最終的には、「まともな話」が出来る様に成ってきている、気もする。
しかしそれでも、昭和の遺恨それは今も、何かの深刻として有り続けては居る。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
「お金ないんだ、おじさん助けてくれない?」自分には漫画でしかない事態の、是非
その懸念は相変わらず、「ゼビウスとグラディウス」、或いは「マジンガーZとグレートマジンガー」その是非には通じていく、感じ。それでも今、そこに「売れなかった物を売れたと言っても、ダメじゃない?」な、シンプルな正論が入る様になった?のは、多少か改善と言うべきかもしれない。今もなお、それは形而上の話…ではある。「企画」と言う領域は、今もなおスキルの問い難い領域ではあり。
単純には、ゼビウスも、グレートマジンガーのそれも、「ヘタだった」と言うそれだけの話なのだが。
反論が無くなっても、相手の権威というか立場というか、”そう言うの”はそのままそこに有る訳で。
この辺のジェネレーションギャップ、というかを前に、改善を期待して描けない、という事態はまあ、ある。本来なら「向こう」の世界に対して実効性のある改善案を提案、その結果に対して「感謝」と言う報奨を期待する、のが創作の基本的な需要なのだが。次第に”それ”が「漫画だから」を言えないくらいに近い領域を見る様に成ってくると、その結果に対してもツッコミが現実的なそれには成ってしまう。「異世界」と表現していたモノが、「隣の部署」くらいの意味に成ってしまう時、それは果たして漫画だと言い切れるのか?だ。そして、そういう感覚の方が評価される、みたいな時(それは実効性があったから、なのに)。”それ”をまだ十分なスキルの無い人が真似ると、それはマジンガーZに対するグレートマジンガーに成ってしまう、訳だ。
スキルを問うには、あまりにもバカバカしいとさえ言える、そんな世界では、有る。自衛隊の人々に「自衛隊とはマジンガーZの様な物である」と言うそれは、その職務への意識と意義を理解させ得るかもしれないが、グレートマジンガーはその対象を持たない時、それは今も、「何の話?」を探して意識は何処かを彷徨っている、残って居るのは単に「マジンガーZよりかっこいいだろう?」それでしかない。不足と言うより短絡というそれは、高級官僚が語っていい話じゃないそれは確かだが。
高級官僚が或いは会席の場でそんな話をしてたら、それはそれで心配になる絵ではあるのだった。
もちろん?高級官僚だって余暇の時間は、ネットで道徳的に問題無いの~?な映像を眺めてたりしたって別にプライベートなら犯罪じゃない限り何してても良いのだが。その筈がそうじゃないのがまあ、更に深刻の一部というべきだ、ろうか。
それは地位的な対価、それで終わる話なのか違うのか。
ともかく「屈辱」が昭和で膨らみ、平成を売れない作品ばかりにした、結果で日本だけじゃない世界レベルでの不景気を招いた、というのはちょっと深刻な元凶だったりはするのだった。今再び、同じような話を再現している?様な幻影が見える時、一人か非常に狭い範囲で、深刻はちょっと加速している。
「あなたが同意した、或いは提案した、”この”企画書通りに完成したら、融資します」が、M式特殊融資、それに対して担保を必要としない、というのは大きい筈だが。ともかく最初に提案したプロットを再現しなかった、ら。それは契約不履行というモノではあり、融資側は応じなくて済む。そして結果で「売れなかった」損害が出た、ら。それはそれで現場のプランナーその責任でしかない。額の大きさでは責任を取ってもらう必要はある、退職勧告も選択肢だ。それでも、そこには何かの不満は残って居る。
”これ”をゼビウスと見る時、”それ”を下敷きに創ったのが「グラディウス」には成る。不足分を他者が後出しじゃんけんの如く?に補正した結果で大ヒット、名作という事に成った、時。そこに始まりの憤怒は芽生えた、事には成る訳だが。
しかしなぜ、最初のプロットに同意しておきながら?現場はそれを創らなかったのか、その後の結末が予想できたとしても?そこは深刻な疑問が残る。そしてその結果で平成がああなった?としたら可能性でしかないにしろ、何か対策その他は必要な訳だけど。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、ではある。
しかし「売れる物を創れ」その先にある混沌は、今も魑魅魍魎の住処だ。
一応、変身ヒーロー物企画
「神雷鬼装 ジライヤ」