物の値段が、庶民レベルのそれが上がっている。
これは単純に、インフレなのでは。
思想的な結論で言えば、「幸福感の減少」が、インフレの際たる理由、ではある。社会を「好ましい」と思う人が減ってると、社会の価値が下がってインフレになり、そしてそれが打開されないと、ハイパーインフレに突入する。支持するのと幸福感とは別モノではあり、少しでも打開が期待出来る所を支持するにしろ、結局、”それ”が上手く行ってない訳だ。
不景気に天変地異にコロナ禍に戦争、である。
そう言われてしまえば、さもありなん、だが。
自分の感覚で言っても、何だか話題作?であっても、買う気にならない。”それ”に対して状況の打開が期待出来ないから、だ。評価の矛盾、その問題もある。改善を志向する作品を求めない、或いは現状維持だ、それを続けんとする物を、評価する。末端レベルはもちろん悪化しているのだが、上の方はそれに対して、切り捨てる選択に陥っている、訳だ。
確かにこの段階では、ゼレンスキー大統領を無能と罵る事が出来る経営者、或いは施政者は居ないだろう。”彼ら”に対して「仕事をしろ」と詰っても、あまり意味が無いのかもしれない、無理な事は無理だ。
結局?そうなると自分で創ったモノを自分で買うしかない、訳だが。「大賀さん」それを前にして、”それ”で事態は打開されているのか?には、ちょっと疑問もある。それで増えているのか?自身の状況を見つつ、何だか途方にもくれる現状。
ともかく「今まで」のそれを”ここ”が買わない、という事は。そのまま「社会的な評価」その下落を招く、という面は重くある訳だ。今まで通りでは状況は改善しない、しかし或いは、”それ”は「その改善を求める」パワーを迎撃して拍手喝采、ではある。視点での侵略者ではあるのだが、悪化の責任まで外部の「何とかしろ」に有る、と言うのは果たして、だ。
「つかさ式初音ミク」を見て、オリジナルの初音ミクデザインを見れば?一応は合致している部分はある、「初音ミク」として全く問題ない、むしろ”これ”が初音ミクとしての正解でさえ有る、デザインで言えば、だ。実際の企画意図に欠落を感じる、部分は。良くも悪くも「瀬戸内寂聴」氏の死去と共に消えている、そんな事も言える。他の3Dモデルに欠落の様なモノを感じる、としたら、”そっち”が間違いだと。その意味ではその理解は、二次創作が一時創作を超えようとしている、という絵では無い、訳だが。
「正解」を施政者が選ばない、その筆頭がゼレンスキー大統領だ、としても。「民意」その真意は今だに不明瞭、ではある。庶民レベルの物価が上がる、という事は、自身の生活も困窮する、という意味ではあるまいか。しかしつまり、「ウクライナは負けるのが正解だ」って言うか負けたんだ、と言うその主張と、その結果ではあり。
”それ”は、果たして幸福度をあげる物か、或いは。
コロナ禍が収束しつつあるのに、暗雲はまだ晴れない。