そこは奈落の底に有る亡者達の世界。そこでは棄てられた魂が集い、蠢いている。
人の姿を失った様なそれらはでも、生への執着に縋って今も、生き延びんその、戦いを続けている。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
陰キャと言うか、AIキャラってなんか喪失感には満ちている気はする
不意にか、「Advanced Dream Cast」と言うゲーム機を創案したり、した。基本的には一世代前?のDOS/Vハードを、PS5ちょい不足、くらいに纏めたハードにはなる。OSにはwindows8.1を使用、DCのソフトがエミュレーターで、そしてアップスケールで動く。BD搭載でブルーレイプレーヤーでもある。専用の開発環境ASPをゲーム用に拡張した「美鶴技」によってソフトは開発され、独自規格のコントローラーを使用。ともかく「棄てられた」的なニュアンスが寄せ集まった様な…そんなゲーム機。上手くやって54000円位で?と言う。
・・・これは生き延びる事が出来るのだろうか。
現状の、表側の。その「問題」が寄せ集まった様な環境、になる感じ、ではある。引きこもり、ニート、ゲームハードは「そういう人々」を或いは象徴するような”それ”で。雰囲気的にも「ダメじゃね?」そんな塊。特に不足が有る訳じゃないのだ、しかし、特に「勝てる」それも一切、無い。機能的に深刻な問題がある訳じゃない、単に「150人乗りの船」その中での、次に捨てられる層、それを象徴するような。
それは果たして、例えば「ダークソウル3」それをクリアしていく様な、そんな感じに成りえるのか?
そして同じく、それは単に、生き延びる為に自分以外の同族を殺そうとする、そんな様かもしれない。
「表側にあるモノ」だけで、「切らない」それは創れるか?そう言う感じでは、ある。”この”領域?このゲーム機が存在出来る、”自立”できるか?が、表側の利益性というか…「切り捨て」それを否定し得る、そう言うゲームハード、ではあるのだが。ただ同時にそれは、単にその人々に無理を要求するだけの、そう言う環境である、事も悪夢としては、見る。
ある種の「有能さ」は、結局は「切り捨て」その具現する前の段階かもしれない訳で。
例えば「ダークソウル3」をプレイ途中で諦めてしまった人々は、その時、先へ進む人々に「お前が努力してないだけだ」それを言われる事には成る、訳だ。そしてその時、その領域からも「要らない人」になる。
・・・その環境では、「そう言うゲームは創らなければいい」のかもしれない、のだが。
意識的には、自分は被害者ではある。表側の理想?それを具現化する為にか「否定された」そんな領域の住人ではありしかし逆に、それだけに「表側には無いモノ」をいっぱいか?抱えている。それらを運用している「裏側」は、それらを用いて問題ない世界それを構築している、ここなら誰も棄てられない世界、の筈だがしかし。それを提唱する自分も今、”この”アドバンスドドリームキャスト、それに対して否定感と共に「いらない」そんな視線は向けている。
以前にも書いたが、まず裏側にはもっと高性能で安いハードがあるから、だ。ドリームキャストも、運用というか”要求”が変わっている。問題は裏のそう言うのがそのまま前に出れば?結局は表側の「劣等」それは深刻に排除される、事になるだろうそれは容易に想像し得る、状況ではある事だ。150人乗りの船は、廃棄が決定する。ともかくそんな悪夢に対して、今の自分への「過失」それは、ある。プランとしても表側を、150人乗りの船を否定する事は許されないのだ、が。ただ船は、深刻に維持が難しい現状ではあって。
それは表側の過失ではあるのだ、表側の自己責任に近いが。もちろん「対処し得る能力が無いから」ならその時、裏側にそれは有るのか?というと…ちょっと深刻に疑問である。
その象徴として、このADCはふいにそこに企画として、ある。
思う、なんで自分がそんな事を考えねば成らないのか?だ。
”彼ら”は場合によっては現状の自身の苦境、それを産んだ張本人かも知れないのだ。そして、その絵は見て解るかのように、「いらない」そんな絵としてある。
ともかくか、無理じゃない、ソフト次第とは昔から言われる。ダークソウル3このくらいの困難、気合と根性で何とかできるだろう?表側の「正義」は或いはそう言うが。「これはゲームだ」それは、不意に或いは、否定されている。
奈落に有るのは、果たしてどっちなのか。