あげちうのブロマガ

あり得る幻想に淀む

それでも、幾ばくかの原因としては有るのかもしれない。

”大人”になるにつれ、「負債」親への、それは次第に重くなっていく。

 

一体自分は何の為に?と、或いは思うのだろうかと不意に感じつつ本日の「ロードオブロード」進捗。


「ロードオブロード」5r 第7回目

前回の状況
 スコアー17、要求82、借金最大ー54

1.領域パーツ選出

本日のダイス
白:3,5:8
黒:5,5+2,6:16

黒16 552635

「要求」82+16=98

123456
━┃┏┓┛┗

パーツ
552635
┛┛┃┗┏┛

2.領域形成

  S
  ┗━━┓
     ┃┏┓
     ┗┛┗┓
        ┗┓              ┏━━━━━━━┓
         ┃          ┏━┓┏┛       ┃
         ┗━━┓┏┓┏┓ ┏━┛ ┗┛        ┃
            ┗┛┗┛┗━┛             ┃
                                ┃
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                                ┃
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                             ┗┛  

3.不足補填

前回の残骸 無し

不足形成 
3()不足、形成
3:1回


4.報酬選定

 不足補填あり、報酬査定、1D6→1

コスト消費 ー17-1=ー18
スコア ー18+1=ー17

5.現在の結果

借金最大 ー(54+7)=ー61

スコアー17、要求98、借金最大ー61

まあよし、大体何とか・・・


マクロ的な問題を、少し感じた。

幻想かも知れない、何かの希望的観測?それでもそれは、漫画のネタくらいにはなるだろうか。


状況設定ではある。A氏はマスコミでもある程度名の知れた映画監督である。ただ?近年は当たりが無く、負債が重なっている。テレビでの仕事を受注したは良いが、本人の作家性と言うかが前に出てしまったか、ヒットには届かず負債が深刻化していて。ここで更に「失敗」のフラグが付いてしまうと、この先廃業も視野に入ってしまう…そんな状況。それでも、A氏は自身の方法論と言うか、それを否定できない。

何故か?それは、A氏の”親”が固執していた何かだったから、だ。自身の夢を子に託す、それは良くある話。

…ただ、普通は?子で有っても「もうそんな時代じゃないんだよ!」的に、そう言う対立が起きていく物…ではある、が。この場合は起きてない。何故か?というと、A氏は養子として貰われてきたから、だ。本当の両親は事業の失敗かで彼を捨てて、何処かへ逃げてしまった。

A氏にはその「捨てられた」と言う意識と、今の育ての親への恩?と、それによって、”親”には逆らえない、そう言う意識が深く、形成されてしまっていた。良くも悪くも”親”のコネで、彼は映画産業に関わり、映画監督に成り、相応の成功、そういう場所に居る、が。意識は変わっていない。今の親の悲願を果たす、それが捨てられない、唯一の術である。

ただ、それでも、彼は豚肉だけは親の命令でも食べられない、そんな感覚を何故か宿しては居る。モブキャラとは豚か牛か、ともかく家畜である。そういう場所に居る存在は食われるのが定めだ、そう成らない様にしなければならない…それは、実際の生みの親が陥ったそれを前に、彼の中で歪んで発露していた。

育ての親も老いていく、介護の発生は更に、金銭的な問題等々を加速させていく、が。今も彼の願い?の様な物は、具現化し得る道さえ見えない。例えば現在の、スキージャンプの主流はV字ジャンプである。かつてのスキー板を並行にしての美しいフォーム、それは今、ほぼ誰もやらなくなった。”それ”に固執している様に、彼は成績を出せないまま、何かの奈落に陥っていた。

 

と、言う状況がそこにあった時、悪いのは何か、打開は何処か?では、ある。

生みの親は、或いは捨てたというより「同じく連れて行くには忍びない」と、誰かに預けた、という感じだった、のかもしれない、ともかくその先は、モブキャラよろしく先は無かったかも。昭和の頃は特にそういう時代ではある、切り捨ては「普通」だ、そして「”そうならない様に”勉強しましょうね」が、親の世代の定番かの物言いだった。しかし?それはでも、当時の、いや今でも、状況的に「誰かは陥る」のだ、切り捨て有っての経済的発展である。どんなに努力しても、明日は誰かを切らねばならない、それに耐えられる奴が、良くも悪くも施政者側にいた、時代。

今も、だろうか。

良くも悪くも?A氏はこの状況では発言力の様な物はある。一目置かれる、「体制の犠牲者」としての体験があるからだ、その領域では負債の様に、彼?を無視できない。”それ”が逆に、その領域全体を悪化させては行く?利益性、それに舵を取れない。固執だ、親が馬鹿だった、そこには入れない。いらない人間に”それ”を言う権利など存在しない。売れる方法論、その選択はそれに他ならない訳だ、今は。まるで”犠牲者”の呪いの様に、か。その領域は彼?を中心にして今までの方法論に固執、全体が墜落しつつあった。

ガンダムなら、敵役のライバルキャラ、的なポジションだろうか。

親?への忠誠だけで、最後まで主人公らに抵抗し死んでいく、そんな悲痛を背負う感じの。

漫画的には、視聴者に切なさを感じさせるだけで終わり、ではある。

どうすれば良かったか?は、「こうならない様に」その始まりから否定する、位しかない。

しかし?彼らにとってはリアリティである、これは漫画じゃない訳で。

良くも悪くも、自分より上の世代、その固執である。

「大衆は神である」それは、そこに答えを見せるのだろうか。

 

何をすれば?

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