今の状態でも、お小言か自慢話でしかないというのはまあ、ありそう。
出来る事が限定的なので、ちょっと頑張る?感覚に意味がない…。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力
次第に聞こえてくるのは滝の音だ。知恵を探す先に有るのは果たして。
基本戦略として、こっちが貴方の創った方、こっちが私の創った方、どっち?で、自分の様に誘導する、というのがある訳だ、が。「という訳で共産主義は素晴らしいので北に行きましょう」に成ってしまうのでは、まあちょっと問題がある。かなり急務として、「売れる創作」それを創らねば成らない、のだが…自分の生活を改善する上でも、というしかし。カルト的な勧誘でしかないというなら止めといた方が良い、というそれはまあ、現実だろうか。
”ここ”の理解としては、「神」それの存在は物理だ、”そこ”に実在する、その結果が全てであるつまり、少なくとも地球に居る人間である限りは、最終的な同意はある、という感覚だがしかし。同じ事をしかし、資本主義も共産主義も目指して太平洋戦争、そして冷戦を経て今に至る、という現実もまあ深刻。その「物理」の返答その具現化として「大賀さん」紛争解決機構を提案はした、が。ともかく自分の感覚ではウクライナは、呑みこんだパチンコ台に我慢ならずに破壊を始めてしまった経緯は、ある。
日本までウクライナ側である時、”それ”を愚者と言うべきか?は、深刻な思想の溝は有るのだった。
「面白い」が、結局はイデオロギーの対立に成ってしまう現実は、ある。「思想で100kgの重量が変わる訳じゃないだろう?」理解はそうでも、現実はそうでもない、太平洋戦争では日本は、精神論で何とかしようとしてそして、それはある程度は上手く行ってしまった経緯もある。「無理でした」と解る事は最終的には無かったし、それは或いは今も、まだ戦いを続けているというそんな面は深刻なモノとして。ともかく昭和の頃にしろ、「決着はテレビゲームで!」は、まあ笑い話か漫画の話でしか無かった。その辺を神妙に悲しそうな顔で否定する、のが文化的に進歩してる人のする事だった、のだが。
…もちろん皮肉的には、そんな声の大きさが今も、戦争を続ける原理に成っている、面もある。
「お金を得る」事を目的にした時、”ここ”は答が一つかの様に言うが実際には…思想の数だけある、そう言うのは有るのかも知れない。
理解では、「商店街が総じて流行ってる」その光景が理想、ではある。創作は特に”それ”を具現化する為に創られねば成らない、誰かどこか一か所だけの発展と言うのは許されない。周囲の状況を把握した上で「必要」とされるモノを投じる必要はある、が。その為にはその「理想的な光景」その視野が必要で、つまり自分の理想それは、その環境では多く否定される、訳だ。
「仕事だから」まずは、その辺を納得した上で創作は利益性を目指さねば成らない、が。
要するに「客が求める物を提供しなければ利益になる訳が無いだろう?」だが。その時、「自分で勝手に作った物」は、ほぼ受け入れられない現実は深刻に、重い。この辺は体感しないと解らない、部分は有るのでなんでか、創る前に抑止される事はほぼ、無い。その壁にぶつかってからが創作者としては本番であり分岐、ではある。利益を目指すか、それとも。同人と言う環境は果たして、だ。
今も、自分は同人会場が「全部動員である」可能性を否定していない、部分はある(;´Д`)。
現状の日本の、いや世界の?その状況に対して異論は多々ある。「大衆は神である」と言うその理屈に対してもあまりにも食い違ってる、感じはある。その辺を屁理屈で誤魔化してる、自覚もある訳だがそれでも一応は、まあ生活は続いている状況は有って…”神”の意図、それを量りつづけてる様、ではある訳だが。ともかく言える事はある、「表側」と評する領域は、「大衆は神である」その思想には同意がない、という事だ、”別の領域”である。”ここ”の理解は、表側では多く通らない、大衆は愚かで制御しなければ期待される民主主義は具現化しない、だから票の操作も手段である、という理不尽がでも、表側ではまだ正論である、のだ。
その上で、表側は悪化していく環境の原因を探して、何とか打開しようとしている、訳だが。
ここは本来は笑う所ではない、のだが。
どんどんおかしくなっている、それは。まあ裏側の客観と言えば、そうだ。