ともかく「ルーシェ」が、紛争解決機構、”大賀さん”をターゲットにしている物だ、という理解の時。
これ以上の追及?か問い、そういうのはいささか意味を失っている、様な気にも、なる。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、翻訳して出力。
それはそれで、何かを描こうとしたものだとしても。
感覚はかなり安定、する雰囲気はある。疑問が止まる、消える感じはかなり以前よりは良い変化、ではあり。その上で「大賀さんの決定に逆らうと、利益性を失う」それは、深刻な物理としてある。それは強い弱いではなく、正しいか間違いか?だ。戦争の無い世界を目指す上で、「現実とそん色ない仮想現実での、実戦」その結果、それを「実際の戦争の結果として捉える」それは、まず第一の理解には成る。”それ”に反するという事は戦争の肯定であり、それは間違い、だ。間違いは、何処まで行っても歪みと欠落の原理にしかならない。”それ”を選択していく先にあるのは、単純に奈落と消滅ではある。
・・・ただ、逆に言えばつまり、「今、自分は何故?」も結局は神の神判それによる、訳だ。それが如何に理不尽であろうと、それがそういうものなら、それは諦めるしかない…そういう意味では、ある。
思考停止と言えばそう。自分がまだそれに理不尽を感じる限りは…何かの枷か問題、それはそこにあり続ける、のだろうか?理不尽だ。
ともかく今の所、ニコニコ動画にも新たな攻撃は、無い。ランサムウェアに対して「応じない」という姿勢は、つまり”これ”が状況にストレスを与えうるモノには成らなくなった、と言っていい変化かもしれない。以前に考えた「プログラマーA」その暗躍というかは、或いは今、効果を失いつつある、訳だ。”これ”をチラつかせてお金を引き出す、状況を譲歩させる、そういう事は難しくなった…。
まあ、ちょっと断言し得ないのがまだ、弱い所ではあるのだが。
果たして今、ウクライナはどういう立ち位置に成ったか?は、ちょっと気にはなる。報道が結構また、フェイクニュースを幾つか流すような感じはあり、メディアにとっては状況は悪くなっている、そういって良いのかもしれない。「ルーシェ」が紛争解決機構を示すのなら、”それ”が認められたというなら。ウクライナは今までの様な主張は出来なくなっている、筈ではある、正しくない。隣国に危機感を与えるような行動はすべきではなく、もちろんか自国内の人々を否定するようなそれも正しくない。ついでに言えば既に財政的には枯渇、破綻しているのだ、その状況で戦争を続けている、というのが、既に異常だとは思うのだが。
ともかくルーシェ、紛争解決機構がある、としても「反逆者」その決定に逆らう存在、という悪は、どうしても発生はする訳で。まだ、事態はいくつかの剣呑を抱えている、とは思うのだが…しかし、特に金銭面に関しては、大分問題が出てきた、それは言えるような気は、する。
「コンコード」というゲームが破綻した、理由は様々ではあるしかし。ともかく「まったく成果が出ない物」に8年と150億円を投じた、という事が問題になった、というのはもちろんか大きい筈、ではあるし。結果的には”そこ”を埋めるような動き、”それ”も無かった、事には成る。「売れなかった」というそれが、ようやくか問題視されつつある、訳だ。今までは、或いは電話一本で誰かが埋めてしまった、のだが。それはもう無理になった?
ともかく今、昔のように単に「王」へ「不平等だ」理不尽だ、お前は神のつもりか?それを圧しまくって譲歩させお金を引き出す、という術は、自称芸術家の邪な金策術は、今の理解では不可能になった、感はある。「M式特殊融資」は、平等な条件での支払いを約束はする、”良いモノ”を作ってくれれば融資は出来る。今までは、”それ”は最終的には王の主観でしかなかった。今は、数値化して多人数によって検討出来るモノ、それに成った。そこに不平等は無い、技術が高いか低いか、それだけではある。
今の所、京アニに起こったような悲劇、それはこのシステム上では起きていない。
実際にどこで機能しどこまで普及?しているかは、まあまだ見えないのだけど('_')。
それでも、上手く行く人といかない人は、深刻な境目を創りはするのだが。一応今の所、その境目にあるのは「道理」でしかない、「上手く行かない」人は、過去にか、人に言えないような過失を多く抱えている。この場合の「上手く行かない」は「売れる作品が創れない」ではあり、「創っても店頭に並ばない、評価されない」ではないのだが。しかしまあ、”これ”が言い分として疑問視されているうちは、「理不尽だ」は人々の意識的には理不尽で通る、議題かもしれない。
世の中は道理に支配されているが、理不尽だ。