問われる事態ではある。
「実は過去に強姦殺人をしてしまって、それを親の権力でもみ消したのだけど。夜な夜な、”それ”を責める声に悩まされてるんです、どうすれば良いでしょう?」
ともかくその人?に起こる不運か問題、その全ての原理は”そこ”に集中していく。それが原因だ。その事実がそこに有る限り、全ては不祥事として負債化していく。その打開をしなければ、その人はもう、先に進む事は出来ない。
返答の一つ。
「…報道機関に携わる者としては、どうすれば良いと思う?」
返答は、まだ無い。
多分、これを問う人自身が、「報道機関に所属する存在だから」だ。
報道機関が起こした不祥事は、誰が報道するのか?
深刻な混沌ではある。
漫画やアニメは、”こういう話”が好きだ。「漫画だから」それで、名前や立場を変えて描ける。不思議と、自然と、そういうネタこそが「面白い」として浮かんでは来て、社会は奇妙なストレスに晒される事には成る、何で妨害するんだろう?こんなに”面白い”のに?
面白いが否定される時代と、その前に、何があったのか。
ともかく「面白い」を否定する時、そこに犯罪はあるのかもしれない。