、それを退けられてない、気はする。
信仰は自由ではあるのだが。
”それ”が伝える?或いはそこに結果として残すモノも、結構失望感はある。最後は「大賀さん」そこで決着にする、時。「願えば叶う」それは嘘だ。自分以外の他人が居る時、それは最後、神を前にしての二択に陥り、少なからずの確率で自分の意向は却下される、本人がどれだけ”それ”に人生を賭していようと、だ。熱意で状況は変わらない、相手だって同じ状況だ、それが答。
と言うのは、この思想のそれであり、しかし今まで「無理が通れば道理は引っ込む」それは正論として君臨していたのであって。”それ”がその後にどれだけ問題を起こし自身を害するとしても?目先の事態を「改善」する方に、意識はどうしても向いてしまう現実はある。理性的に成るほど、この場合弱い。勿論彼らはその後、因果応報的にか失敗か喪失を起こしたりはするにしろ、自身の願いはその時否定される、それもまた現実。
単に、神業的に屁理屈が上手い、だけかもしれない”神様”ではある。
日本は太平洋戦争で最終的には勝ったのだ、だから昭和天皇は王の権威になった。
一般論で、それを通すには中々面倒な壁の前には有る。
ともかく、何となく、「集客」から、「放出」に成ってきた?感じもする、最近ではある。「お金を下さい」それは末端にとって切実でもあり、”それ”に対してどうやって供給する?と言う、懸念はそこにこそある、感じに成ってきたのかも。自身の権限、その限界、という事かもしれない。流石に世界を支配して思い通りに、という訳にも行かないのだが。となるとただ、お金儲け、に集中するよりは、もっと社会的な面倒を打開する為にコストを浪費すべきでは。
事態が打開するならむしろ、しかし。
意識の問題、だろうか。