あげちうのブロマガ

残酷と言う主観の境目

「世界統一政府」からの、公式見解のお時間です。

「察する」って、大事な事だと思うんだよね。

「面白い」と言うのは色々な面は有って、ともかく解っている事は、「面白い」それを接種してないと、人は精神的に問題が出てくる、という事ではある。売春に依存しない状態、というのも結論では「面白い」を搾取し続けているからで、それによって精神面の不足分が出てない、と言う事だ。テレビとかは、”そう言うの”を率先して提供しなければ、その存在価値を問われる、訳だが。

その上で、この作品がこの程度のカウンタ数値である訳が無い。

…とまあ、創作者はどうしてもそう考える、のだけども。真実な場合も、カウンタ制御を受けている場合も、ともかく第三者には意外と、どうでも良い話だったりはする。不意に周囲を見回せば、100前後のカウンタ数値の動画は、山ほどある現実。今の自分は”それら”の一粒に成って文句を言っている状態な訳だが。

独裁創作の「何で受けないんだ?」は、昭和の頃にしろ積年の疑問ではある。

ちょっと、今日まで「秋葉原HEY」にて公開中の「FLICKY」と言うゲームの「アートスケール」それを、ちょっと考えてみる。

「FLICKY」
主題 2フリッキーが可愛い>で?
情景 3フリッキーがひよこを助ける
描写 3サイドビュースクロールアクション
注意 5ひよこはフリッキーの後に付いてくる
主張 9前に立つと言う事は
矛盾 3なんで攻撃されてるの?>ゲームだから

技術 5コミカルなゲーム画面
個性 6後ろに数珠つなぎ
一般 6ぴよぴよ
独自 4いわゆるゲーム

46点

とか、ちょっと低めに採点しちゃったりもする訳だが実際に市場でどうだったか?はともかく、あまり知名度が無い、気はする。自分も当時に見た事が無く、当時にしろ理不尽な否定をされた感じもあり、何かのしこりは残ってる作品なのかもしれない。で、それをでは、問題無く補正するとどうなるか?の思案。


「FLICKY改」
主題 生きるって大変
情景 フリッキーがひよこを助ける
描写 フィールドスクロールアクション
注意 ひよこはフリッキーを追い掛ける
主張 親には使命があります
矛盾 なんで攻撃されてるの?>食い物が歩いてるから

ゲーム画面は、「奇々怪界」みたいなフィールドスクロール。
貴方(フリッキー)は、ひよこを連れて新たな場所に移動せねばならない、が。道中には危険がいっぱいである。

スティックで、上下左右、Aボタンでジャンプ、Bボタンでひよこの招集/停止。
ステージ開始時に、ひよこは突然の突風で、必ずステージのあちこちに散らばる。
それを回収し、出口に向かえばステージクリア。
ただ、ステージ上では問題ある敵もうろついていて、それらはひよこを見つけると近づいてきて、捕まえてしまう(フリッキーはぶつかるが攻撃はされない)。捕まると、暫くすると食べられて、ロストに成ってしまうので、その前にAボタンジャンプで体当たりすれば、相手を気絶させて救助出来る。
Bボタンで、ひよこらをその場に残して単独で移動する事も出来るが、ひよこらは暫くすれば勝手にうろつき始めてしまうので、その前に近くに行って召集する必要。
ひよこを一匹でも出口に連れて良ければステージクリア、しかし、ロスとしたひよこは復活しない。
全てのひよこを敵に食べられれば、ゲームオーバー。


「これ創りますか?」と言うと…少し思案してしまう現実は有って。

ゲームが進む度に減っていくひよこ、或いは見殺しにする様な事もして出口に向かう。不意に見ると、最初いた10匹は既に数匹に成っていて。重い後悔の様なモノと共にゲームは続く。

企画と言うか、オーダーと言うか…そっちの側にとっては笑い話に近い「面白い」だが、しかし現実のプレイヤーらは、そう考えるのか、或いは。

「ゼビウス」も、ぶっちゃけ”この”感じで、今のゲームデザインに成ってる、気はする。結構深刻な悪夢を見てしまう時、「面白い」としても、それは絵にするべきか否か。

当時にしろ、ゼビウスのデザイナーその他が「私は間違っていない」そう考えるのも、或いは無理もない、のかも。

「売れれば良い」が、真実ではある。

その時、神を呪うのは間違ってはいるのだろうが。

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