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あげちうのブロマガ

マンガで見捨てた場所に居る

「コラテラルダメージ」と言う物の中に、実際には人間を入れられない現実がある。

納得の行く説明がない限り、戦場で死んだ兵士であろうと、それは呪いの起点と化すのだ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

エッチなグラビアのこの子には負債があります、とかの、その後。

 

日本の「黒部ダム」という巨大事業にしろ、現場で幾人もの犠牲者が出た上での完成、ではあり。もちろんそれを乗り越えて当時、人々の生活に生活水と安定した電力が供給される事に成った訳だが。それでも死者は、帰ってこない。世代の感覚の問題はある、「戦場で死ぬ兵士も居る」それがリアリティを持っていた時代は、犠牲者が出ない、という事の方が不自然だった。一つのパワーの暴走は、その先で数多の罪なき民間人を殺す可能性があり、それを否定する上で、「なんて酷い」そう言う描写が物語では要求される事には成る訳だがしかし。

その時、そう言うシーンが描きたくて描いている訳で無い、筈なのだが。

何処まで言っても漫画は漫画、物語は絵に描いた餅ではある。単に物語の場合は「具現化する可能性が非常に理解されやすく描かれている」場合がある、だけだ。描かれた美味しそうな餅はどう作られるのか?は、その後のレシピとして描かれていく時、それは具現性を持ってくる。主には「困った事態を打開する術は」と言う視点で、それはそう言うのを要求される訳だがその時、「数人には泣いてもらって」それはちょっと、深刻に否定されるネタには成ってしまった。

この辺を感覚で理解する上では、やっぱり「自分が相応の被害を、喪失を受けた」と言う体験は、大きな理由の一つには成る訳で。昔からかもしれない、作者に”そういうの”が無いまま、前には出にくく成っている…それは深刻にある。技術だけではウケない、「体験がない」からだ、というのは、是非はある訳だが。理不尽でも、そういうそれまでに発生しているコラテラルダメージ、「やむを得なかった犠牲」みたいな話は、その後に埋める必要はどうしても出てくる訳で。

「なんでアレが前に出るんですか?」

語る理由のないプライバシーに、そういう「人類の過失として負った負債」それがあるから、と思うしかない。

「自分は?」と言うのは、深刻に謎である、もちろん現在進行形で深刻に重い過失を受けている、実感はある訳だが。それでも何となく、「企画を見せろ、評価が高くなる様にしろ、”その”通りに創れば、作った後で貸してやる」と言うそれは、金融関係を支配してしまった、”感じ”はある。制作現場も?は、ちょっと深刻さを増しているが理解ではそこは「客が来なくなった店」と言う状況に成りつつあり、そこにある問題は「それは切り捨てか否か?」そこには成っている、感じもある。金融側の要請に従って店の方向性その他を変える必要に迫られている、が。ちょっと動きがまだ鈍い、彼らはまだ、店の所有権に関しては重大な権限を持っている、感じではある。窮鼠猫を噛む、を恐れているのかともかく、相手の納得の無さは果たして何処から?それはまあ、相手のプライバシーだ。それは切り捨てかどうか、ちょっと不透明な事態は続いている。

・・・「全て」を支配する法、”しかし人為的なそれ”が存在して良いのか否か、ではある訳だが。

仮面ライダーは最終的には神に蹴りを入れてその後、ちょっと悩む事には成る。

そんな漫画を知っている後で、自身の前に神を名乗る奴がいても、ちょっと安直な行動はしにくいのだった。

「良い結果」それは、誰が求めているのか。

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