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あげちうのブロマガ

その道の先には敵が居る

場合によってはこの辺で、「意欲」それも薄れる、かもしれない。

ともかくそう言えば、今は4月だった、新生活を前に、そこには混沌と魔物が居る。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

あまり馴染のない道と言うのは、それだけで異空間ではあるのだが

 

「今のゲーム」として「ダークソウル3」を出すのも、不意に気づくと妥当じゃないという状況ではある、初出は2011年だと。とは言え、今の「先ず隗より始めよ」の筆頭であるのもまあ、妥当と言う事で少し続いてるのだが…漸くか、「同調」していく部分が見いだせそう、そんな事態。

これは、新社会人とかを、バックアップしている訳だ。

ただ怖い事を言うと、「だから」今の新社会人の「直ぐに辞めてしまう」もここにある、のかも。

未来ある、事態を打開し得る!その道の先がまあ、あまりにも…ではある。インディでも「ゲーム」の製作記事とか見ていると、当たり前だが「この方が面白い」で、ゲーム的な演出を造ってる、というのは良く感じる、難易度調整にしろ…だ。ただこの時その結果、”そこ”に現れるのは作者の、或いは読者の?理想ではある。”それ”が描くべき物に対して「蛇足」に成ってないか?は不安としてありそして結果、”彼ら”の希望は現実の前で、もろくも崩れ、破壊される事には成る訳だが。

ゲーム制作と言うのは、もっとシステマティックにテクニカルにフィーリングで作ってるんじゃないの?

何言ってんの君。

「プログラム」と言う壁を知っているか否か?でも差はあるだろう、ゲームを作ってる時、そこに有るのは物語を描いてる様な躍動感それじゃない、”それ”を俯瞰している冷やかさ、ではある。じゃないと帰結する「絵」が描けないのだ。「ここでユーザーには驚いてもらいたい」時、当然だがユーザーの行動を先読みするなりしてイベントは配置する事になる、そこに”ユーザー側の驚き”はない、有るのは悪魔の嘲笑ではある。故に、「プレイヤーとの同調でゲームは創れない」のだ。これは最終的には物語も一緒だが、自分の前に道は創られる、感覚は此処には無い。「なんでもっと先の事考えてないの」そこにある声はそう言う物、だろうか。「ここはこうであるべき」と言うのは、実際の現場にはあまり意味がない話に成ってしまう。

ともかく「ダークソウル3」は、”そう言う壁”意識のそれが怪物となって表れている、そう言う場だと言えば、そう。

「グラディウス」が、「このゲームをクリア出来れば望む作品は創れるでしょう」に対してまあ、多少か進んで「”この”ゲーム会社の中で生き残るには」そこに踏み込んだ、という感じではある。プレイしているキャラは、その会社かに入社した新人…であり、その前には、その広大な世界が危険と共に広がっている訳だ。プレイヤーは何とか、この先に進まねば成らない…自身が生き延びる為に。とにかくそう理解するまでの「壁」が、ちょっと説明不足かフィーリングの問題か、今もって理解し難い、”それ”であるのは確か。

そう言う感じに帰結との同調がある時?その行動には意味がある…事にはなる。続ける、耐える理由、それが見いだされるのなら、その先へ踏み込むのに数時間の労苦は無意味ではない。理解できてしまえば後は、自力での労苦の投入と試行錯誤、その繰り返しにはなる。その先を目指すというなら、それは「正しい」労苦の蓄積には成る訳だから、困難に挑むそれは、むしろ推奨さえされる話になる訳だ。そこに喜びはある。

ゲームは尚更か、”現実”とのシンクロは、結構大事な話、にはなる訳で。

そのプレイヤーキャラがその先を進む時、”その”会社もまた、利益を得て発展していく事には成る訳だ。それが世界にとっても貢献に成る、時。ゲームはより深く追求し得るモノ、それにも成っていく。プレイヤーはそれに対して重大な貢献をしているのだから?それは無意味ではない行為、それに成る訳だが。

ちょっと理解に至る過程にゴミが有った、というのは大いにありそう。

しかし何かの壁を突破した、というのは…まだ早計だろうか。

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