「ウルトラマン」とは何か?に対して、今も曖昧さは有る。
ともかく強力な存在で、怪獣と戦える存在である、その時。人の存在意味は?というか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力
昔アイドルだった彼女が今は自分の前でご飯を創ってる光景とか(…で?)
クトゥルフ神話的な解釈?理解でも、”それ”は「悪夢だ」恐怖だ、ホラーという扱いには成っている。結局、上位が居て、その奉仕種族が居る。人間は?もちろん人間も、だ、最終的には。しかし、ウルトラマンではその辺が、「何か問題でも?」と、”そこ”に有るのは一種、間違いない…提督と、それに従う艦娘(・・・)の、そんな様だろうか。とは言えそれで売れますか?というとまず話に成らない、ので(困った問題が起きた、神様助けて!祈祷の結果で神が出現、打開されましたありがとう、では)。そこに地球防衛軍、それが登場する訳だが。
地球防衛軍では大概、怪獣には手も足も出なかったりする。
「彼らは必要なの?」それは、この作品がウルトラマンに注目する限りは、どうしてもついて回る話には。
「大衆は神である」ので。売れる為にはどうしても、彼らがどういう存在か?を、売れる様に明確にか、定義する事には成る、訳だがしかし。
イメージソースは、ぶっちゃけると「昭和天皇」がウルトラマン、そう言う扱い、だろう。当時の状況にも合致している筈である、彼にしか売れるアイディア、”それ”を創案できなかっただろう、その。当時の時代背景と言うか、それを好意的に抽象化した情景な訳だがしかし。当時にしろ、「自衛隊」それにしても最終的な司令官は天皇だった、時代はまだつい先日、くらいの話である。ぶっちゃけちゃうと「同じ力」かもしれない、訳だ。”それ”が、何故か同じ画面上に居る訳である。
どっちにしろ、ウルトラマンを強調すると天皇陛下万歳で戦前に、地球防衛軍に頑張らせると軍国主義の戦前に、とまあ。或いはあまり、うまく成らない。結果で基本「3分しか活動できない」ウルトラマンがどうやって状況を何とかするか?に関心が集まる訳だが。何故?ともかく許容される「隙間」がその程度だから、だ。例えば30分番組の中の3分だけは天皇陛下の意向が出てても良い、みたいな。この辺も、「大衆は神である」その理解とデータとの合致する範囲での話なのだが。「売れる作品」を目指す時、或いはウルトラマンさえ逆らえない「物理」の制約その前に、カラータイマーの存在は重要なそれではある。
・・・という感じでウルトラマンを考えるべきか?は。まあ”表”側の、現場の現状とかを考えると疑問はまあある。「シン・ウルトラマン」ではカラータイマーも無くなってしまっていて。状況的にも、「なんで力ある存在が力を抑止されねば成らない?」とか、そう言う意向、そう言うのが出ている、というのはある。この辺、今も納得があるとは思えない空気感で、その筆頭みたいな感じにイーロン・マスク、なのだろうか。自身の欲望その具現の為には犠牲は必要経費だ、みたいな感覚は。次第に邪を隠さなくなってきている、気も。
そういう「怪獣」に対して、ウルトラマンはどう戦うべきか?地球防衛軍は、ではある。
理念だけだと、否定されるネタではある。地球防衛軍の新装備がウルトラマン用に調整されており、彼の攻撃力を強化してくれる、とかそう言う。物理的な話では、全高50mに達しようと言う、縦横無尽に動き回る巨人に対して”今”の人間は武器として提供し得る物を創れるのか?だ。もし創れるのなら?”それ”で怪獣倒せるのでは…ウルトラマン要らないよね?みたいな。作れないからこそ、劇中に「ウルトラマン」が必要に成る訳だ、まだ希望はある、と。しかし逆に、3分以内に倒せるのなら地球防衛軍の活躍は軽くなってしまうし、その必要性も弱まる。有っていい様な、でも違うような。理解をその上の記述に合わせると、ウルトラマンの力とは地球防衛軍の力、でさえある。要するに?その視点では「地球防衛軍の”姿”では不足が出る為にウルトラマンに成る」訳だ。つまり、ウルトラマンが出現した時点で、地球防衛軍は本来は存在していない事には?
いやいやいやいや。
自分もアレだ、「森宮照」と言うペンネームと「あげちう」という”ここ”でのハンドルネームは、協力出来ないのか?というそれはちょっと考える、ネタではある。協力しては居ても?基本、片方しかその場には出現しない。漫画としては同じ場所に何故か二人分いても構わない訳だがしかし。「漫画だから」大事な話ではある。
ともかくその辺で、安定する視点それは、「”この”世界は地球上でのウルトラマン、その存在に何故か否定的である」と言う絵、ではある。人間の存在が或いは、地球を破壊し得る元凶でさえ有っても、だ。だから、その視点では、「ウルトラマンが力を弱体化させる結果(何かの攻撃が出来なくなる、等)で、地球防衛軍側の兵器が強力になる(制約を超えられる)」と言う絵は有っても良い、のかもしれない。視点では逆に、何かのパワーアップにさえ見えるだろうか、スペシウム光線的なパワーを封じる代わりに、地球側の砲弾を”その”エネルギーで覆ったウルトラキャノンが使える…とかそう言う。物理的な破壊力が加味されてる結果でスペシウム光線よりも破壊力は増している、と言えない事も、無い?
「面白い」とは、中々深淵ではある。