誰を責めて良いやら。
「曼珠沙華」を用いた、このMMD作品は、まだ良い。
でもこのPVは、オリジナルをそのまま「被せて」描いた結果、”問題もそのまま残してる”のでダメだ。
前者は、「FGO清姫の妄想」だと、”補正してる部分がある”が、後者は、してない。
上手いか下手か?のベクトルではむしろ後者の方が上手いと言う評価かもしれないのだが。
結果、「土台に描かれてない部分」を勝手に補正し「そうなんでしょう?」とかそう言う”要求でさえ有る物”を標的に向けてる結果、嫌悪感が出てしまう。
良くないイメージだ。
「曼珠沙華」は、やればやるほど問題を起こして沈んでいく感じ。
こう言う事例が何故発生するか?と言うと、結論では「天気の子」それを肯定する時、未熟な理解で真似する奴が出るから、だが。
ビールの売り子で人気な人の、真似をしたらむしろ客が逃げた、時。それは悪いのは誰か?と言うか。
「受けなかった」事に関して、作者よりも”その周囲の方に”問題が出る、インターネット時代の功罪ではある。
…と言う分析の、正当性は何処を基準にしているのか?だ。
あくまでも、”ここ”の個人的な主観に過ぎないのだ、何かの学術的な権威、そう言うのを背にしてない。
結果、もちろんあげちうのワープ理論よりも相対性理論の方が上で、その結果、それは最後、核兵器を使用する事を躊躇わない。
だから、現状では”それ”は王の権威では無いのだけど。
「マスコミ脳」には何か、奇妙な剣呑さがある。