唐突にか、バチカン市国の教皇が、ゆるキャラの「ルーチェ」というのを発表する。
一般論では悪いインパクトを感じるべきなのだろうが、それはでも、違う視点もある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、いくつか追加し翻訳して出力。
果たしてバチカン市国のマスコットキャラそれは、何処を見ているのか
以前に「上皇様が最後の二択その解決を「大賀さん」に委ねた?」的な事を書いた、が。”これ”はそれに関係する話、かもしれない。ともかく感情論的にか、世間に紛争解決機構を導入しようとすると壁がある、「ガンプラバトルで決めました」への、世間の予測されうる反応、そしてその変化、こわさ、ではある。しかし、不意に思うにこの「ルーチェ」をバチカン市国が公式のマスコットキャラにした、というそれは。意外と”この”壁に近い話かも、知れないとは、不意に思った。そして、このルーチェとは何か?だ。何故、バチカン市国は、ローマ教皇はこのキャラを、とても日本的な、というべきかそれを。あえて、この場に出してきたのか?ではある。
紛争が始まった世界に対して、多少かの期待をした…という事は、あり得ないか。
キャラクター分析的には、黄色はキリスト教にとっては不吉な色、らしい。裏切者のユダの来ていたローブがその色だったそうで、そういえばクトゥルフ神話の「ハスター」も、人間形態?の際には黄衣を纏っている。しかし?説明では黄金の色でもある訳で…そこはどうでもいい、そういう説明もある。つまりプラスとマイナスの二面性を持つ色、という事には成る訳だ。故に、これを実は「審判者」と見ていても、意外と合致はありそう。
その上で、純粋さ、というべきだろうか、幼女の姿をしつつ、髪の毛は水色、妖精的なイメージはあり。それでいてブーツは土に汚れていて、旅の杖を持っている。杖の形は何か意味があるのだろうか、ともかく降り注ぐ苦難かを進むモノ、そういうイメージではあって。一応自分の主張する「大賀さん」その名は、「電影旅団オーガ」という命名から、ではある。そこでも微妙な合致はあっても、良い。
良くも悪くもか?意外とすんなりか、「紛争解決機構」子供のおもちゃを用いての”それ”は…気休めとしても、”世界”に導入された、と言っても良いのでは。
この時、世界は独裁の存在故に発生する「中華思想の皇帝」過去で言えばロシアを乱したラスプーチンの様な存在?”それ”に怯える必要は無くなる、理屈の上ではそう。なぜか?というと、「大賀さんの前では”全て”が平等だから」だ、テレビゲームが全てのプレイヤーに同じ条件を提示する様に、そこに差別はない。その時、「何故我々だけが!?」それは、人間の責任ではなくなる、皇帝のその主張は、意味を失う事には。
ただまあ、その先にあるのは逆に、一種の冷戦的な事態かもしれないが。それでもある限りは、その対立の決着は、付く。
最近少し思った?事だが、世界は「資本論」という思想、それによって今の近代化には至った、しかし。その作者はそこに「作者の椅子」を残してしまった、意識が出来なかった、というべきだったろうか。ともかく結果、思想は大きく二つに分かれてしまい、戦争を始める事になった、資本主義と共産主義。前者の方が作者の意向を重視しているが、同時に「自由市場」その混沌への打開も失念というか欠陥として残した。後者は「それは間違っている」を言う結果で、「優秀な王」を求めそれによる管理を求めた。それは意味的には資本主義が「作者という特権を否定した」事に起因するが。ともかく結果、「中華思想の皇帝」特権の王による排斥と、それに対しての対抗する存在、それを産む事になった。資本主義は、共産主義との「どっちが正しいか?」の問いを前に、どうしても発生する「自由市場の敗者」を擁護する必要に迫られ、共産主義は、発生する「中華思想の皇帝」ラスプーチンの様な混沌、に悩まされる様になった。
その両者にとっての悪夢が、現状ではウクライナに集中してしまった、のかもしれない。
西側は、ウクライナを切れない。東側は、ウクライナを従わせる事が出来ない。これは、「資本論」のバグ、作者という特権の椅子が残ってしまっている、事に起因している、としたら。”そこ”に対して、今は「ルーチェ」?このゆるキャラを配する事で、実は…その欠陥と言っていい何か、それを打開し得るのかもしれない。その時、ウクライナは今までの様な暴論、「我々を切り捨てるつもりですか?それは正しくないのでは。我々を支配するつもりですか?それは正しくないのでは」というか、それを言えなくなる、のかもしれない?不幸だというなら、”それ”はあなた方が「ルーチェ」その意向、それに反しているからだ。ロシアにも西側にも過失はない、全ては自己責任である。
ともかく日本では、与党が大敗して、政権交代さえ視野に入ってきた…状況ではある。アメリカでも接戦とは言うが…果たして、だ。大きな転換点にある、それはまあ、間違いは無いのだろうが。
この小さな何かは、世界を変えうるのだろうか。