「嘘を描くな」と言うのは時々言われる事ではある、がしかし事実は時に残酷で。
「この世界はもう続かない」という実感はでも、深刻な失望を残しているそれもまた、現実。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「覚悟決めなさいよ、もう逃げられないわよ?」とか言う話の真実とは
「何を描いているんです?」と言われて、日記か論説か物語か妄想か?は、作者が返答する部分ではある。ただまあ、「フォーマットが決まっているモノ」に関してはその限りじゃない、日記なら個人の視点での現実を描くべきで、嘘は好ましくない。漫画なら絵が必要で、アニメなら動いてる事は大事だろうか。もちろん「そう言う問題じゃない」のだけど。「MMD動画で最近起きた事を描きました」自分の主観ですが。”それ”がそう言う物だった時、そこにあるモノは何か、ではある。
「アドバンスド・ドリームキャスト」不意に先日の”これ”が、現在の表その物である、という気分にはなる。
そして同時に、”これ”がPS5やsteamなどの界隈に対して、殆ど意味を持てないだろうそれも、少し実感する。
もう、”今の現実”は続かないのだ。
それが、この世界でフラグシップを担ってきた人の、或いは偽らざる独白なのだ。
「面白いか?」と言うと、そこは立場による。「今の現実」を好み護らねば!という意欲のある人々にはとんでもない物言いだがしかし、この世界にそれほど恩恵を受けてないむしろ否定された人々には、それを否定できない感覚はある。150人乗りの船、その末路、だ。それはまあ、島から離脱した後、海から現れた異形の怪物に襲われ沈んでいくのだ。それがこの、罪を重ねた船の末路として妥当である…ただ恭順してきただけの人々それもまた、同罪だ。
もちろんか、「なんでこんな事に成ったの?」それは疑問として重い。
「解っていたらどうにかし得た」というのもまあ、偽らざる返答、だろうか。
経済学ではリストラしか答えは無く、200人の定員は既に埋まって欠員待ちが100人も居る様な。そんな世界は自身への改良や改善を要求する事無く、そこに乗った人々はただその状態を受け入れて、やがて50人ほどを島に捨てて逃げ出し、やがて”そこ”まで来てしまったのだ。それは妥当な末路である。
「愚かな選択である」のだが…今もってなお自分も、状況を改善出来ないでいる、それは変わらない事実だ。
形而上の変化、が形而下には何も影響していない、感覚はある。良くも悪くも形而上の決定を、形而下に適用する権力?武力そう言う物がないそれは、奇妙というか…何かの異常それなのかもしれない。「倫理」とは何か?は深刻な問いだ。或いはその「形而上の決定を護る意識」の事ではある。社会的規範とは”そこ”で形成されるのだ、が。それに対して「無意味だ」いや無理解、か。それが広がりすぎた、そう言う事かもしれない。
「当たり前な話」も、時代や状況で変化するのだが。その変化に対して、マニュアルは対応できないその人々に、世界は支配を委ねてしまった?そう言う状況はあるのかも。
「形而上の決定を無視できる人々」に対して、話し合いそれはほぼ無意味だ、要するに「動物」と言って良いのかもしれない、畜生、そう言う領域。「話せば解る」と言うのも或いは偉い人の残す言葉かもしれないが同時に、その偉い人が暗殺されているというのも現実ではある。物理的な戦争が起こる理由の一つではある、「倫理」と言うのが矛盾を孕んでいる、それは深刻な問題ではある。
「人にやさしくしましょう」という人々が、50人をリストラする事実に我々は、毎日触れている状況はある。
自分の或いは手元にある、この「無能とも言えない無用」そのゲーム機は、具現化しても果たして…何時まで生きていられるのだろう。延命措置は何処まで意味を持つのか、そしてその時、世界は苦痛、或いは悲痛もまた抱え続ける事に成るのだが。
その偽らざる真実を描いた時、是非は歪んでしまう。
その失望と無意味に意味を探す、それは人の愚かさか、それとも。